いたずら魔女
俺の名前は風間ユウジ。現在就活中の大学生だ。
就活中と言っても既に10社から内定を勝ち取っており、行先に困っているわけでは無い。それならどうして俺が紺色のスーツに身を包み、最終面接先の会場である社長室のドアを叩こうとしているのか?
この会社、UCカンパニーが大本命だからだ。
志望理由?そんなもの待遇が良いからに決まっている。
社風がどうとか、社会貢献がどうとか、そういったことは俺にとっては一切関係ない。
俺が面接で言うことは決まっている。「俺を雇えば会社に莫大な利益を残してみせる」
俺を雇った会社が一番幸運な会社だ。
この俺が面接で落とされるなんて有り得ない。
俺は常に勝ってきた。今までの経験も、才能も、知識も度胸も、他の誰にも負ける気がしない。
俺はカバンから手鏡を取り出し、自分の髪型、笑顔、服装を再確認する。完璧だ。
「よし」
「何がよしなの?」
いきなり背後から女の子の声がした。驚いて振り返ると、案の定女の子が立っていた。立っていたのだ。魔女っ子が。
濃紺の三角帽子にマント、手にはホウキを抱えている。背丈から言って中学生くらいだろうか。
「今日ハロウィンだっけ?」
「違うよ。お菓子くれてもイタズラするもの」
何を言ってるんだ?俺はとりあえず順番に聞いていくことにした。
「ん?君は誰なんだい?」
「魔女よ。見て分からないの?」
おっと会話が成り立たないぞ。俺は無視して社長室に入ろうかと思ったが、明らかに部外者のこの子を放っておくのも忍びなかった。
「何でこんなところにいるんだ?」
「イタズラしに来たの」
「誰に?」
「あなた」
イタズラをすると正々堂々宣言されたのは生まれて初めてだった。経緯も動機も一切不明だが、ここで面倒事になるのは勘弁だ。
「ああ、分かった分かった」
俺はカバンから板チョコを取り出し少女に差し出した。
「これをあげるから大人しくお家に帰りなさい」
少女は素早く板チョコを受け取って懐にしまうと、また大きな瞳で俺を見つめる。無言で。
間が持たない。
「どうしたの、かな?」
俺はなるべく優しく聞く。
「私はあなたが好みなの」
告白か?だとしたら何となく合点がいく。俺のことが好きだけど、普通に話しかける勇気が無いからこんな手の込んだ真似で俺の気を引こうとしているのだろう。
要するにこの子は多少やっかいな、かまってチャンなのか。
「だからあなたの情けない姿を見に来たの」
うん多少ではないかもしれない。丁寧に話すのが面倒くさくなってきた。
「ええと、何で俺の情けない姿が見たいんだ?」
「趣味」
俺は少女の三角帽子のつばの両端を掴むと、そのまま下に引き下ろした。少女の顔がスッポリ帽子の中に隠れる。
「いい加減にしろよガキ」
「何するの?」
少女は顔を帽子に覆われたまま抗議する。
「いいか?俺はこれから最終面接なんだよ。この会社の社長と会うんだよ。年収10億円の男とサシで話さないといけないんだよ。人生掛かってんだよ。命かけてんだよ。お前の相手してる暇なんか無いんだよ。そんなに遊んでほしいなら面接が終わってからにしてくれ」
「やっぱり、あなたは素敵だわ」
少女はいったん帽子を脱ぐと、自分の長い髪を手でとかしながら言った。相変わらず俺の顔を見つめたまま。
もう放っておこう。
「ユウジ」
俺が社長室に向き直ろうとしたとき、唐突に少女が俺の名を呼んだ。どうして俺の名前を?
驚いて振り返る。
「エイヤー!」
少女がホウキのブラシ部分を俺の顔に突き立てた。
「痛ッ!めっちゃチクチクする!めっちゃチクチクする!」
「なんで2回言ったの?」
「ふざけんな!痛いだろうが!」
俺は強引に顔からホウキを払いのけて吠えた。
「いいか、次やったらお仕置きだからな」
俺は必死に怒りを抑え込みながら少女に人差し指を突き立てて言った。
「特別に教えておいてあげる。あなたはこれから1時間、一つの言葉しか喋れなくなるわ」
俺は無視して社長室に向き直った。
目の前の事に集中するんだ。俺は一つ大きく深呼吸した。脳が急速に集中力を取り戻し始める。俺はこんな事で動じない。心はブレない。俺の勝利は揺るがない。
俺は、社長室のドアをノックし、元気よく「失礼します!」と言った、はずだったが俺の発した次の言葉は
「おっぱい!」
ワオ!
***
俺は魔女の方に向き直った。相変わらず俺の顔をじっと見つめたままだ。
「入らないの?」
「おっぱい!」
入れるかよ!と言ったつもりだった。
どうするんだこれ。『こんな魔法は嫌だ』というランキングがあったら第6位くらいにはランクインしそうな勢いだ。
俺は魔女の両肩を掴んだ。
「おっぱい!」(元に戻せ!)
「そんなに私のおっぱいが見たいの?」
「おっぱい!」(違うわ!)
「まだダメ」
まだ……?いや、そんな事はどうでも良い。俺はカバンからペンとノートを取り出し、素早く「魔法を解け」と書いて魔女に見せた。
「綺麗な字ね」
俺はもう少しで魔女の頭をノートでひっぱたくところだった。
俺はもう一度ペンを走らせる。「お願いだから魔法を解いてください」
「えー」
えー。じゃねえよ!どうするんだよコレ!就職倍率100倍の競争率を勝ち残って来て、就活生を代表して最終面接に臨むこの俺が社長に向かって「おっぱいおっぱい」言ってたら伝説になるわ!リアム・マクラレンもビックリだよ!
「じゃあ、少しだけ症状を軽くしてあげるわ」
処方箋みたいな言い方してんじゃねえよ。
***
俺は改めて社長室の前に立ち息を整える。意を決してドアをノックした。
「失礼します!」
やった、言えたぞ!今の俺はまともに喋れるだけで幸せだった。
「どうぞ、お入りください」
中に入った途端、気圧が変わるかのように空気が重くなるのを感じた。最初に目に入ったのは正面の社長椅子に座る男だ。その男は腕組みをしてその上に顎を置き、目線だけをこちらに向けている。その目つきだけで人が殺せるんじゃないかと思うほど鋭い。
間違いない、コイツがこのUCカンパニーのトップ、梶原トオルだ。まだ創立5年目ながらも年商100億円を叩きだすベンチャー企業をけん引する剛腕で、社員からは鬼の梶原と恐れられていると聞く。
だが、俺はこの程度ではビビらない。
「どうぞお座りください」
社長はその体制のまま言葉を発した。
俺は一礼して用意されていた椅子に座る。
「風間君、君は何か好きな飲み物はあるか?」
社長はその体制のまま切り出した。
真意はなんだ?ただ単にコミュニケーション能力を見るつもりなのか、返しの上手さを見るつもりなのか……
昨年の内定者の話だとこの社長は変わった質問は一切しない。代わりに完璧な答えを返しても落とされる奴は落とされるという。
ここは正直に答えるべきだろう。まともな感覚をしていれば、俺より優秀な就活生など居ないと気づく。俺はコーヒーが好きだ。コーヒーの種類、入れ方、性格が出ると思っている。
「はい、私はおっぱいが好きです」
わああああああ!
あの女!中途半端に魔法解きやがって!
「おっぱい?要するに母乳の事か」
しかも会話続くのかよ!あとそんなツラでおっぱいとか言わないで笑っちゃう。
いやそんな事より謝らなければ。
「いえ、失礼おっぱい」
んほおおおおおお!!
どうしたら良いのコレ!?
俺は何とか動揺を隠しながら続ける。
「私はコーヒーが好きです。何故かというと……」
「まあそんな事はどうでも良いんだが」
じゃあなんで聞いたんだよこのヘッポコピー。
「俺が聞きたいのはただ一つ。君は何故この世に生まれてきたと思う?」
今までの醜態も忘れて、俺の思考が一瞬停止する。
何を言ってるんだ?俺はここに哲学の話をしに来たわけじゃないわけだが。
生きる意味?そんなの稼ぐためだろ?何のために?良い生活がしたいから?何のために?人より良い生活がしたいから?何のために?同期やその他友達と差をつけるために?何のために?俺が優れた人間だと思われたいから?何のために?いや待て。俺が人生で本当に欲しいものって何だっけ?
……あれ?俺ってなんで生きてるんだっけ?
俺が大マジで返答に困っていると、社長が言葉を発する。
「君が馬鹿正直で真面目なのは分かった」
そして続ける。
「そもそも、君のようなガキに分かるわけはないのだから、その反応は至極当然だ」
は?なんだそれ?
何かすごく熱いものがこみ上げてくるような感情を感じた。馬鹿にされているような気がしたのだ。
確かに俺は、生きる意味もろくに知らない。自分が何のために生きてるかなんて全く考えずに生きてきた。それでも、それが子ども扱いされる理由にはならない。
俺はこの会社を受けた誰よりも優秀で、誰よりも場数を踏み、誰よりも雇う価値のある人間だ!ふざけんな!馬鹿にしやがって!俺はいずれお前を超える男だ!
「お言葉ですが」
俺の感情は理性よりも早く言葉になっていた。
「子ども扱いされるのは納得がいきません」
魂を言葉にする。
「私は確かにおっぱい」
おっほおおおおおお!
何なのこの魔法!?俺がアクセルを踏むと同時に全力でブレーキかけやがる!
「またその話か」
社長はため息をつく。いやそのリアクションはおかしいだろ!薄いだろ!
「心配しなくても君は合格だ」
え?
社長は立ち上がると、俺に背を向け窓の方を向いた。
「この場所でこの俺に向かって、クソ下品な言葉を吐けるとは良い度胸だ。面白い」
社長は俺の方に向き直る。そしてギラついた目で俺の顔をじっと見る。
「この会社に入るんなら、覚悟しておくんだな」
脇汗の流れる冷たさを、肋骨の辺りに感じた。
認めたくはないが、この俺が社長の圧力に気圧されている。
実際は10秒程度だろうが、腕時計の秒針の動く音が聞こえるほどの静寂がしばらく続くように思えた。
覚悟、そんなものはとっくに出来ている。
俺は大きく目を見開き、言った。
「はい。もちろん覚悟は出来ておっぱい」
***
俺は社長室を出た後、同じ階にあったトイレに籠ってしばらくうなだれていた。というか、立てなかった。人生でこれほどの恥辱を味わったのは初めてだ。
「あのクソ女、今度会ったら本気でデコピンしてやる……」
俺は何とか立ち上がると、うなだれたままエレベーターに乗った。
「恥ずかしかった?」
隣を見ると、いつの間にか魔女が俺の顔を覗き込んでいる。
驚き過ぎてエレベーターの端まで飛びのいてしまった。
「ねえ、恥ずかしかった?」
魔女は寄って来てやはり俺の顔を上目遣いで見る。
沸々と怒りが込み上げてきた。この場でデコピンしてやろうか。
「さっきのあなたはとても素敵だったわ」
魔女は今までの無表情が存在しなかったかのように無邪気な笑顔で俺を見つめる。
その笑顔にほんの一瞬ときめいてしまった俺は上手く怒れなくなった。
「とても情けなくて、無様で、それでも取り繕おうとする姿が最高だったわ」
その笑顔は自然で、優しい微笑みだ。
「お前、大概にしろよ」
それが怒りの失せた俺の発せた最大級の抗議だった。
話しているうちにエレベーターが1階に到着する。扉が開くが魔女は降りる気配が無い。
「降りないのか?」
「あなたこそ、そんなに私と一緒にいたいの?」
「ふざけんな」
俺が外に出ると、魔女に呼び止められた。
「ユウジ」
俺は振り向かずに歩き続ける。
「私の名前はミチル。またイタズラに来るわね」
俺が反射的に振り返るとエレベーターは既に閉まっていた。
え?また来るの?続くの?俺ホラー映画の主人公か何かなの?
俺はぼうぜんとし、昇っていくエレベーターを眺めていた。
完
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