傘を差す男
「大切なのは、天気なのだ」
男はそう呟いた。その手には1本の紺色の傘が。親骨80センチ。直径135センチ。かなりの大判サイズである。
空を見上げると、今にも天から涙が落ちてきそうな曇り空。
ゴゴゴゴゴゴゴ…
と、空気が震えるに揺れるように迫ってくる雰囲気。
瞬間。
ポツリ、と雨粒が地面を濡らす。
ポツリ、ポツリ、と天から降り落ちてきた水滴が地面に大きな染みを作っていく。
「やはりな…」
そう言ったかと思うと、男は大判の傘をサッと差し開く。
バチバチと太鼓を叩くような音を立てながら、男の差す傘の表面へとぶつかっていく大粒の雨たち。
しばらくの間、男はその状態で路上に立ち尽くす。まるで楽しむように、同時に誇らしげに、道の真ん中に棒立ちになっていうるのだ。
周りの人々は、急な雨に慌てて軒下へと逃げ込んでいく。あるいは、路上に並べていた商品を急いで取り込む店員の姿も。
その後、満足した男は、ゆっくりと歩を進め始める。
ガシガシと大股になりスピードを上げていく男。そのまま、ある建物の中へと吸い込まれていく。
そこは男の勤めている会社であった。ビショ濡れになった傘をたたむと、シャッと一振り水を切り、傘立てへと得物を収める。
自分の部署があるフロアまで階段を登り、部屋に入ると、サッと席に着く。途端に作業開始!
「絶好調だ!」と、叫ぶ男。
バリバリと音を立てながら、急激なスピードで作業は進んでいく。
山のように積まれていた書類の束は、瞬く間になくなってしまった。
「ふぅ…」と1つ大きな息をつくと、男は部屋の隅にあるコーヒーメーカーまで歩いていく。堂々とした仕事男の歩き方だ。
そうして、カップに熱く真っ黒な液体をなみなみと注ぐ。
自分の席へと戻ると、ゆっくりと黒い液体をすすっていく。無論、ノーミルク、ノーシュガー。この男のこだわりである。
「雨はいい。雨は心を落ち着かせてくれる。雨は人を孤独にし、自分の世界へと誘ってくれる。これほどに集中できる時は他にはない。仕事をするには、最高の日だ」
コーヒーカップを片手に、男はさらに語り続ける。
「そして、傘だ。雨には傘。これ以上の組み合わせはない。神が生み出した最高のカップル。相性バッチリ!カッパではいけない。傘でなければ。ましてや、何も持たずにビショ濡れの濡れネズミ。そういうのは最悪。最悪のパフォーマンス!仕事にならない!」
さらに、独り言を続ける男。
「その雨には、それに合った傘というものがある。こんな風に土砂降りの日には、幅の広い大傘を。小雨の日には、小振りの傘を。あるいは、折りたたみでもいい。最適な組み合わせを事前に予測し、用意しておかなければならぬ。それこそが我が使命、それでこそ最高のパフォーマンスを発揮できるというもの…」
こうして、男は今日も最高の結果を出すのであった。