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オリヅル姫

作者: チシャ猫

オリヅルラン(折鶴蘭)。ユリ科に属する常緑多年草であり、観葉植物としてよく栽培される。

外観はパイナップルの葉の部分に似ている。ある程度成長すると葉間から細長い花茎ランナーを伸ばし、その後ランナーの先に新しい株を作る。この子株が土に接触することによってその数を増やす。

子株の様子が折り鶴に似ていることから名付けられた。

 

 芳しい香りが鼻腔をくすぐる。

 豆から挽いたコーヒーの粉末を専用のメーカーに入れ、スイッチを入れる。ドリッパーから滴るこげ茶色の水滴を眺めているうちに再び眠気に襲われ、敏行としゆきは目頭を押さえた。

 出来上がったコーヒーを一口すすると、直前まであった眠気が嘘のように消えていくのを感じる。やはり朝のコーヒーは濃い目に限る、と今日も敏行は独り語ちた。

 居間のカーテンを開けると庭を囲むように植えられた庭木が目に入る。その木々の間から差し込む朝日に思わず目を細めた。

 残念なことに、窓越しに見える庭の風景はお世辞にも爽やかと呼べるものではない。敏行の妻が死んでからというもの、あるがままに放置されていた植物の数々はこれ幸いと好き勝手な方向に首を伸ばしていた。

 何とはなしに、家庭菜園用にレンガで区切られた土壌に目がいく。そのすぐ脇に放置されている鉢植えからオリヅルランのランナーが伸びていた。

 子株が菜園用の土に接触しているので、放っておけば自然に根付いてしまうだろう。生前の妻が良くぼやいていたのを思い出す。

『まったく次から次へと伸びてきて……放っておいたら鼠算式に増えてしまうわよ』

 その妻もいなくなって久しい。生憎と、敏行は庭の手入れを自主的にする程園芸に興味を抱いていない。壁掛け時計の横に飾られた、在りし日の自分の写真。定年退職してからというもの、毎朝コーヒーを飲みながらその写真を眺め、過去に思いを馳せるのが彼の日課になっていた。


 翌朝。いつものようにコーヒーカップを片手にカーテンを開ける。すると、案の定昨日のオリヅルランの子株がしっかりと根付いているのが見えた。ランナーの茎が細くなり、自力で養分を作り出せるようになったことが見て取れる。

 妻の話と照らし合わせてもやけに早い気がしたが、如何せん植物に興味のない敏行はさっさと二杯目のコーヒーを入れに台所へ向かった。


 異変に気付いたのは三日目の朝だった。

 オリヅルランの成長が早すぎる。たった二日で親株を凌ぐほどに成長しているそれを見て、敏行は首を傾げた。しかしそれに輪をかけて異常なのは、葉と土の境目、ちょうど根があるはずの部分が異様に隆起していることだ。まるでボールでも埋まっているかのように盛り上がっている。

 ――引っこ抜いてみようか。

 そう思ったのも一瞬で、結局は荒れた庭の植物に素足を掻かれることを厭って見て見ぬふりを決め込んだ。

 だが、四日目になるとそうも言っていられなくなった。カーテンを開けて“ソレ”を見つけた時、初めは我が目を疑い、次に現実を疑い、最後に頬を思いっきりつねってようやく目の前にあるのが夢、幻でないことを認めた。


 庭に首が生えていた。


 昨日まで新しいオリヅルランが植わっていた場所に、今は首が生えている。いや、正確に言えばオリヅルランは今もある。ただし、「頭の上に」という注意書きを入れる必要があるが。

 要するに、人間でいう髪の毛の部分がそのままオリヅルランの葉なのだ。そして昨日まで土中に埋まっていた部分――あの不自然な隆起だ――が顔であったことは想像に難くなかった。

 それが単なる首であったなら、多くの人は驚いて詳しく調べてみようとするかもしれない。あるいは誰かに知らせようとするだろう。しかし、この時敏行が感じたのは純然たる恐怖以外の何物でもなかった。

 なぜなら、その顔は見知った顔だったからだ。

 ――妻の顔だった。


 その後即座にカーテンを閉めた敏行は、二日を家に引きこもって過ごした。元来の出不精のせいで買いだめしていた食料が、この時ほど有難かったことはない。だが、現実から目をそらし続けることはできそうになかった。

 恐る恐るカーテンをめくる。蛍光灯の光に慣れた目に太陽の光はやや眩しい。思わず目を細めていた彼がうっすらと視界に捉えたもの。それは庭に埋まっている妻の首。そしてその頭から伸びた細長いランナーと、その先についたオリヅルランの子株だった。

 しかも土に根付いた新たな子株、その根元はあろうことかサッカーボール大に膨れ上がっていた。

 結局ものの数秒と持たずに再びカーテンを閉めることになった。

「夢だ夢だ夢だ夢だ……!」

 部屋に敏行の声が低く響き渡る。そういえばあれほど習慣になっていたコーヒーを、もう丸二日も飲んでいなかった。


 その後、食料が尽きるまでずっと敏行は家の中で過ごした。定年退職して社会との接点を失った彼に頼る当てなどなかったし、外に出る為には必然的に家の前を通ることになるからだ。自分のいない間にあの首が誰かに見つかったらと思うと、気が気でなかった。

 ふとカレンダーを見ると、一週間後の日付に赤丸が付けてある。だが、今の敏行にはそれが何の予定を示したものであるのか思い出している余裕はなかった。

 今日こそ何とかしなければと、勇気を振り絞ってカーテンを開ける。三度敏行が目にしたものは、片手の指では数えられないほどに増殖した妻の首だった。

 しかもその頭からは新しいランナーが次々と生えている。放っておいたら庭中首で埋まることにもなりかねない。意を決して庭に足を踏み入れ、首へと近づいていく。真近で見るソレはまさしく妻の顔そのものだった。顔色から皺の位置まで生きていた頃と何ら変わらない。

「お、おい……き、き、き聞こえるか?」

 声が震えるのを自覚しながら首に語りかけると、ソレらが一斉に敏行を見上げた。

「ひぃっ……」

 思わず腰を抜かしてへたり込んでしまう。彼の動きを追うかのように首の目線も移動するが、それ以上何かしてくる様子はない。よく見るとそれぞれの口元が何か言いたそうに歪んでいるものの、声をあげることはなかった。

 混乱する頭で考える。これ以上増やすわけにはいかない……引っこ抜いてみるか? だが抜いた後の首はどうするのだ。まさか燃えるごみに出すわけにもいくまい。そもそも抜けるのだろうか……血は?

 後から後から湧いてくる疑問を打ち切るように敏行が出した苦し紛れの答えは、これ以上オリヅルランのランナーを出さない為に、妻の髪(今は葉だが)をむしり取ることだった。

 妻の死体を隠した菜園の土の中。その地表に両足を乗せ、葉の束を掴む。初めは躊躇していたものの、自分がしている行為の異常さに気付くと早く終わらせたいと気ばかり急いてしまう。結果的にかなり乱暴に葉をむしることになった。

 葉を手に取って引っ張る時、妻の顔が苦痛に歪むのは一体目の時から気付いていた。本当に生きているかのような反応に怯えていたのは三体目までで、それ以降は憑かれたかのように無心になって妻の髪をむしっていった。

 丸坊主になった首の群れを見渡す。それはこの上なく滑稽なようでいて、酷く気持ちの悪い光景だった。

 とりあえずこれ以上数が増えることはないだろうと考えると幾分か気が楽になり、その晩敏行は久しぶりに安眠した。


 翌日。久々に穏やかな気持ちで朝のコーヒーを入れる。それを片手に、壁に掛った自分の写真を見上げると、警察官の制服を着たかつての自分が笑い返してきた。

 これまでの人生でこなしてきた職務について考える。いつもの日課だ。警察官という仕事は天職だったと思う。権力をもって他人をいいように動かすというのは何物にも変えがたい快感だった。

 唯一つ間違いがあったとすれば、婦警の妻もまた権力に従って自分の元に嫁いだという事実。それに気付けなかった点だ。

 女性関係のトラブルから遠ざける為に、警察官は早めの結婚が望まれる。警察が組織内部のスキャンダルを極力回避しようとするのは今も昔も変わらなかった。

 ただ、彼の妻は年月が経つにつれて不満がある毎に『これは自分の望んだ結婚ではなかった』と言って二人の関係を否定するようになった。

 思えば、コーヒー一つ満足に入れられない女だった。……ああ、それが一番の理由だったのか、と今更ながらに敏行は納得する。

 一度対策が決まると後は楽だった。頭の葉が伸びた頃にまたむしりに行けばいい。幸い庭木やその他の植物が荒れているおかげで、外から様子を窺うことはできないだろう。一抹の不安と気持ち悪さは残るが、カーテンを開けないようにすれば何ら問題はなかった。


 安心していた。慢心だった。だから、気付いた時には手遅れだった。

 数日ぶりに様子を見ようとカーテンを開けてみると、菜園どころかレンガの境界を越えた部分にまで首の浸食は広がっていた。

 慌てて庭に降りた敏行はその理由に気付く。新しい首以外の先日処理を施した首にはまだ葉は生えていない。その代わり、その頭皮に何か白いものが無数にこびり付いていた。

 ――フケだった。

 それを見た敏行はかつて妻が感嘆混じりに呟いていたことを思い出す。


『これ以上増えないようにって毎回(ランナー)を切っていたら、今度は種をつけるようになったのよ! ……本当に植物の生存能力には目を見張るものがあるわ』


 茫然と立ち尽くす敏行に集まる無数の視線。知らず知らずのうちに全身が総毛立っていた。体を震わせながら裏の物置に向かって走り出す。戻って来た彼の手には一振りの鉈が握られていた。

 全身から恐怖とも殺気ともつかぬものを発している敏行を見つめる妻の顔。そのどれもが彼の持っている鉈に視線を移し、そして『またか』と思っているような顔をした。

 それが引き金になった。声を張り上げて敏行は鉈を振り下ろす。狙いあまたず妻の顔を直撃した刃は、すんなりと頭を左右に分離させた。次から次へ鉈を叩きこんでいく。血は一滴も流れず、切り口にあったのは肉でも骨でもなく唯の根っこの塊だった。

 勢い良く鉈が振り下ろされる度に砕けた根の破片が宙を舞う。そうしていくつ目かの首を叩き割った時、舞い上がった根の粉末を敏行は吸いこんでしまった。

 あ、と思った時には既にそれは喉を通過していた。今までの興奮はどこへやら、途端に冷や汗が噴き出る。今自分が飲み込んだものは、ひょっとしてやばいんじゃないか……そんな疑問が頭を巡るのと同時に、敏行の意識は急激に闇に飲み込まれていった。


 ふと目を覚ます。やけに視線が低いことを訝りつつ、真っ先に視界に入ってきたのは土に埋められたレンガだった。

 ……状況把握に時間がかかる。何気なく隣を見た敏行は、そこに“自分の目線と同じ高さ”で植わっている妻の顔を発見してしまった。

 思わず叫ぼうとして、しかし口が開かない。手を動かそうにも、そもそも四肢の感覚すらない。パニックになりそうになるのを必死に堪えていると、通常は開かないはずの庭と道路とを隔てるドア(というより唯の柵)が開く音がした。

 イレギュラーなことが立て続けに起こったせいで頭が真っ白になっていく。余計な考えが消えたせいか、ふとあることを思い出した。カレンダーについていた赤丸。あれは庭師がうちを訪ねてくる日ではなかったか。そうだ、自分で手入れするのが面倒だから電話で予約を取ったんだった……だが、今更思い出したところで後の祭りである。

 首を回せないせいで庭師の姿は確認できない。目だけを落ち着きなく動かしていると、突然頭の上に影が差した。

 目の前に驚愕の表情を顔に張り付けた庭師が立っていた。

 何とか自分のことを説明しようとするが、口が開いてくれない。苦悶の表情で顔の筋肉を動かしていると、それを恐怖に感じたのだろう、庭師は傍に落ちていた鉈を拾い上げて大きく振りかぶった。

 『待て!』そう言おうとしたが、やはり声にはならなかった。最後に横目で見た妻の首は、うっすらと微笑んでいるような気がした。 




読了感謝です!


家にオリヅルランがあったことから思いついた題材。

それにしても病んだ話ですよね~。

しかし書いててかなり楽しかったです。


ホラーを書いたつもりはなかったんですが、読んでくれた友人に言わせるとホラーらしいです。

髪を毟る所とか、笑いながら書いてたんだけどなぁ~

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― 新着の感想 ―
[一言] おー、オリヅルとは植物の事でしたか。 私はてっきり折り鶴だと思っていたので、童話系なのかなと勝手に想像していましたが、いい意味で裏切られました。 これは完全にホラーですよ。それもとびきりの…
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