銃身(バレル)を展開せよ!
「銃身を展開すればいいのよっ!!」
そう得意げに力説するのは、ショートカットの髪に勝気そうな顔をした少女である。彼女はライアット総合学術研究院(学院)魔道術式科三年、エリス・キャンベルである。今年入学したばかりなのだが、上半期で飛び級に必要な単位を全てそろえ、この下半期から三年に編入した学院きっての天才(問題)児である。
「訳が分らないって顔してるわね。いいわ、説明してあげる」
オホン、と咳払いしてからエリスは説明を始める。
「魔道銃が実用性に欠ける、といわれている理由は知ってのとおり出力の低さよ。ではなぜ出力を低くせざるを得ないのか。それは機械機構の耐久性が、フレームなど素材の耐久性よりどうしても劣ってしまうからよ」
簡単に言えば高出力に伴う余波や衝撃に機械的な部分が耐え切れないのだ。そのためフレームなど素材そのものに問題が出るより先に、機械的な部分が壊れてしまう。壊れないようにするには出力を抑えるしかない。
しかし出力が低いということは、つまり攻撃力が低い、ということだ。しかも魔道銃は個体ごとに定められた一定の出力でしか攻撃できないから、その一定の出力(攻撃力)を防ぎえる防御手段を持つ相手には効果がほとんどない。
「だけど“一定の出力でしか攻撃できない”というのは、見方を変えればメリットであるとわたしは考えるわ。だって“一定の出力であれば誰でも得ることができる”ってことだもの」
例えばこれが魔剣などであれば、得られる出力の上限は使い手に大きく依存する。ある人間が100の出力を得たとして、同じ魔剣を使った別の人間が50の出力しか得られなかった、などというのは良くあることだ。
しかし魔道銃であればそのようなバラつきは起こらない。10の出力を規定された魔道銃ならば、万人が10の出力を得ることができる。もっとも、どれだけ使い続けることができるのか、はまた別問題になるが。
「高出力の魔道銃が完成すれば、この世界は変わるわ!」
本当に世界が変わるかはさておき、問題はどうやって高出力を得るか、である。
「そこでこの天才エリス・キャンベルは考えた!」
魔道銃において高出力が使えない理由は、「機械的な機構がその出力に耐えられないから」、という話はつい先ほどもした。これをより詳しく言えば、「機械的な機構が自身の内部に充填される高エネルギーそのものや、発射の際の余波及び衝撃に耐えられないから」となる。
「だ・か・ら!銃身を展開すればいいのよ!!」
それで最初の話に戻るわけである。
「銃身を展開しその空いた空間に力場を形成。その力場内に高エネルギーを充填して収束させる。これなら高エネルギーによって機械的な部分が破壊されるのを防ぐことができるわ。後はフラッシュパルスをトリガーにして発射。余波や衝撃は、逃がし方を工夫すれれば大丈夫でしょう」
その辺は術式でもフレームでも工夫は可能だわ、とエリスは顎に手を当てて呟いた。
「以上!なんか質問ある?」
「………なぜオレが昼飯中に後頭部ぶん殴られた挙句、ここまで拉致られてきたのかについて説明がなかったように思うのだが?」
こめかみの血管をヒクつかせて眼鏡のブリッジを押し上げ、しかしそれでもエリスの説明を黙って聞いていた錬金科三年のアルネイド・ヨンクシルは、ごっそりと抜け落ちていた自身への理不尽な扱いについて説明を求めた。
「そんなの、練金科の知り合いがアンタしかいないから決まってるじゃない」
「………さもしい人脈の披露ありが……「とうっ!」……ぐほっ!」
アルネイドの言葉は掛け声と共に殴りかかったエリスによって強制的に中断させられた。余計なことを言う口を黙らせたエリスは、「余計なこと言わないでよ」とそっぽを向いて呟いた。その顔は少し赤くなっている。どうやら人脈がさもしい、もとい友達が少ないといわれたことを気にしているらしい。
「まあそういってやるな。なりはちっこいが嬢ちゃんのガッツは“買い”だ」
そう口を挟んだのは、機械科五年のゴートン・ガイアックである。機械科に友達、もとい人脈のなかったエリスは、自身が考案した新型の魔道銃について概要をまとめたレポートを手に、機械科の生徒が集まる食堂に突撃して開発の協力を要請したのである。
「うるさい!ちっこい言うな!アンタがでかすぎるだけよっ!!」
「そうだな。確かに先輩はでかい」
エリスとアルネイドの指摘どおり、ゴードンの体格は見事なものである。身長は180センチを越え、肩幅と胸囲は冗談抜きでエリスの二倍以上はある。その鍛え上げられた筋肉と三十代半ばにしか見えない厳しい面構えのおかげで、技術者のクセに歴戦の勇士の風格さえ漂わせている。なんでも巨大レンチを片手に騎士科に殴りこみ、工房に忍び込んで悪さしてくれた馬鹿どもをシバキ倒したこともあるとか。以来彼は「機械科の最終兵器」として恐れられているとかいないとか。
「ガハハハッ!!牛乳飲めよ、でっかくなれないぞ」
「牛乳飲むだけで身長が伸びるなら苦労しないわよ………」
まあ普段の彼は並大抵のことではビクともしない、もとい怒ることのまずない温厚で豪快な性格である。身長にコンプレックスがあるらしいエリスが落ち込む横で、ゴードンはそんな瑣末なことは気にせず豪快に笑っていた。そんな様子をアルネイドは生温かく傍観する。
「と・に・か・く!!」
ヤケクソ気味に拳を振り上げ、エリスは復活した。その口元には天才少女の名に相応しい不敵な笑みが浮かんでいる。
「これで必要な人材は揃ったわ」
試作品作りを始めるわよ、というエリスに対しアルネイドとゴードンの男二人は揃って頷いた。もとより乗り気なゴードンはもちろんのこと、随分と無理やりに勧誘されたアルネイドもやる気になっている。
当然だ。新型、新技術と聞いて心躍らない人間はこの学院にはいない。なかでもこの三人は飛びきりだといっていい。
「そういやこの新型、開発コードみたいなのはないのか?」
そう尋ねたのはアルネイドだ。この学院において、学生が新技術を試すために試作品を作るのは珍しいことではない。そのため複数のプロジェクトを掛け持ちすることも良くあり、ただの“試作品”ではごっちゃになってしまう。そこでプロジェクトごとに試作品に開発コードをあてる、ということがよく行われる。
「そういえばまだ決めてなかったわね………。何かいい案ある?」
「嬢ちゃんが決めればいい」
発案者なんだから、とゴードンが言い、アルネイドもそれに同意する。そう言われたエリスは「そうね……」としばらく考え込み、そしてその名前を口にした。
「………〈エヴォルブ〉。これから先、この新型魔道銃のことは〈エヴォルブ〉と呼称するわ」
エリスがそう決めると、ゴードンとアルネイドも頷いてそれに同意した。そして開発コードも決まったところで、話は技術的な部分へと移る。
「それでこの〈エヴォルブ〉だが、最も重要なのは、やはり如何にして力場を形成するか、だな」
その辺具体的にどうするつもりだ、とゴードンはエリスに視線を向ける。機械的なカラクリで高エネルギーを収束させる力場を形成することはできない。となれば術式でやってもらうしかなく、その専門はこの場にエリスしかいない。
「展開した銃身の上下か左右に二つ、魔法陣を展開するつもりよ」
ふむ、ゴードンは少し考え込んだ。彼の気持ちを代弁するようにして、今度はアルネイドが口を開く。
「それだと形成される力場に粗密ができるんじゃないのか?」
魔法陣の効果は中心に近いほど強くなる、というのはこの学院にいれば自然と身に付く知識である。魔法陣の効果にムラができれば、当然形成される力場にも粗密ができてしまう。
「そうだな。銃身を中心にして複数の魔法陣を展開する、というのはどうだ?」
そういいながらゴードンは黒板に図を描いていく。銃身に対して垂直な円を四つほど並べる。そして自分が描いた図を見て、「ふむ」と何かを思いついたように呟いた。
「これなら、円柱形の魔法陣を展開するのが一番いいかも知れんな」
「………力場を形成するだけよ?そんな複雑な魔法陣は必要ないわ」
呆れたようにエリスはそう口を挟んだ。立体的な魔法陣は平面的な魔法陣に比べ、格段に複雑で難易度が高い。「オーバースペック過ぎて無駄よ無駄!」というのが専門家のご意見だ。
「まあ、魔法陣の配置についてはコッチで考えておくわ。それよりもまずはどの程度の魔石を使うのか決めなくっちゃ」
魔道銃の出力は核として用いる魔石に依存する。今回〈エヴォルブ〉で目指す出力は「できるだけ大きく」なので、使用する魔石もできるだけ良いものがいい。
「発案者の要望としてはどのくらいなんだ?」
「魔力密度が800以上は欲しいわね」
魔力密度というのは魔石のスペックを表す指標のひとつで、これが高いほど多くの魔力を込めたり複雑な術式を刻んだりできるようになる。ただしこれは「同じ大きさに限れば」の話で、魔石そのものを大きくすることによっても同様の効果がある。
「アホか。無理に決まってんだろうが」
「なんでよ!?」
「学院の鋼の掟を忘れたか?」
眼鏡の奥の目を呆れたように細めてアルネイドはそういった。彼の言う「鋼の掟」とは、「試作品を作る場合には学院が認可した素材のみを使用すること」である。
ライアット総合学術研究院においては学生が自発的に試作品を作ることを奨励している。しかし学生という身分からも明らかな通り、彼らは未熟者の集まりである。思わぬ事故や暴発によって怪我をする者は毎年後を絶たない。
そこで学院側が安全策として設けたのが、アルネイドの言う「鋼の掟」である。わざわざ「鋼の」という枕詞が付いているとおり学院はこの掟に一切の例外を認めず、違反が発覚した場合には停学あるいは退学という重い処分が課されることになる。
そして学院が認可している素材は安全性を優先しているため、性能面ではそれほどいい物はない。魔力密度800以上という魔石は世間一般でみればそこそこありふれた代物ではあるが、学院が認可している素材でそれを合成しようというのはちょっと無理だ。
「でもアンタ、夏休みに魔力密度834の魔石を作ったじゃない」
「………ありゃ異常性素材だろうが」
アルネイドの声に苦いものが混じる。異常性素材は意図的に合成できるものではない。アルネイドが夏休みそれを作ることができたのは、あくまでもたまたまの偶然であり、それを基準にして品物を求められてはたまったものではない。そもそも異常性素材とは、世界的に見ても年間に十個できるかどうか、といった代物なのだ。
「むぅ。じゃあどれ位のなら作れる?」
「そうだな、250~300といったところか」
使えないわね、とエリスがわりとひどいことを呟く。だがこれはアルネイドの腕が悪いわけではなく、使える素材に起因する限界だ。世界最高レベルの錬金術師であっても結果は変わらない。
「仕方ないわ。チャージに時間がかかるからやりたくなかったけど、収束用の結晶体を使って一次収束をかけましょう」
エリスがそういい、ゴードンもそれに賛同する。なんでも一次収束をかけてもらったほうがフレームにかかる負担が少なくなるのだとか。ただ、同時に一つ余計な機構を組み込むわけだから、その分フレームは大きくなってしまうが。
「魔石の大きさはどれくらいにする?」
そう聞いたのはアルネイドだ。魔石はさきほど説明したとおり魔力密度が高く、また大きいものほどスペックが高くなる。ただし、大きくなればその分使いにくくなるのは自明の理で、そのため「魔力密度は高く、大きさは小さく」というのが良い魔石の条件とされている。
今回エリスが要求した魔力密度は800以上。しかし学院内で合成する魔石ではこの要求は満たせない。となれば後は大きくして補うしかない。
「あ~、魔石の大きさは〈エヴォルブ〉の設計に直結するからなぁ………」
魔道銃の設計はエリスの専門外だ。自然、エリスとアルネイドの視線は専門家であるゴードンに向かう。
「直径が3~5センチの範囲であれば、後はコッチでなんとでもなる」
「了解。他に要望はあるか?」
エリスとゴードンから告げられる要望を、アルネイドはメモ帳に書き留めていく。一般に「魔道具」と呼ばれるものの力の源となるのが魔石だ。魔道具の出来の半分は魔石によって決まってしまう、と言っても過言ではない。自然な流れとして課される要求は高くなる。しかしながら、これまた当然な話として学生レベルでその全てを満たせるはずもない。だが始めから「無理」と諦めてしまっては成長を見込めないのも事実。つまりトライアルアンドエラー、“当って砕けろ”というやつである。
「んじゃ、試作品何個か作っとくから。一週間後にまたここでいいか?」
ちなみにここはゴードンが所属する研究室が使っている工房である。試作品作りに他学科の生徒が関わるのは良くあることなので、こういった工房の出入りは比較的自由なのが特徴だ。
「よろしく~。アタシはもう少しゴードンと〈エヴォルブ〉の設計を詰めていくわ」
どこまでフレームで行い、どこから術式に頼るのか。それを決めないことにはエリスもゴードンも自分の専門分野について本格的な設計は行えない。せいぜいきっちり話し合ってもらいたいものである。
それにしても、とアルネイドは思う。ゴードンは五年でエリスは今年の入学生である。つまり五歳の年の差があるのだが、あろうことかエリスはゴードンのことを呼び捨てにしている。それが出来る辺りさすが天才で、それをやってしまう辺りさすが問題児。
(つーかオレもアンタ呼ばわりの呼び捨てな訳で)
一度しっかりと礼儀というものを教えこまにゃならんな、と思いつつ、それを理解できる頭は持ち合わせていないんだろうな、と割りと失礼なことを考えるアルネイドであった。
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魔剣を一本作るのに、どれだけの職人が関わるかを考えたことはあるだろうか。
素材を作る錬金術師。
剣を成形する鍛冶師。
術式を考え刻印を施す施術師。
細かな装飾を施すのであれば、細工師も必要になる。
つまり魔剣というただ一つの作品であっても、そこには複数の職人が関わっているのである。
無論、全ての行程を一人で行う万能型の職人も少数ながら確かにいる。しかし考えてみてもらいたい。それがどれほどの才能を必要とするかを。仮に才能を有していたとしても、それを伸ばすためにどれほどの時間と労力を必要とするかを。
一般人がそれをやろうとすれば、何もかもが中途半端になってしまう、というのはすぐに想像がつく。それに四人分の仕事を行なえる職人は、しかし四人の職人が集まってしまえばそこに大きな差はなくなってしまう。
だからこそ普通は専門分野を決め、その分野において研鑽を積むのである。何も一人で全てを行う必要はない。己の良くせざるところは他人に任せればよいのである。
ライアット総合学術研究院、通称「学院」はそのような考えの下に設立された学校である。そこは決して一人の万能型の天才を育てる場所ではない。多くの一般人たちをただ一つの分野で良いので専門家にするための教育機関なのだ。
もっとも、卒業したからといって一人前の専門家になっているわけではなく、あくまでもその入り口に足を踏み入れた程度でしかないのだが。一流と呼ばれるための道筋は長く険しいものなのである。
まあ、それはともかくとして。学院のカリキュラムは当然ながら学科ごとに大きく異なっているが、技術関連の学科のそれは大きく二つの部分に分けることができる。それは「基礎」と「応用」である。ちなみに「基礎」の部分は認定試験に合格すれば講義を受けずとも単位の修得が可能で、それを利用して飛び級を行う生徒も多い。
そして「基礎」を修め「応用」の課程に進んだ生徒は「研究室」にはいる。研究室は多くとも三十人ほどの規模で、一人の教授の下にさまざまな学年の生徒たちが集まり研究を行うのである。
アルネイドが所属しているのは錬金科のアインベルグ研である。その名の通りアインベルグ教授が受け持つ研究室であり、第三工房棟の四階を専用のスペースとして使っている。ちなみに第三工房棟は五階建てで、一階は共用の工房、二階はそれぞれの研究室の資材置き場、三階から五階は各研究室の専用スペースとなっており、つまりアインベルグ研を入れて三つの研究室がこの建物をつかっていることになる。
その第三工房棟の前の芝生で、一匹の白猫が昼寝をしていた。三年ほど前からこの辺にいついたそうで、短い手足(少なくともそう見える)を四方に伸ばして腹ばいになって眠っている。
「よう、ネコ先生。相変わらず丸いな」
ネコ先生は白猫にしてノラ猫にしてデブ猫で、そしてダメ猫である。人間が近づいてきても逃げないばかりか、この重度の肥満体質では自分で狩りをしているのかさえも疑わしい。最近聞いた話によると、ネズミが目の前を通り過ぎても飛び掛らなかったという、野生の本能さえ死滅してしまったダメっぷりである。
だが学生たちの間では、
「そのダメっぷりが、いい!」
となかなかの評判で、かくいうアルネイドもネコ先生の丸い体を撫でて癒されている真っ最中である。まったく、エリスの如き問題児を相手にした後はこれに限る。
「どーでもいいことだが、ネコ先生の毛並み、相変わらず綺麗だな………」
ネコ先生の栄養状態は本日も良好である。良好すぎて数日絶食させたほうがいい気がするが、まあネコ先生はノラ猫である。飲食は自己責任でやってもらおう。
「よし、そろそろ行くか」
最後にポンポンとネコ先生の背中を叩いてから、アルネイドは立ち上がった。ちなみにネコ先生は熟睡しており、起きる気配はまるでない。ノラ猫として致命的な域に達しているといえよう。
「大丈夫なんかねぇ……、このネコは」
恐らくはもう手遅れだ、というのがネコ先生を知る練金科生徒大多数の意見である。
アルネイドの所属するアインベルグ研は第三工房棟の四階にある。その階に足を踏み入れたとき、アルネイドは嫌な予感を覚えた。
妙に、静か過ぎる。
研究室に入ってからも座学の講義はあるから、研究室のメンバー全員が揃うことはあまりない。とはいえ誰もいないという事態はこれまであったためしがなく、今も誰かがいるはずである。
「なのにこうも静かということは………」
ヒシヒシと強くなる嫌な予感に頬をヒク付かせながら、アルネイドはアインベルグ研のドアを開き中の様子を窺う。
「ああ、やっぱり………」
嫌な予感がものの見事に的中しアルネイドは肩を落とした。アルネイドの視線の先には六人ほどの人間が床に倒れこんでいる。白目をむいて泡を吹き痙攣している者もいれば、真っ青な顔をして苦しそうに唸っている者もいる。一見して明らかに大丈夫でない光景だが、しかし脱力するアルネイドに慌てる様子はない。なぜなら、嬉しくないことにアインベルグ研においてこういう事態はたびたび起こるからである。
「また一服盛られたのか………」
アルネイドの言葉を証明するかのように、六人のすぐ傍にはマグカップが転がっていた。たびたび床に落とされても割れない頑丈な品である。中身はこぼれて床に広がっており、これが赤かったらどう見ても殺人現場だよなぁ、とアルネイドは現実逃避を試みた。
が、それもあえなく失敗し彼の視線は一つのマグカップに固定された。
それはテーブルの上に鎮座していた。
それはまだ中にコーヒーが入っていた。
それはアルネイドのマグカップだった。
ゴクリ、アルネイドは生唾を飲み込んだ。この状況から、そしてこれまでの経験から考えて間違いなくあのマグカップにも一服盛られている。
(落ち着け!まだ状況は絶望的ではない!)
毒を盛りこの状況を作り出した犯人の姿は、今ここにはない。ならば犯人に見つからないうちにあのマグカップの中身を流し台に捨ててしまえば、アルネイドは六人の如き臨死体験を行わずに済むのだ。
(悪く思うなよ。オレはまだ死にたくはない)
アルネイドは素早く、しかもなぜか足音を立てずに室内を移動してテーブルの上に鎮座しているマグカップを手に取る。そしてそのまま流し台の前に行き、後は中身を捨てるだけとなったまさにその時。
白く細い手が後ろから伸ばされ、マグカップを傾けようとしていたアルネイドの手をガシリとつかんだ。
「あ~ら、アルネイド君ったら、せっかくわたしが淹れて上げたコーヒーを飲まずに捨てようとするなんて………。お姉さん悲しいわぁ~」
「シェシェシェシェリル先輩!?」
背中から抱きつくようにしてアルネイドの動きを封じたのは、アインベルグ研では紅一点のシェリル・レッドローズだった。ワインレッドの髪の毛に紺碧の瞳。目鼻立ちは非常に整っており、泣き黒子が印象的な美女である。
そのような美女に後ろから抱きつかれるというおいしいシチュエーションにもかかわらず、しかしアルネイドは命の危機を感じていた。柔らかくて温かいものを押し付けられた背中には、その感触を楽しむ余裕もないほど冷や汗が流れている。
なぜなら、この先輩こそがコーヒーに毒を盛り六人を毒殺(いや死んではいないが)した張本人だからである。
シェリル・レッドローズは練金科修士課程の一年(M1)である。成績は極めて優秀であり、整ったその容姿も合わせて学院内での彼女の人気は相当高い。才色兼備を体現する彼女は一部の学生から「赤バラの女王」など呼ばれてもいる。
しかし、アインベルグ研でのシェリルの通り名は少し異なる。そこで彼女は「毒バラの女王」と呼ばれていた。
シェリル・レッドローズは一つ厄介な趣味を持っている。それは「毒物(決して薬物ではない)の調合とそれを用いた人体実験」である。つまり彼女は日夜毒物を作ってはそれを研究室のメンバーたちに飲ませて楽しんでいるのだ。
もっともシェリルも心得たもので、致死量の毒を盛ることは決してない。それどころか後遺症が残ったり、長時間効果が続くといったこともない。
すぐ効き、すぐ治る。どうやらそれがシェリルのポリシーらしい。
もっとも、だからといって毒物を飲まされる側が安心できるわけもない。死にはしないかもしれないが悶絶は確実なのだ。すぐさまコーヒーを流し台に捨てようとしたアルネイドの行動も当然であろう。
ちなみに、学院には薬学科という学科もあるのだが、なぜシェリルがそちらに行かなかったのかと言うと、
「わたしが興味を持っているのは毒よ。薬じゃないわ」
とのことらしい。なんでもお薬を調合するのは「毒バラの女王」としてポリシーに反するとかで、まったく毒にしかならないポリシーである。
まあ、それはそれで良いとして(いや、良くはないのだが)。目下アルネイドにとって最大の問題は、この状況をいかにして打開するかである。
「む、虫!そう、虫が入ってたんですよ!!」
「やだわぁ、アルネイド君。わたしが淹れたコーヒーに虫が入るわけないじゃない」
つまりは虫も寄り付かぬほどの毒を盛ったのか!知りたくもない情報を知ってしまったアルネイドは心の中で絶叫した。
「さあ、アルネイド君。飲みなさい?」
優しげなその口調が、今はことさらに恐ろしい。そもそもシェリルは彼のことを普段は「アル君」と呼んでいるのに、今はこれ見よがしに「アルネイド君」である。その差がシェリルの怒りを如実に表しているように思えた。
シェリルの手がマグカップをアルネイドの口元にいざなう。が、しかしそれを飲めば悶絶確実である。そのためアルネイドも力の入らない体で必死に抵抗する。
「ふっ………」
「??!!?!?!」
アルネイドの体がビクリと震えた。シェリルが彼の首筋、耳の後ろ辺りに息を吹きかけたのだ。アルネイドの体からなけなしの力が抜け、そしてついにマグカップが彼の唇に触れ、なかの黒い液体が口の中へと流し込まれる。
「ぐは!!」
こうして七人目の犠牲者が生まれたのであった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
一時間後、アインベルグ研には零してしまったコーヒーを片付けるついでに拭き掃除を終えた学生たちが各自で淹れたコーヒーで一息ついていた。ちなみにシェリルが「わたしが淹れてあげようか?」と言ってくれたのだが、さすがに全員が「止めてください!」と泣きつき、どうにか二次災害は防がれた。シェリルは不満げだったが十中八九日ごろの行いのせいなので諦めてもらうしかない。
「あ~、くそ。ひどい目にあった」
アルネイドの同級生がそうぼやく。確かにひどい目にあっているのだが、それをぼやくだけで済ませてしまうあたり、随分と馴染んでしまったといえるだろう。
「お前らなんかまだいいよ。オレなんかシェリル先輩のいっこ下だからなぁ………」
微妙にたそがれているのは六年生の先輩だ。練金科で研究室に配属されるのは三年からなので、彼はかれこれシェリルと三年の付き合いになる。その間にどれだけの毒入りコーヒーを飲まされてきたのか、考えるだに恐ろしい。
『コーヒーが飲みたきゃ、自分で淹れろ』
研究室に入りたての頃、この先輩にそういわれた。その時はなんとなくいい気はしなかったのだが、今となってはそれがまぎれもなく後輩を気遣う心からなされた忠告であったことが分る。
ちなみになぜシェリルのことを直接教えてくれなかったのかと言うと、「何も知らない新しいメンバーに一服盛って悶絶させるのが、この時期のシェリル先輩の一番の楽しみだから」だそうだ。
『それを邪魔したなんてばれたらどんな目にあうか………』
心底恐ろしそうに震える先輩の姿を、今となってはアルネイドも笑えない。来年、研究室に後輩が入ってきたら彼もやはりこう言うのだろう。
『コーヒーが飲みたきゃ、自分で淹れろ』
と。その言葉でいつか全てが伝わると信じて。
「おや、皆さん。おくつろぎで」
そんな穏やかな声と共に部屋に入ってきたのは、シェリルと同じくM1のノルディス・カートンである。彼は「室長」と呼ばれる研究室における学生たちのまとめ役であり、アインベルグ研におけるナンバー2だ。修士課程は二年なので普通はM2が室長になるものなのだが、今年アインベルグ研にはM2がいなかったので最年長のノルディスが室長になったのである。なぜ同学年で才色兼備のシェリルが選ばれなかったのかは、あえて語らずとも良かろう。
試作品のミーティングから戻ってきたらしいノルディスに研究室にいたメンバーたちも挨拶を返す。穏やかな性格の彼は人望も厚い。
「私にもコーヒーを一杯もらえますか?」
「今淹れるわ」
嬉々とした様子でシェリルがノルディスのマグカップを取りコーヒーを淹れる。その様子を他の七人はなんともいえない表情で見守っていた。
「はい、どうぞ。新作です」
言っておくがシェリルの言う「新作」とは決してコーヒーのブレンドのことではない。コーヒーに混入してある毒物のことである。
「どうもありがとう」
ノルディスとてシェリルの淹れてくれたコーヒーに一服盛ってあることくらい承知している。そしてシェリルの言葉からも分るように、彼女もそれを隠す気はない。にもかかわらずノルディスは何の躊躇も見せずにコーヒーに口をつけた。
「………いかがです?」
「う~ん、あんまり他の人には飲ませないほうがいいね」
もう手遅れです、と約一時間前に毒入りコーヒーを飲まされた七人は心のうちで声を揃えた。そんな後輩たちの心の声には気づくこともなく、ノルディスは何ごともない様子で再びコーヒーを啜る。そう、ノルディスにはシェリル特製の毒薬がなぜか効かないのである。
「残念!次こそはノルディスも悶絶させてみせるわ!
シェリルは悔しそうに、しかしどこか嬉しそうに笑いながらパチンと指を鳴らした。何をしてもさまになって見えるのは美人の役得だろう。
「はは、お手柔らかに」
ノルディスはあくまでも穏やかに微笑みながらコーヒーを啜っている。たった一口でアルネイドたちを撃沈したのと同じコーヒーを飲んでいるとはどうしても信じられない光景である。
ノルディスにシェリルの毒が効かない理由について、アインベルグ研のメンバーたちは二つの仮説を立てている。それは、
「ノルディスが鉄の胃を持っていて、単純に毒が効かない」
という説と、
「実はシェリルはノルディスに惚れていて(あるいは両想いで)、そのため彼のコーヒーにはそもそも毒を入れていない、あるいは少量しか入れていない」
という説である。
アルネイドが支持しているのは前者の説だ。というよりも、そうであって欲しいと願っている。そうであるならば、宿願かなってノルディスをも悶絶させる毒を調合したとき、シェリルは晴れてそのアブナイ趣味から卒業してくれるのではないかと淡い期待を、一縷の希望を抱いているからだ。その希望にしがみ付いて日夜彼女の横暴にアルネイドは耐えているのである。
もっともノルディスでさえも悶絶するような、そんな強烈な毒をシェリルが作り上げたとして、間違いなく彼女はその実験に研究室のメンバーを巻き込むだろう。その毒を飲まされたとき、無事に生き残れる自信がアルネイドにはない。
「お、いいな。いいな。ワシもコーヒー飲みたいな」
軽い足取りで部屋に入り、軽い口調でコーヒーを所望したのはこの研究室を預かるアインベルグ教授である。六十過ぎで頭も真っ白になっている老人なのだが、この通り妙にノリが軽く威厳にかける。
「うるさいです。ウザいです。コーヒーぐらい自分で淹れてください」
そう言って絶対零度の声で教授の要望をバッサリ切って捨てたのはシェリルである。冷たいその反応にアインベルグ教授はわざとらしく落ち込んで、泣き真似をしながら床に「の」の字を書く。そんな教授の哀愁漂う(?)背中に、シェリルはまるでウジ虫でも見るかのように嫌悪の視線を向けた。先ほどまでノルディスに向けていた笑顔と比べ、凄まじいほどの温度差である。
シェリルのこの過激な反応にはもちろん理由がある。聞いた話によれば彼女がまだ研究室に入りたてのころ、怖いもの知らずのシェリルは教授のコーヒーにも一服盛ったという。アインベルク教授はどうやらノルディスのような鉄の胃袋は持っていなかったらしく、やはり一口飲んで悶絶することとなった。
問題はその後だ。
やはり一時間弱で回復したアインベルク教授は、「お仕置きじゃ!」と奇声を上げてシェリルにセクハラかましたという。以来、教授はシェリルから汚物認定を受け、ことあるごとに絶対零度で慇懃無礼な言葉の暴力を受け続けている。
ちなみに直接的な暴力に訴えないのは、
「触ることさえ汚らわしい」
からだとか。
アルネイドら研究室のメンバーたちの意見としては、「どっちもどっち」というあたりでおおよその一致を見ているのだが、じーさんと美人なら美人の味方をするのが男の子という生き物である。なのでこの件に関してアインベルグ教授は孤立無援のはずなのだが、どうにもそれが堪えている様子はない。それどころか最近では、
「シェリル先輩に虐められて悦んでるんじゃね?」
とまで言われ始めている。ネコ先生と同じくもはや手遅れなダメさ加減であろう。ネコ先生はネコだからまだ可愛げがあるが、アインベルグ教授はじーさんなのでウザいだけで可愛げなどない。その点、ネコ先生よりさらに救いようがないといえる。まあ、より根本的な問題として救いたいと思う物好きなどいないのだろうが。
「ワシ、教授なんじゃがな!偉いんじゃがな!」
イジケてみても誰にも慰めてもらえなかったアインベルグ教授は、今度は立ち上がって権力を振りかざす作戦に出た。しかしつい先ほどまで威厳の欠片もなくイジケていた人間が、とつぜん偉ぶってみたところでおののくものなど誰もいない。
「喋らないでください、空気が汚れます。というよりサルはサルらしくさっさと山に帰ったらどうですか?率直に申し上げて体臭が臭いです」
「ワシ、今さっき帰ってきたところじゃがな!」
「ここに、おサルさんの居場所はありませんよ?」
「ココ、ワシの研究室!ワシ、教授!」
わりと切羽詰った様子でそう主張するアインベルグ教授を、シェリルは興味なさそうに無視した。あまりかまってやると今度は図に乗ると分っているのだ。無視された教授は再びイジケて(今度はけっこうマジだ……)部屋の隅で座り込む。その背中はさすがに哀れである。
シェリルの容赦のない対応も今となっては見慣れたものだ。研究室に入りたての頃に頬を引きつらせて右往左往していた自分が懐かしい、とアルネイドは思った。
(いかん……。毒されてきたか………?)
毒なだけにこれまたシェリルが原因であろう。「毒バラの女王」の異名はダテではない。純朴で純心だった頃の自分が懐かしい、とアルネイドは黄昏た。
「言っておくけれど、入りたての頃からあなたは純朴でもなければ純粋でもなかったわよ?」
呆れたように指摘するシェリルに、他のメンバーたちも深く頷いて同意する。失敬な。自己紹介で「コネを作りたいです。協力してください」と言うほど純朴で純粋で研究に熱心なのに。
ちなみに研究室に入った学生は、他学科の学生と協力して試作品を三つ以上製作しそのレポートを提出することが卒業要件となっている。なのでここでいう“コネ”とは、試作品を作るのに必要になる他学科との繋がりを指している。だからアルネイドが研究に熱心なのは間違いないだろうが、わざわざ“コネ”という単語を使うあたり、“純朴”や“純粋”とはかけ離れた人間性というべきであろう。
「君たち!ワシのことを無視せんでくれるかな!!」
部屋の隅っこでイジケていたアインベルグ教授が、だれもかまってくれないので寂しくなって騒ぎ出した。しかし教授が騒ぎ出すのとほぼ同時に、一匹の白いデブ猫が開けっ放しにされていた研究室のドアから入ってくる。
「ニャ、ニャ~」
「「「ネコ先生!!」」」
アインベルグ研に訪れた珍客はネコ先生であった。妙に野太い鳴き声を上げ、激しい運動をした後のように肩で息をしている。息をするたびに元々丸いネコ先生の体が、さらに風船のように膨らんだ。
思わぬ珍客に、アインベルグ研の生徒たちのテンションも上がる。いや、意図的に上げる。
「ウッソ!?ネコ先生階段上ってきたの!?」
「ネコ先生にまだそんな筋力が残っていたとは………!!」
「いやそれ以前にネコ先生にこれほどのやる気があったとは………!!」
「腹が減ったんじゃねーの?」
「バッカ、腹が減ったくらいでネコ先生が動くかよ」
「あまつさえ階段を上ってくるとは………、有り得ん!!」
「ニャ、ニャ~」
「「「おお………!ネコ先生が吼えた………!!」」」
はしゃぐ研究室のメンバーたち。アインベルグ教授のことはすでに彼らの頭の中から綺麗に消し去られている。
「ていうか、ネコ先生って階段下りれんの?」
「え?上ったんだから下りれるでしょ」
「いやいや、階段は上るより下りるほうが難しい」
「それ幼児レベルの話………」
「ネコ先生の身体能力なめんなよ。椅子から下りれないんだぞ、ネコ先生は」
「まあ、階段から落ちたとしても大丈夫だろ。ネコ先生丸いから」
「甘い。ネコ先生は階段から落ちただけで死ねる。それがネコ先生クオリティ」
「ニャ、ニャ~」
その鳴き声は果たして肯定か、それとも否定か。いずれにしても彼らの半ば以上意図的なハイテンションはそう長くは続かなかった。四階まで階段を上り疲れ果ててしまったネコ先生が四肢を投げ出しだべって寝てしまうと、研究室のメンバーたちは一様に苦笑を浮かべてその丸い体を生温かく眺めた。
「踏まれないようにネコ先生を椅子の上にでも動かしといて」
「え?それじゃあネコ先生下りれなくなるんじゃ………」
「少し絶食させて野生の本能を呼び覚ます」
「いや、死滅してるものは呼び覚ませないだろ………」
「全てはネコ先生のため。ついでに下りれなくて右往左往するネコ先生を見て笑わせてもらう」
「それが本音か………、いや面白そうだけどさ」
かくしてネコ先生の体は使っていない椅子の上に安置された。ちなみにネコ先生の扱いは迷い込んだ研究室の裁量に任せる、という紳士協定が結ばれている。流石に死なせてしまっては非難轟々だろうが、からかって遊ぶ分には問題ない。
椅子の上で呼吸ごとに体を膨らましては縮めて眠るネコ先生。その姿を研究室のメンバーたちは生温かい苦笑を浮かべて眺める。そしてしばらくすると誰かが「さて」と声を上げ、それを合図にしたかのようにそれぞれ自分の作業に戻っていく。およそ一名が忘れさられているが、そのことを気にする者はいない。
「ワシの扱いってネコ以下!?」
気にする者はいない。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
エリス、ゴードンと共に新型魔道銃〈エヴォルブ〉の試作に向けた打ち合わせを行い、そしてシェリルに毒入りコーヒーを飲まされた次の日。アルネイドは第三工房棟の二階にある、アインベルグ研の資材置き場にいた。〈エヴォルブ〉の核として使う魔石を合成するため、その材料を取りに来たのである。
「げ、魔晶石切れてんじゃん」
使ったら補充しとけよな、と文句をいいながら仕方がないので少し大き目の木箱を取り、透明な晶石と魔力を抽出する素材をそのなかに放り込んでいく。ずっしりと重くなった木箱を抱えアルネイドは一階へ、つまり機材が揃っている共用の工房へと下りていく。
第三工房棟一階の工房には、まだ人影はなかった。時間帯で言えば一限目の講義が始まることだろうか。社会に出ればもうすでに仕事を始めなければならない時間だが、一限目の講義がない生徒はまだ寝ているものも多い。かくいうアルネイドとていつもならばまだ寝ているか、起きていたとしても眠気が取れない時間帯だ。
ではなぜ生活のリズムを崩してまで早起きしこの時間を選んだのかというと、人気のないこの工房を見れば分るようにこの時間帯は穴場なのだ。三つの研究室で一緒に使っているこの工房はいつもならば手狭だ。しかし情熱も睡魔には負けるこの時間帯ならば、工房を独占して作業を行うことが出来る。
自分以外に人影のない工房で、アルネイドは黙々と準備を進める。抱えていた木箱を端っこの作業台の上に置き、そして魔晶石を作るための抽出器を用意する。そして棚の引き出しから専用のピンセットと抽出に用いるミスリル製の糸(針金)を取り出し、椅子に腰掛け作業台に向き直った。
さて、と呟いてアルネイドは抽出器のてっぺんに魔力を取り出す素材を押し込み、透明な晶石は一番下にある台座に固定した。そして右手に持ったピンセットでミスリル糸をつかんで、素材を押し込んだ器の下に飛び出ている突起に引っ掛ける。そのままピンセットで軽く引っ張りながら、すぐ下にある結晶体を選んでミスリル糸を一巻きだけ巻きつける。そして左手で素材を押し込んだ器に触れ、少しだけ魔力を流してやる。すると器から淡い緑色の光が発せられ、その光はミスリル糸をたどって結晶体まで伸びた。
それを確認するとアルネイドは同じように結晶体に糸を巻きつけたり、あるいは金属片に引っ掛けたりしながらミスリル糸を下へ下へと、晶石を安置した台座まで導く。全ての結晶体や金属片を経由しているわけでないし、また多くを経由すればいいわけでもない。ミスリル糸を伝う緑色の光。その光がより鮮やかに、そしてより透明度を増すように経由する場所を選んでいるのだ。
一番上から一番下までたどり着いたミスリル糸を、アルネイドは台座のすぐ上に固定された細長い八面体の真ん中にまきつける。これで準備は完了だ。最後にもう一度上から順に確認し、「よし」と頷いてからアルネイドは流す魔力の量を増やす。すると上の器から伸びミスリル糸を伝う緑色の光もその明るさを増し、そして一番下、糸の終着点である八面体の下から細い緑色の光が晶石向けて照射された。すると晶石もまたその光を受けて鮮やかな緑色に輝く。こうやって素材に宿る魔力を晶石に移し魔晶石を作るのだ。ちなみに光の色は属性を表し、緑ならば風、赤ならば炎、と言ったふうになっている。
――――生物はその種に従い、特定の魔力波長を持っている。
自然界に存在するこの絶対の摂理こそが、こんな面倒くさいことをやらねばならない理由である。
人間が魔道具を使おうとする場合、その魔道具は人間の魔力波長で動くように設定されねばならない。しかし魔獣から剥ぎ取った牙や爪、あるいは霊木から採取した枝などといった素材をそのまま使うと、つまりもともとの魔力が残った状態で使おうとすると、人間の魔力と素材の残留魔力が干渉しあって魔道具は上手く動かない。
そこで必要になるのが、〈抽出〉と呼ばれる作業である。つまり素材から魔力を取り出し、残留魔力がゼロになるようにするのだ。
しかしこの時、抽出した魔力をそのまま捨て去っていてはもったいないことこの上ない。そこで抽出と同時に波長変換、つまり素材が持っている固有波長を人間が扱える魔力波長に代えてやるのだ。抽出器についていた結晶体や金属片を経由させて、光がより鮮やかに、そしてより透明になるように調整する作業がこれに当る。そしてそのようにして波長を調整した魔力を〈晶石〉に照射し蓄えるのだ。
晶石それ自体は魔力を持っていない。しかし晶石は至近距離から照射された魔力を蓄える、という性質を持っている。この性質を用いて魔力を蓄えさせた晶石は〈魔晶石〉と呼ばれる。ちなみに一番最初の魔晶石は人間が直接魔力を込めて作られたという。
魔晶石は“最も原始的な魔石”、と表現することもできるだろう。魔力という力を持った石であり、術式を刻むことでさまざまな効果を発現させることが出来る。しかしながら魔道具の種類が多様化するにしたがって、魔石はより高い性能と目的にあった性質が求められるようになった。
そこで行われるのが〈合成〉と呼ばれる作業だ。合成というのは、その名の通り複数の素材を混ぜ合わせて任意の魔道具素材(魔石を含む)を作る作業である。一般には〈錬金〉と呼ばれることもあるが、厳密に言えばこの語は錬金術士の仕事全てを指すものなので少しニュアンスが異なる、というべきだろう。もっとも錬金術師の仕事のほとんどは合成なのだが。
一時間ばかりで持ってきた素材から残留魔力を抽出する作業は終わった。作業台の上には色とりどりの魔晶石が置かれている。
アルネイドは抽出器を片付けると、乳鉢と乳棒を取り出し魔晶石をすりつぶして粉末にしていく。さすがにそのままのでは他の素材と合成できないからだ。魔晶石は脆い結晶体なのですぐにサラサラの粉末状になる。
魔晶石が完全に粉末状になると、それを魔力を抽出した素材の種類ごとにガラス瓶に入れていく。最後にガラス瓶のラベルに素材の種類を書き込めば一通りの作業は終了である。後はこのガラス瓶から必要に応じて粉末状の魔晶石を取り出し使えばよい。
「よし、下準備完了………」
粉末状の魔晶石が入れられたガラス瓶を作業台の上に並べ、ほんの少しの満足感を浮かべて頷くアルネイド。
「さて、では今度こそ魔石の合成を………」
「お、アルネイド、魔晶石作っといてくれたんだ。サンキュ、サンキュ」
アルネイドが魔石を合成しようとしたその矢先、彼がつい先ほど作った粉末状の魔晶石、が入ったガラス瓶がごっそりと掠め取られた。掠め取った男はさも当然と言った足取りで、そのまま魔石を合成するためのスペースに向かう。
「ちょ!?ラウ先輩、そりゃないですよ!」
アルネイドの成果をごっそり掠め取っていた男はラウグリッド・アウゼン。錬金科の五年でアインベルグ研に所属している。つまりアルネイドの先輩である。非難の目を向ける後輩に対し、ラウグリッドは思いかけず真剣な声でこういった。
「アル、お前まだ資料調べてないだろう?」
――――ギクリ。
アルネイドの背中に冷や汗が伝う。合成によって任意の魔石を作るとは言っても、でたらめに材料を混ぜて望んだとおりの結果が得られるわけもない。全く情報がないのなら手探りでやっていくしかないが、幸いなことに各研究室にはそれまで作られた魔道具素材のデータが資料として残っている。なので合成を行う前にはこれらの資料を調べ、ある程度のヒントや見通しを立てておくのが鉄則とされていた。
昨日はネコ先生を椅子の上に安置したあと、なぜかトランプ大会になってしまい、その後目覚めたネコ先生が椅子の上で右往左往するのを眺めて楽しみ、そうこうしているうちに腹が減って寮に帰ったので、つまりアルネイドは資料調べをまだなにもしていない。
「研究室の予算だって限られてるんだから、やたらめったらサンプル作りまくるなんてできないんだぞ」
分ってるのか、とラウグリッドはアルネイドを強い視線で見据えた。正論で論破されてしまい、アルネイドも反論が出てこない。後輩を黙らせたラウグリッドは清々しいまでの笑顔を浮かべてさらにこう言った。
「コレは俺が有効利用してやるから、お前は資料と睨めっこして来い」
「自分で抽出したくないだけですよね!?面倒くさいから!」
「いや~、昨日は魔晶石切れちゃってさ。まだサンプル全部作りきれてないんだよね~」
アルが魔晶石作っといてくれて良かった良かった、とラウグリッドはにんまり笑う。それは策略を成功させた策士の笑みだった。
まさか、とアルネイドの脳裏に嫌な予感がよぎる。その予感を確かめるべく、彼は頬を引きつらせながらラウグリッドに話しかける。
「ラウ先輩、つかぬ事をお伺いしますが………」
「ん?なにかな?」
「先輩はいつ、こちらにいらしたので?」
普通に考えれば「ついさっき」だろう。アルネイドにしてもできればそう答えてほしい。しかしラウグリッドの答えは残酷なまでに予想通りった。
「いや~、一時間くらい前に工房を覗いたらアルが一生懸命魔晶石作ってるからさ、こりゃ邪魔しちゃ悪いかと思って、ね」
つまりラウグリッドもまた人気の少ないこの時間に昨日のサンプル作りの続きをしようと思っていたのだ。しかしそのためにはまず切らしている魔晶石を作らなければならない。さて面倒だなと思っていたその矢先、なんと後輩のアルネイドがせっせと魔晶石を作ってくれているではないか。「これ幸い、押し付けちゃれ」と思い、四階の研究室あたりで待っていたのだろう。
「来てたんなら手伝ってくださいよ!」
「いや~、あっはっはっはっは」
笑ってごまかすラウグリッド。そんな彼の胸ぐらをつかんで前後に振るアルネイド。勝敗はラウグリッドの鉄面皮に上がった。
どれだけ状況が気にらなくともラウグリッドの言葉は正しい。まして彼は先輩である。先輩に正論を説かれれば後輩としては従うしかないのである。
「魔晶石、残しといてくださいよ………」
「いや~、あっはっはっはっは」
「残しといてくださいよ!」
「あーはっはっはっは」
アルネイドの懇願もラウグリッドの鉄面皮は貫けなかった。午前中、必死に資料をまとめて合成すべき魔石についておおよその見通しを立てたアルネイドが、午後から勇んで工房に突撃してそこで見たものは、サンプルを作り終え達成感を滲ませながら大きく背伸びをするラウグリッドと四分の一程度しか残っていない魔晶石であった。
「足りない………。作り直しだ………」
「日々精進だ、若人よ」
朝日が君を呼んでいる、と清々しい笑顔でのたまうラウグリッド。思わず殴りたくなるアルネイドであった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
魔石の合成とは、基本的にトライアルアンドエラーである。
無論、資料に残っているものと全く同じものを作るのであれば失敗はしない。しかしそれは商品の作り方だ。そして今アルネイドが作ろうとしているのは商品ではない。試作品である。
魔石の性能は合成してみるまではわからない。ほんの一匙配合比率が異なっただけで、完成した魔石の性能に大きな差がつくことなどザラにある。だからこそ全く新しい組み合わせで魔石を合成するときには、数多くのサンプルを作る必要がある。それらのサンプルを比べて最も良い配合の比率を探すのである。
「さて、今度こそ準備完了………」
ラウグリッドに消費されてしまった魔晶石を補充し終え、アルネイドはそう呟く。そして思わず周囲を警戒する。自分の約一時間の成果を掠め取ろうとする不届き者がいないことを確認すると、アルネイドは大きく安堵の息をついた。
魔晶石の粉末が入ったガラス瓶を他の素材共々木箱に入れ、アルネイドは午前中のラウグリッドと同じく魔石を合成するためのスペースに向かう。
魔石の合成が基本的にトライアルアンドエラーであるとはいえ、まったくの手探りで行うことはそうそうない。多くの職人たちは自身の知識と経験に基づき、ある程度の見通しを立てることができる。
加えて学院では使える素材の種類が限られている。使える素材が限定されていれば、自然と情報は蓄積されていく。先輩たちが残してくれた過去の資料を調べれば、ヒントくらいは見つかるものだ。
そして、アルネイドにはさらにもう一つ、他人が持ち得ないアドバンテージがある。
もう一度辺りを見渡し、工房にいる学生たちがそれぞれ自分の作業に没頭していることを確認してから、アルネイドは眼鏡を外した。
その瞬間、アルネイドの目に映る世界はその姿を一変させた。
全ては色あせて灰色に染まり、命あるモノ、魔力を持つモノだけが、アルネイドの世界では光を放っている。
アルネイドには、人には見えないものが見える。音が、臭いが、感情が、そして魔力が、彼の目には映るのである。
アルネイドの祖父はこの能力のことを〈共感覚〉と読んでいた。
共感覚とは、簡単に言えば「一つの刺激に対して複数の感覚が反応すること」といえる。例えば暖色系の色を見れば温かく感じ、寒色系の色を見れば寒く感じる、というのも共感覚の一つといえるだろう。
このように共感覚は一般の人間であっても持っているものだが、稀にその感覚が突出している者が現れる。そのような人間のことを〈共感覚者〉と呼ぶ。
アルネイドはその共感覚者である。そして彼の共感覚は他の共感覚者と比べても“強力”であった。
(“強力”といえば聞こえはいいが、実際呪いみたいなもんだよな………)
アルネイドは自身の能力についてそう思っている。昔ほど強くそう思っているわけではないが、このベクトルの方向は生涯変わることはないであろう。
見ている世界が他人と違うということは、すなわち他人とは別の世界に居るということに等しい。すぐ近くに居るはずなのに、手を伸ばせば届くはずなのに、しかしアルネイドにとってはそこに決して越えられない“世界”の壁が存在しているのだ。少なくとも昔の彼はそう感じていた。
いや、祖父が作ってくれた共感覚を矯正するための眼鏡がなければ、今でも彼はそう感じていたに違いない。この眼鏡を初めてかけたとき、世界はかくも彩りに溢れていたのかと、不覚にも涙を流してしまったものである。
しかし共感覚を矯正するための眼鏡があるとはいえ、アルネイドの共感覚そのものがなくなったわけではない。この先ずっと、彼はこの能力と折り合いをつけながら生きていかなければならないのである。そしてその“折り合い”をつけるべくアルネイドが自らの歩むべき道として選んだのが、錬金術師としての道だったのだ。
もっとも、アルネイドが錬金術師になろうと思い立った背景には、彼の祖父の存在も大きく関わっている。
アルネイドの祖父は、世間では珍しい万能型の職人だった。しかし、いや、だからこそ、というべきだろうか、彼はどの分野においても一流にはなりきれなかった。そして彼自身そのことを自覚し、それが一抹の後悔へと繋がっていた。
「ワシのような器用貧乏にはなるなよ」
ことあるごとにアルネイドはそう言われたものである。だからこそアルネイドはただ一つの分野において専門家になることを決め、そして自分の持つ共感覚を最も生かせそうな錬金科を選んだのである。
まあそれはともかくとして。
他の共感覚者がどうなのかは知らないが、アルネイドは魔力を目視することができる。そしてその能力を使えば、完成してからでなければ確かめることのできない魔石の性能を、素材を調合する段階からある程度見極めることが出来るのである。
アルネイドは魔晶石の粉末を乳鉢に入れ、さらに何種類かの素材を用意する。無論、それらの素材は全て粉末化してある。そしてそれらの素材を匙で丁寧に量って乳鉢の中に加えていく。
加えて混ぜ、加えては混ぜを繰り返し、アルネイドは乳鉢の中で輝く魔力の光を注視する。そしてある素材の粉末を一匙加えたとき、その魔力の光が少し強くなった。それを確認すると、アルネイドは使った魔晶石と加えた素材の種類と分量を細かくノートに記入する。これがサンプル作りの基本配合になるのだ。
アルネイドのようにして基本配合を決め、それからサンプル作りをする職人を彼は自分以外には知らない。しかしこの方法のおかげでアルネイドのサンプルの製作数は、研究室の先輩たちと比べても群を抜いて少なくて済んでいる。
いや、アルネイドが受けている共感覚の恩恵はサンプル作りの効率化などという小さな範囲だけに留まらない。普通、データの蓄積と検証を重ねることでたどり着くべき“最終的な配合比率”というヤツに、アルネイドは魔力を目視することでより直感的かつ直接的にたどり着くことが出来るのである。それは熟練の料理人が味を決めるときに、レシピにかかれた分量を量って入れるのではなく、自分の舌を頼りに調味料を調整することに似ている。
さらに、アルネイドの目をもってすれば異常性素材さえもある程度狙って作ることが出来るのだ。そしてこれこそが、アルネイドが錬金科を選んだ最たる理由である。もっとも、異常性素材を作りすぎれば周囲に不審がられてしまうのでそうそう作ることはない。
基本配合を決めたアルネイドは眼鏡をかける。途端、世界に色が戻り、そして魔力は目視できなくなる。辺りを見渡し色が付いていることを確認すると、なんだか無性に安心した。
この共感覚の能力がなぜ自分にあるのか、アルネイドにもそれは分らない。眼鏡を通して見えるこの美しい世界に果たして自分はいてもいいのだろうかと悩み、眠れぬ夜を過ごしたこともある。けれども今の生活はそれなりに楽しいし、この能力が錬金術師にとって得がたいものであることも理解できる。
(とりあえずあるものは使えばいい)
それが役に立つものならばなおのこと。今はそう考えている。いずれ考え方は変わるのかもしれないが、その時はそのときだ。
乳鉢の中身を空のガラス瓶に入れ、見分けが付くようにラベルを貼り付ける。後はこれを〈錬金炉〉と呼ばれる特殊な炉で加熱し、型に流し込んで成形すれば魔石の完成である。
ただ、これ一個だけでは意味がない。配合比率を変えた別のサンプルと比較し考察して初めて意味があるのだ。アルネイドは乳鉢の中に魔晶石の粉末を入れ、基本配合をもとに次のサンプル作りに取り掛かる。
(別の種類のサンプルも作んないとだな………)
手を動かしながらアルネイドはそんなことを考えた。やるべきことは多く時間は限られている。どうやらしばらくの間、ネコ先生にかまっている暇はなさそうだ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
最初の打ち合わせから一週間後、エリスとゴードン、そしてアルネイドの三人は二度目の打ち合わせを行った。そこでアルネイドは試作したサンプルとそのスペックを記したレポートを二人にわたし、そして主に一人からいろいろと辛口な評価を頂いた。
その場で頂いた意見や要望をもとにもう一度魔石を試作し、それが二人(主にエリスだが)のお眼鏡にかなうと錬金術師たるアルネイドの仕事はひとまずそこで終わりになる。錬金術師の仕事は他の職人が使う素材を作ることで、それらの職人たちが仕事を始めるときにはすでに錬金術師の仕事は終わっていることが多いのだ。
これからエリスとゴードンは意見を交換しながら本格的に〈エヴォルブ〉の試作に入るだろう。門外漢であるアルネイドがそこに関わることは恐らくない。
そのことに一抹の寂しさを、いや羨望を感じることがある。彼らのように互いに意見を戦わせながら一つの作品を作り上げるということを、錬金術師はほとんどしない。錬金術師の仕事は、錬金術師たちの間だけで完結してしまう。
「錬金術師は職人のための職人だからね」
アインベルグ研の室長ノルディスは以前にそんなことを言っていた。同じ職人であっても住む世界が違うのである。
住む世界の違い。それは共感覚者であるアルネイドにとって、他人よりもより強烈なリアリティをもつ言葉である。だからこそ寂しさだけでなく羨望までも感じるのかもしれない。
まあそれはそれでいいとして。
ときどき新しい注文を受けたり、愚痴に付き合ったり、(主に一人から)理不尽に殴られたりしながら新型魔道銃〈エヴォルブ〉の試作は進み、最初の打ち合わせからおよそ一ヵ月後、ついに試射実験にこぎつけた。
ライアット総合学術研究院は巨大な湖の真ん中に位置する島を丸ごと学園にしたものである。つまり学院の周りは全て湖で、〈エヴォルブ〉の試射にはうってつけであるといえた。
とある良く晴れた日の昼下がり。〈エヴォルブ〉の開発を行った三人は、人気のない岸辺に集まって今まさにその新型魔道銃の試射を行おうとしていた。
完成した〈エヴォルブ〉は巨大な魔道銃だった。なにしろ銃身だけで一メートル弱もある。抱え込んで使うことさえも難しく、仕方がないので三脚をつけて地面に下ろし、狙撃銃のようにして使うことになった。
「じゃ、始めるわよ」
そういってエリスは〈エヴォルブ〉を構えて魔力を込める。ちなみにエリスが狙撃手に選ばれたのは、三人の中で彼女が一番魔力量が多かったからだ。〈エヴォルブ〉は出力を上げた魔道銃だが、出力が高いということは必要になる魔力量も多いということで彼女が選ばれたのだ。もっとも、そんな理詰めの理由が無かったとしても、こんな面白そうな役目をエリスが誰かに譲るなど考えられないが。
エリスが魔力を込めるにつれて、〈エヴォルブ〉のフレームの継ぎ目などから淡く光が漏れ出す。順調に魔力が充填されている証拠だ。
「行くわよ………!銃身展開!!」
珍しく緊張をふくんだ声と共に、エリスは〈エヴォルブ〉のフレーム側面に付いたレバーを引く。すると、〈エヴォルブ〉の長大な銃身が上下に展開された。
その光景を見てアルネイドは内心で拳を握った。銃身の展開は〈エヴォルブ〉の肝だ。直接関わっていないとはいえ、それが上手くいったことにやはり喜びは隠せない。
「魔法陣展開!!」
やはり緊張を含んだエリスの声と共に、展開した〈エヴォルブ〉の銃身を囲うようにして五つの魔法陣が展開される。そして「ヴィィィィィン……」という低い駆動音と共に銃身を展開することで開いた空間に高エネルギーが充填されていく。
そして、ついに………。
「発射ぁ!!」
歓喜と緊張、そしてほんの少しの不安が混ぜこぜになった声と共に、エリスは引き金を引いた。
その瞬間、真っ白い光がアルネイドの視界を焼いた。その強い光の中を、さらに強い光を放つ一筋の閃光が〈エヴォルブ〉の銃口から発射される。発射された閃光は水面の上を三秒以上も駆け抜けて着水し、そして十メートルはあろうかという巨大な水柱を上げた。
これまでの魔道銃では決してありえない威力。実験は成功したといっていいだろう。
「うおぉ!スッゲー威力!」
「まだまだ。チャージ時間が長すぎるわ。要改良、ね」
「そうだな………。もう少し小型化せにゃ、使いづらいだろうな………」
三者三様に感想を口にする。しかし充実した達成感だけは三人に共通していた。
「………ところで………」
しばらく水面を眺めていると、ゴードンが口を開く。
「今、水柱に小舟が巻き込まれたように見えたんだが………」
「え?」
「はい?」
なんですと。