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現れたのは、過去の――

 カタンッと音がした。

 さっきまでは、室内にある時計の音だけが響いていた部屋。その物音に気付いた由希は、重たい目を擦りもぞもぞとベッドから起き上がった。

 月明かりに照らされた室内にある時計が刻む時刻を確認し、まだ五分あるから大丈夫だと安心して、またベッドに潜り込もうとしてその動きが止まる。

 窓の前に、人が立っていた。


「あれ? 寝るんじゃなかったの?」

「え、あ……」


 黒いマントを羽織って、フードを被っているその男は、窓の前に立ってくすくす笑っている。口元しか見えないその男の、笑った時に覗いた歯は鋭く尖っており、月明かりに照らされ妖しく光っていた。


「だ、誰…です、か?」


「ん? 俺の事、覚えてないの?」


 「酷いなぁ」と言ったその男は、(おもむろ)にフードを取った。フードから現れたのは、綺麗な腰ほどまである長い髪。

 そして整った顔立ち。瞳は――血の様に赤い。


「あ、あ…」


 美し過ぎるその男に、言い様の無い恐怖を感じてしまった。

 会った事もない、知らない男の筈が、由希の体はこの男に拒否反応を起こしている。見開かれた瞳に映るのは、妖しく赤い瞳を細める男。

 震える体で後ずさると、それによって寝ている凌空の体にぶつかってしまい、突然起こった軽い衝撃に、凌空が目を覚ましてしまった。


「ああ゛ー、ねみぃ。由希、もう十二時なっ……由希?」

 目を擦りながら起き上がった凌空は、凌空に背を向けている由希の肩に手を置いた。凌空の触れた由希の肩は、小刻みに震えて居る。それに気付いたのか、不思議そうに横から顔を覗き込んで来る。


「り、く…っ」


 唇は弱々しく言葉を紡ぎ、揺れる瞳は未だあの男を捉えて離せない。


「あっ、キミも起きたんだー。そんなに俺と会いたかったの?」

「な、誰だよアンタ!」


 その男の楽しそうな声で、初めてこの室内に由希達以外の人がいることに気付いたのか、凌空は驚きながら由希を背に隠した。


「おっかしーなあ、まだ思い出さないの? 俺の顔見たら思い出す様にした筈だったんだけど。まっ、いいか! 俺が思い出させてあげるよ」


 妖しく口元を歪めたその男は、右手を高く上げ指を鳴らした。その音は部屋中に反響し、由希達の耳に届けられる。

 その瞬間、由希達の頭の中には、忘れられていた記憶が一気に押し寄せて来た。


『キミが桜木由希? おいで、良い物をあげるよ』

『本当?! 由希に何くれるの?』

『キミが…喜ぶ物――』

『由希! 行っちゃ駄目だああ!!』

『えっ、り…――』

『じゃあ…キミで良いよ』

『り、く…。りく――!!』


 

「な、なんだよ…今の――」


 頭の中に映像として流れて来た出来事に、凌空は痛む頭を触りながら混乱していた。

 幼かった由希と凌空が公園で遊んでいた時、突然現れたマントを着た男は、見るからに怪しい人物であったが、警戒する凌空とは反対に、由希はその男に興味を示していた。

 元々由希は昔から好奇心旺盛で、この時も不思議な雰囲気を漂わせているその男が、気になって仕方が無かったのだろう。ちらちらとその男を盗み見ていた。

 そんな由希の所に、その男は少しずつ近付いて来ると、由希に笑みを浮かべて手招きして来る。

 優しそうなその笑みと声色に、由希はその男に近付いて行ってしまう。

 だがそれに、逸速く危ないと思った凌空は、由希をマントに隠そうとしているその男に突っ込んで行った。


 あの時の男は――


「やっと、思い出した?」


 今目の前にいる、その男だった…。


 あの時の男が、あの時のまま、ここにいる。それが、由希達には不思議でならなかった。だけど由希の記憶には……まだ続きが存在していた。


『りく! ねぇりく!! 起きてよ!』

『予定は狂ったが、餓鬼は餓鬼だからいいか。よかったな? 荒川凌空が助けてくれて』

『や、いやぁ……』

『これでめでたく……荒川凌空は、俺達の仲間に一歩近づいた』

『り、く…。やだよぅ凌空!』

『十年後、荒川凌空は……』


 凌空は――


「ヴァンパイア、に…なっちゃう――?」

「はあ?」


 頭の中の映像とリンクして、由希は本当に映像と同じ様に泣いて叫んで居た。喉は痛く、頬には涙が伝って居る。

 そして傍からは、凌空のすっとんきょんな声が聞こえた。


「由希、ヴァンパイアってなんだよ?」

「え、あ…あれ?」


 凌空の言葉にハッと我に返り、由希は凌空の顔を見上げる。


「ヴァ、ヴァンパイアになってない?! 大丈夫?!」

「だから、ヴァンパイアってなんだよ…」



 何時の間にか、由希の目から流れて居た涙は引っ込み、其れよりも凌空が心配で詰め寄る。慌てる由希とは対照的に、凌空は頭大丈夫かって顔で由希を見つめて居た。


「だ、だって私のせいで凌空が!」

「何言ってんだよ、俺はあの訳分かんねぇ男から庇っただけだろ?」

「だ、だからそのせいで凌空がヴァンパイアになる、って!」


 凌空の体を、ちこち触って、異常が無いかチェックする由希の行動に、凌空は止めろと由希の頭を小突く。

 その時、黙って居たあの男のが、


「くっ…。あは、あはははは!」


 部屋に響き渡る程の音量で笑い出した。その笑いは、何処か人間めいて居る物だった。

 何が可笑しいのか、高笑いの如く笑い続けるその男に、由希も凌空も呆気に取られて居る。


「あはははっ。さっきまであんなに泣いてたのに、もう元気になっちゃったの? ほんとキミって変わってるよね。あー可笑しい」

「あの時、の…人…」


 目尻に溜まった涙を拭い、髪を掻き上げたその男に由希は改めて驚く。


「ね、ねぇ凌空、なんであの時の人がここにいるの!?」

「俺が分かる訳ないだろ!?」

「もしかして泥棒!?」

「それは絶対にない!」


 目を回すほど混乱している由希に対して、凌空は冷静に由希のボケに突っ込みを入れている。


「その前に、なんであの男があの時と同じ姿でいるのか不思議がれよ! そこがまず最初だろ!?」

「あ! そういえばなんで!?」


 凌空の言葉に驚き、目を見開いて腕を組むその男を見る。


「"なんで"? 今更だね、キミがさっき言った通りだけど?」

「え…やっぱり泥棒!?」

「違う違う、もっと、ま・え」

「まえ?」


 前とは何時のだろか?

 首を傾げる由希にその男は、特に何を言う訳でも無く長い髪を靡かせながら、部屋の中を興味深そうに見て回っている。

 壁に貼ってある子犬のカレンダーを見たり、台の上に置いてある写真立てを眺めていた。

 由希は自分が言った言葉を思い出そうと、こめかみの部分をトントンと叩く。


 泥棒じゃなかったし、後なんて言ったんだっけ?

 親戚……は有り得ないし、その前に親戚なんて言ってなかった。


 眉を寄せ考え込む由希の頭の中に、一つの言葉が浮ぶ。凌空はなんだそれと呆れていた言葉。


 それは――


「ヴァンパイア」


 それしか思い付かない。


「はあ? 由希、だからなんでそこでヴァンパイアなんて…」


 由希の真剣な言葉にも、凌空は何ふざけてんだと呆れる。だがそんな凌空の言葉を遮ったのは…


「だーい正解!」


 満足げに微笑んだ、あの男だった。


「流石桜木由希。正解したキミにはアメをあげる」


 はいどうぞと、男は上機嫌にアメを由希に渡す。その急に変わった態度に押され、由希は大人しくアメを受け取る事にした。

 そしてそのアメは、何故か由希にだけ渡され、凌空には見向きもせず、由希達の座るベッドの斜め前にある机の上にその男は座る。


「あ、ありがとう、ございます?」

「こんな男に礼なんて言うなよ! それにアメも貰うな!」

「で、でも折角貰ったし、貰える物は貰わなくちゃ」


 由希が持っているアメを取ろうとする凌空に、由希はアメを取られない様、すかさず凌空とは逆の方に手を向ける。


「そうそう。人間に良い所なんて無いんだから、桜木由希位素直じゃなきゃ。荒川凌空は頭が堅過ぎ、もっと柔軟に物事を考えたら?」

「なんでアンタにそんな事言われなきゃないんだよ?!」


 やれやれと肩を竦める仕草をする男に、凌空は由希からアメを取ろうとするのを止め、歯を剥き出す勢いで声を張る。


「それになあ! なんで俺達の名前知ってんだよ!?」

「そ、そういえば…!」


 凌空の言葉に由希も驚き賛同する。


「ああ、俺の目は見た人の名前が浮き上がって分かる様になってるんだよ」


 片目を閉じ、その閉じた片目を指差す男。


「んな!」

「ええ! 本当ですか!?」


 あからさまに驚く凌空と、目を輝かせた由希はその男を見上げる。

 だが一変…。


「うっそー!」


 と、まるで子供がイタズラに成功した時の様な笑みを浮かべ、ポカンとする由希達を見下ろしていた。


「大体さ、見た人の名前が分かるなんて都合の良い話、有る訳無いでしょ。そんな奴居たら会ってみたいもんだよ」

「アンタが言ったんだろ?!」


 やれやれと呆れた様に溜息を吐き出したその男に、ちょっとでも信じかけた自分に腹が立ったのか、凌空が殴り飛ばそうと拳を振り上げるほどだった。

 由希は本当に信じていたのか、肩を落としベッドの上に置いて居たハートのクッションをいじって居る。


「とまあ、随分話が逸れたけど、何か体に変化は起きた? 荒川凌空」

「変化あ? そんなもんねーけど…」


 壁に掛けられている時計を見た後、未だ不機嫌そうな様子の凌空を見つめる。またよく分からない事をいうその男に、凌空は顔を背けて答える。


「んー、オカシイなあ。もう十二時も過ぎてるし、そろそろだと思うんだけど…」


 腕を組んで綺麗に整えられた眉を寄せるその男は、難しい顔をして天井を見上げている。

 そんな姿に由希は、


「あ、あの…どうしたんですか?」


 ハートのクッションを抱き締めながら、由希は遠慮がちに尋ねる。


「んー? ああ、そろそろ異変が起きても可笑しくないって話。あ"ー、だから人間は面倒だなあ、それぞれ時間が違うから。まあー俺達も変わんないか!」

「あ、あの~…」


 一人で言ってケラケラ笑い出したその男に、由希は様子を伺いながら声を掛けた。


「さっきからずっと気になってたんですけど、"人間"とか、"俺達"とかなんで区別するんですか? 貴方も人間、なのに…」


 ね? っと凌空に同意を求めようとした由希だったが、


「あ、あははははは!!」


 男の笑い声で固まる。


「俺が"人間"? この"俺"が? くくっ、人間のお前達となんか一緒にしないでほしーなあ。さっきも言ったよね? 俺はヴァンパイア。人間なんかとは比べ物にならないほど、高貴な存在」


 妖しく赤い瞳を光らせ、喉の奥で笑いを噛み締めつつ言い出すその男は、恍惚な表情で両手を広げた。


「そして、その高貴な存在に選ばれたのが……荒川凌空、キミだよ」

「だ、だからアンタ、何言って…」


 唇に弧を描き、赤い瞳を細めるその男に、凌空は何故か冷や汗を掻き始め、血色の良かった顔がみるみる内に青ざめて行き、体が震えている。


「り、凌空…?」


 様子の変わった凌空が、由希は不思議で、小刻みに震えている凌空の腕に触れ顔を覗き込もうとする。


「っ、な、なんだ…これ…!」


 凌空は混乱するように自分の体を掻き抱いている。覗き込んだ由希は、凌空の様子の変化に驚いた。

 開かれた瞳は左右に小刻みに揺れ動き、瞳孔が開いたり閉じたりを繰り返す。震えは全く止まらず、呼吸まで浅くなり始めて居る。

 そんな凌空の姿を見て、あの男だけは…


「ほら…始まった――」


 満足げに微笑んでいた。


「ね、ねぇ凌空! どうしたの!?」

「は、ああ…。っ、わ、かんねぇ…」


 苦しそうに顔を片手で覆い、苦笑いを向ける凌空に由希は衝撃を受ける。


 こんな凌空…見たことない。


 生まれた時から一緒に共に居た凌空の、こんなにも弱っている姿を、由希は見た事が無かった。

 風邪一つ引いた事が無いと言っても良い位、体の強かった凌空。そんな元気な凌空が、今はよく分からない物によって苦しめられている。

 凌空が苦しんでいるのに、由希は何も出来ない。そんな自分が、由希は酷く歯痒かった。


「あ、あの! 凌空を……凌空を助けてくださいっ」

「ゆ、きっ。おま…何言ってん、だ…!」

「だ、だって凌空が!!」


 自分じゃ凌空を助けることが出来ないと思った由希は、机の上に足を組んで座って居る男に助けを求めた。

 しかし其れを聞いた凌空は、ベッドから身を乗り出している由希の体を、震えるその手で自分の背に隠そうと引っ張る。

 顔を真っ青にして震える手で、それでも由希を守ろうとする凌空。


 どうして苦しいのに、私の事を気にかけるの?

 私の心配じゃなくて、自分のことをもっと考えればいいのに。


 と、由希は悲しくなる。


「あのさ、なんで俺が助けなきゃないの?」

「え…」


 不思議そうにこてんと首を傾げるその男に、由希も首を傾げる。


「俺に、荒川凌空を助ける義理なんてないんだけど。それに助けるメリットもなーんにもないし?」


 楽しそうに話すその男に、由希は言葉を失う。


「其れと、俺的には嬉しい事だしね。やっと第一段階に入った訳だし?」

「……」

「でもまー俺的に、今此所で全部荒川凌空がクリアしてくれた方が、さっさと帰れるから楽でいいんだけどね!」

「……」

「だからさぁー…」


 唖然として居るしかない由希と、未だ荒い息を吐いて苦しむ凌空に、男は足を組み替え、


 そして…


「早くヴァンパイアに覚醒してくれないかな?」


 それは、悪魔の囁きだった。


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