ヴァンパイアの世界4
「兄さんっ、其れはまだ決まった訳じゃ…」
「何言ってるの、もう決まった様なもんでしょ。リクはサリス嬢のお気に入りだからね~」
慌ててフォローするリュウロだが、結果リズシアによってそのフォローも台無しとなった。ペラペラ話すリズシアに、由希は何も言えず固まったまま動けない。
婚約者。凌空に、婚約者。
何処か十七歳という年齢の由希には現実味を帯びないその単語に、理解するまで時間が掛かった。婚約者等という物は、普通の家庭に生まれた由希には全く縁の無い事だ。金持ちの家だったり、お嬢様だったりしたならば、婚約者等という物も素敵だなと、由希は思って居た。
でも、其れが凌空なんて……。
幾ら頭をフル回転させても、行き着く先は決まって居る。
私は――
「大丈夫? どうかしたの? 桜木由希」
「だい、じょうぶです。凌空凄いですね! お金持ちの人に気に入られるなんてっ」
凌空を、何時もの様に笑顔で迎えるだけ。
パッと笑みを浮かべた由希に、リズシアは激しく驚きを見せた。その一方で、リュウロはほっと息を吐き安心して居る。
「あれー? 想像してたのと随分違ったなあ」
「そうですか…?」
んーっと困った様に頭を掻くリズシアに、由希は笑いながら首を傾げる。
「もっとショック受けるか、泣いちゃうと思ったよ」
「泣いたりなんてしませんよ。嬉しい事じゃないですか! 凌空と結婚してくれるって人が居るなんてっ」
笑みを浮かべ良い事だと告げる由希の一方で、本音は真逆の事を思って居た。
「凌空って私とか仲が良い人にはとっても優しいんですけど、初対面の人とか親しくない人にはぶっきらぼうだし無愛想なんです!」
「確かにね~」
「其れに凌空学校では其れなりにモテモテなのに、誰共付き合わないんです。だから私、将来凌空は結婚出来るのかなぁってずっと不安だったんですよ!」
マシンガンの如くペラペラ話す由希に、リュウロは呆気に取られ、リズシアですら口を挟んで来ない。
「だから、ほっとしてるんです。私は、凌空が幸せなら良い」
「……」
「凌空が笑顔で、元気に過ごしてくれれば其れで良いんです」
でも本当は、凌空がもっと遠くに行ってしまうんじゃないかって怖かった。私は人間。凌空はヴァンパイア。其れだけでも不安だったのに、凌空が知らない人と結婚するなんて考えられ無い。だけど私は、何も言えない。凌空が結婚するんだったら、結婚した方が幸せなんだったら、背中を押してあげないと。それが……一番、なんだよね?
****
「わあっ、何此の部屋凄い!」
「此の部屋、自由に使って良いから」
由希が客室から出て連れて来られた部屋は、白で統一された広い部屋で在った。大きなダブル程の天外付きベッドが左に有り、ドアの前には木のテーブルと白の革のソファ。右には白の洋服箪笥と姿見。そして目の前一面には、バルコニーへと続く天井まである大きな窓が由希の目に飛び込んで来た。
まるで何処かのお姫様が使う部屋の様な立派さに、由希は目を輝かせ部屋に入り一目散に天外付きベッドへとダイブする。バフッとベッドへダイブすると、ベッドの余りのふかふかさにバタバタと足を泳ぐ様に動かし一人で大喜び。
「そんなに騒ぐほど凄い?」
「凄いですよ! 家に有るベッドよりふかふかです!」
「いや、ベッドだけの話じゃないんだけどね…」
困った様に頬を掻くリズシアに首を傾げながらも、由希はベッドから飛び降り部屋をぐるぐる歩き回る。そしてある物を見付け、思わず騒ぎ出してた。
「リズシアさんリズシアさん!」
「なにー?」
「見てください此のうさちゃん!」
「あーうん。可愛いうさぎの置物だね」
「そうですよね! 可愛いんです!! だって此のうさちゃんガラスで、でも目の所は真っ赤な石が入ってるんですよ?! 凄いです!」
掌の上にガラスのうさぎの置物を置き、興奮気味にリズシアに話す由希に、リズシアは苦笑いを浮かべて居た。
うさちゃんに興味ないのかな?
そう不思議に思った由希だったが、リズシアの「その赤い石、ルビーだよ」の一言に、由希の興奮は更にヒートアップする事になったのだった。
そして、一通り部屋の中を見て満足した由希は、今現在テラスに出て空を見上げて居る。リズシアは現在ぐったりとソファに座り、背凭れに項垂れ居る。
「空は、何処に居ても変わらないんだなぁ」
柵の上で頬杖を付きぽつりと溢した由希は、見上げて居た青く澄んで居る空から視線を落とし、其処から見える街の方を見つめて居た。丘の上に立つ此の城からは、街の様子もよく見える。赤茶色のレンガの建物から下を見ると、沢山の人が歩く姿がよく見え、何処からか音楽も此方の方まで聴こえて来る。
その綺麗な音色に耳を澄ませて居ると、直ぐ下の方から誰かが話す声が聞こえて来た。声に下を見ると、綺麗な淡いオレンジのドレスを着た女性と、その人の傍にはスーツをきっちりと着た凌空の姿が在った。二人は綺麗に咲き誇る薔薇を見て居るのか、上に居る由希には全く気付いて居ない様だ。
普段は絶対に上げたがらない前髪を上げセットして居る凌空の姿に、由希は段々と眉が寄って来る。二人が楽しそうに話す姿を見て居る内に、眉だけじゃなく口はへの字に歪み、目も細くなって行くのを感じた。
「ムカツク…」
何時もはそんな風に笑って無いくせに。
由希はぼやきつつ何だか面白く無いと思うものの、其れでもじっと二人の様子を見つめて居た。そんな由希の隣に、徐にに来たリズシアは面白そうに笑って居た。
「あれがドーキ伯爵家の令嬢――サリス・ドーキだよ」
「へー、そうなんですか」
「あれ、それだけ?」
「綺麗な人ですね!」
由希自身も棘がある言い方だなとは思ったが、気付けば口から出て居た。そんな由希の言い方も気にして居ないのか、またリズシアは面白そうに笑う。
「もしかして、ヤキモチでも妬いてるの?」
「妬いてなんかいません!!」
「じゃぁ……嫉妬?」
「違います!」
リズシアの言い方にカチンと来た由希は、リズシアの顔を見ずに不機嫌に答えた。そんな由希に、リズシアは最後に一言――
「リクを盗られそうで恐いんだ?」
「そ! んなこと…あるわけ……」
思わずその言葉にバッとリズシアを見た後、由希は顔を隠す様に俯いた。
凌空に会えたのは凄く嬉しかった。だけど……
「どうして、私を連れて来てくれたんですか?」
「えー? 急にどうしたの?」
笑い混じりに言うリズシアに、由希は相変わらず楽しそうに話す二人を見つめたまま、微動だにしなかった。
「嬉しいんです。凌空のこと好きだって言ってくれる人が居て、嬉しいのに……悲しいんです」
「……」
「こんな風に思うなら、会わない方がよかったかもしれない」
頬杖を付いた手に、涙が伝う。ポロポロと流れる涙は拭わず、只一心に凌空を見つめる。
「じゃぁ、何でキミは記憶が消えなかったんだろうね?」
「え」
「だってキミもリクの記憶が無かったら、こんな泣く事も無かったでしょ?」
そんな事を言われても、どうして自分だけ憶えてたのかなんて知る筈が無い。という思いで、由希は目を伏せた。
「でも何で……キミだけが、憶えてたんだろうね?」
何処か含みのある言い方に、その時の由希は気付く事は無かった。
「そんなの知りません!」
「だよねー。だけど、早くした方がいいかもよ? 明日だから」
「何が、明日なんですか」
目を擦って涙を拭いながら聞く由希に、リズシアは急に真顔になった。
「リクの――婚約パーティ」
ピタリと手の動きを止めた由希は、伏せて居た目をゆっくり持ち上げリズシアを見つめる。
「え、あし、た…?」
「そう。さっきドーキ伯爵と父さんが話してるのを聞いたんだよね」
「……」
「予想以上にリクが気に入ったらしくて、明日にでも婚約パーティをして皆にお披露目するんだってさ」
「どう、して…リズシアさんのお父さんが出て来るんですか?」
「ああ、だってリクは俺の584人目の弟だから」
「必然的に父親でしょ?」何て当然の様に言い退けたリズシアに、今回ばかりは流石の由希も信じなかった。疑いの目で見る由希に気付いたのか、本当だからと笑いながら言う。
「584人も弟が居るなんて有り得ません」
「それが有り得るの。584人って言ったって、本当に血の繋がりが有るのなんて2人だよ? 後は皆俺が人間をヴァンパイアにした奴等ばっかり」
リズシアが直ぐ嘘を吐くのを身を持って経験して居た由希は、やはり中々信じられなかったが、前の様に直ぐ嘘だと言って来ない為本当なのかと信じ始めて居た。
「其れに、リュウロも俺が人間からヴァンパイアにして連れて来た奴だよ?」
「そうなんですか!?」
「そうだよ~、確か301人目だったかな。今からもう60年近く前だよ」
「そ、んなに……」
二十歳程の姿だったリュウロを見た後に聞いた由希は、普通に人間だったらもう六十以上なのかと想像して……慌てて首を振り浮かんで居た画を掻き消す。首を振った後ハタリと気付く、あれ? さっきまで何の話をしてたんだっけ…と。しかしまー良いかと気にせず笑いながら話を続ける由希に、リズシアも気にして居なかった。
しかし、由希は気付いて居なかった。柵に右腕を乗せて由希と話をしつつ、ちらちらと下の方に視線を向け、その度にリズシアが口の端を上げて居た事を。
「リク様? どうかしたんですか?」
「いや、別に……」
本当に、気付いて居なかった。リズシアの事も、そして凌空が――由希達を見て居た事も。
何も……。