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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

本の中へ

作者: 猫治
掲載日:2025/12/17

王都第三魔法図書館には、地図に載らない一画がある。

 地下三層、扉には番号も標識もない。そこを管理するのが司書リュネの持ち場だった。


 彼女の仕事は、魔法書の整理ではない。

 魔法書に「読まれてしまった人間」を、元の世界へ戻すこと。


 魔法書は意思を持つ。知識を欲する者の心の隙間に入り込み、対価として何かを奪う。時間、記憶、未来――そして稀に、人生そのものを。


 返却期限を過ぎれば、その人間は物語の一部になる。


「司書さん……助けて」


 ある晩、返却台の前に、半透明の少年が立っていた。手には分厚い魔導書。

 題名は『初級治癒魔法入門』。よくある本だが、彼の身体はすでに文字で縫い止められ始めている。


「名前は?」


「……思い出せません」


 リュネは頷き、淡々と手続きを始めた。

 名前を失うのは末期症状だ。だが、まだ間に合う。


 彼女は台帳を開き、羽ペンを走らせる。

「貸出理由は?」


「誰かを助けたかった」


 その一文に、リュネの手が一瞬止まった。

 かつて、彼女自身がここに来た理由と同じだったからだ。


 儀式は静かに進む。

 本から余分な文字を剥がし、魂をページから引き剥がす。少年の身体に血が戻り、呼吸が生まれる。


「これで大丈夫。もう本は開かないで」


「司書さんは……?」


 少年が不安そうに尋ねる。

 リュネは微笑んだ。


「私は大丈夫。本を読む側じゃないから」


 少年が去ったあと、リュネは返却棚の奥で、一冊の黒い本を見つけた。

 いつの間にか増えている本。題名は――『司書リュネ』。


 ページをめくると、今日の出来事が、すでに記されていた。


「……また、か」


 彼女はため息をつき、椅子に腰かける。

 司書という存在は、魔法書にとって最も美味な読者だ。知識を拒まず、物語を否定しない。


 それでも彼女は、毎回こうする。


 返却印を押し、台帳に一行だけ書き足す。


 ――司書は貸出不可。理由:終わりを見届ける者のため。


 本は静かに棚へ戻り、代わりにリュネの記憶が少し削れた。

 少年の顔が、名前が、理由が、薄れていく。


 翌朝。

 図書館には新しい司書補佐が来ていた。


「前任の方は?」


「記録上、存在しません」


 それでも地下三層の返却台は、今日もきれいだった。

 返却期限を過ぎた人間は、一人もいない。


 棚の奥で、一冊の黒い本が、そっと閉じられた。

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