悪役王女の正義
海と大河に抱かれた小国――マルサルア王国。
その王女 カロリーナ・マルサルアは、幼い頃から「氷の王女」と囁かれた。
冷静沈着、知略に優れ、何よりも国を守ることを優先する性格ゆえに。
しかし、最初からそう呼ばれていたわけではない。彼女が
5歳頃まで遡る。美しき海を臨む王城の奥、幼いカロリーナにはいつも寄り添う女性がいた。
ミレイナ。
カロリーナが生まれてすぐに任じられた乳母であり、
母と同じように深い愛情を注ぎ、幼い王女に言葉と礼儀を教え、
「あなたはこの国の光になる」
と毎夜のように語りかけてくれた女性だった。
だがミレイナには一つだけ弱点があった。
それは――彼女の兄の存在である。
兄 ヴァルノは才覚はあるが野心が強く、姪のように可愛がっていたカロリーナの権力を利用し、次代の王のように振る舞った。
やがてヴァルノの真実が明らかになった時、王宮の裁定の場に引き出されたのは兄だけではなかった。
ミレイナも、その場所につれだされていた。本人が犯罪を犯したわけではない。しかし、兄の悪行を止めれなかったことこそ罪。きっとミレイナは地位を追われるのだろうと、罪を知った知ったカロリーナは震えた。
大好きなミレイナが追放されるかもしれない。
しかし――
「……兄上は、国を、私の名を、利用しました。
裁きを……どうか……」
涙を堪えて告げる声は細く、震えていた。
幼いカロリーナの手は、扇子も持てずに固く握られていた。しかし、はっきりとその罪をミレイナに告げたのだった。
ミレイナは泣きながら王女に深く頭を垂れた。
「立派に……仰られました、カロリーナ様。
どうか……どうかそのまま……お強い方で……」
ミレイナは王宮を去り、カロリーナはその日を境に、己の部下であろうとも簡単に罰する姿から、氷の王女と呼ばれるようになった。
ミレイナの背中に涙をこぼし、行かないでと泣きじゃくるのがまだ周りに理解されたかもしれない。だが、ぎゅっと固く口を結び、一切の涙を流さない姿は他の貴族からしてみれば不気味であったことも、その氷の王女と呼ばれる一つの要因であった。
対する山と源流の国――イステリアラ王国。
その王子 ルーカス・イステリアラは明るく、民に愛される青年だった。
同盟を結ぶためにカロリーナとはじめて会ったときもにこやかに、太陽のように笑っていた。
誰もミレイナのように失いたくないと、閉じ込めた心をゆっくりとルーカスは溶かしていった。
「カロリーナ、僕たちは国のために結ばれたんだ。
でもそれだけじゃない。
君と一緒なら、どんな未来も守れる気がする。」
「……それは、光栄なことですわ。
でも私は、感情で国を動かすことはできません。私には出来ないことが山ほどあり、できないことを増やすのが今回の婚姻であり」
「知ってる。だからいいんだ。
君は冷静で、僕は……たぶん熱すぎるから。
一緒なら、ちょうどいいだろ?」
たまに交流と称して会う二人。そんなやり取りが、二人の日常だった。
互いに恋ではなく、
しかし確かに育つ信頼があった。
隣に立てば、国を守れると思える――そんな関係が、ゆっくりと形になっていった
両国は、北の大国 ヒストリア帝国の侵攻を恐れ、“川を挟む兄弟国”として軍事同盟を結ぶため、カロリーナとルーカスは婚約した。
両国ともこれから二人は健やかな成長とともに、輝かしい未来が待っていると思い描いていた。国を納めるには理だけでは、民はついてこない。情のあついルーカスが民を引っ張り、理により国をすべる。
それは輝かしい未来のはずだった。
そして、王族、貴族と各国の才ある者が一堂に学ぶ王立総合学院へ入学する年になった。そこは北の大国 ヒストリア帝国に対抗するため、各国の王族、貴族に教育を施すとともに同盟を結び、国を強固にする。その策の一つとして優秀な人材を育て上げるため一部の平民を特待生としてうけいれていた。平民はどのうまれの国かによって、その国の貴族、または王族が一部を手助けするのが慣わしだった。こうすることで、優秀な人材を確保できるからであった。
イステリアラ王国も幾人かの平民を学園に送り込んだいた。その中の一人にアリアーナがいた。ぱさついた長いピンクの髪、既製品だからであろう、オーダーメイドではあり得ないローブの長さ。一見やぼったく、しかし、その瞳は美しく強い意志を感じさせた。
アリアーナは、もともとイステリアラ王国に住む民のひとりであった。
「国なき民」と呼ばれる彼らは、国を定めず定住地を持たず、才能をもって働く漂泊の民であった。彼らは命を最上のものとし、己を磨くことを怠らない。技術、知識、頑強な肉体を持って働き、得た報酬を、さらに自身を高めることに費やした。彼らの暮らす日常において、生活が戦によって奪われるのはいつものことであった。昨日は友と呼んだ隣人が今日は敵と言って包丁を振り回し斬りかかる。
いくら財があっても、戦いのたびに奪われるのであれば、それはもう財とは言えない。
ならば、戦わない。逃げるのみ。それは、生き残るための代々受け継がれてきた教えであった。
己の体を財産として、鍛え上げれば、どこへでも行ける。さまざまな国に同胞はおり、一度戦いが起これば国境をこえ、同胞に助けをもとめた。財は己の体であるから、優秀な人材であると、各国は彼ら、国なき民を受け入れていた。その中でもアリアーナの才は突出していた。
その才覚を王に見出され、「将来、王国の要となる人材となれ」という期待のもとおくりだされた。王国もまた国なき民の教えは知っていたが、財や縁をしれば考えは変わるだろうと考えていた。
学院は国なき民であることにざわついたが、アリアーナの聡明さは多くの者を魅了していった。彼らが戦いに関わることはない。学園の理念に反した存在だが、それを抜きにしても彼女は魅力的であった。
ルーカス王子も、その一人だった。学院に来たばかりのアリアーナは、右も左もわからず、格式ばった貴族の空気に戸惑ってばかりいた。
銀のティーカップを倒しそうになり、礼の角度がわずかに違ってしまい、歩き方に自信がなく、視線も落ちがちで。
その姿は平民ならば誰もが通る道であった。そこを一歩また、一歩と乗り越えていく。
アリアーナは努力を惜しまなかった。
礼儀作法を学び、言葉遣いを整え、夜遅くまで勉学に励み、剣術や魔道の基礎まで習得した。
数ヶ月も経つ頃には、学院で誰もが認めるほどの立派な淑女となっていた。ルーカス王子は、そんなアリアーナの成長をいつも近くで見守っていた。
気づけば――彼の心は惹かれていた。
柔らかな微笑み、真剣に学ぶ姿、礼を失しない謙虚さ。
ある日、彼ははっきりと悟った。
「私は……アリアーナを愛してしまったのだ」
その時には、もう戻れなかった。
学院の裏手に小さな森がある。二人が講義の感想を言い合いながらよく歩いた散歩道の先に、光が差し込む静かな空間があった。
ある夕暮れ、ルーカスはアリアーナをそこへ連れていき、
震える声で告げた。
「アリアーナ……
どうか、どうか僕と結婚してほしい。
君と、この国を導いていきたいんだ。」
アリアーナは驚き、そして――悲しげに笑った。
「私には……誇れる血筋も、家柄も、財産もありません。
カロリーナ様には、どんな面でも敵いません。
どうかそんなこと……おっしゃらないでください。」
「違う!」
ルーカスは声を荒らげた。
「ダメなんだよ、それじゃあ。僕が愛したのは、君なんだ。
君の穏やかな笑顔が、僕を癒してくれた。
アリアーナ、君は君のままで、素晴らしい。カロリーナで
はない君が、僕は好きなんだ。お願いだ、カロリーナになろうとしなくてもいい。君は君だからこそ、僕は愛しいと思うんだ」
アリアーナは涙をこぼした。
本当はいけない。婚約者のいる王子に心を寄せてはいけない。自分は国に属さない民。王妃になれば教えと矛盾する。
それでも――。今何も起きてない。このまま、このままならルーカスと一緒に歩いていけるのではないか。
「……はい。
私も……あなたをお慕いしております」
その一言が、決定的だった。
二人は恋人となり、やがて学院中が気づくほど、互いへの想いを隠せなくなっていった。
それは、静かに、しかし確実に――
大きな破滅の始まりとなる。
カロリーナもまた、ルーカスの違和感に気づいていた。手紙の頻度は減り、一緒に食べていた食事の回数は減り、会うことすらままならなくなった。
そんなおり、彼の国の特待生が王子の推薦で執政を学ぶコースを受講するというのを聞いた。執政を学ぶコースは王族や、一部の大貴族など国の舵をとるものが学ぶコースである。平民が、しかも、国なき民がとって良いコースではなかった。
カロリーナはルーカスに問いただそうにも彼の従者が阻み近づけない。ならばとルーカスの国に探りを入れれば、才あるものをとどめておくためという。
これは、裏切りだろうかという考えが生じ、慌てて自身で否定する。答えを得るためカロリーナは決心する。
薄曇りの午後、学院の中庭の奥まった廊下。
人通りの途切れるその場所へ、カロリーナは侍女もつけずに歩いていった。
「アリアーナ。少し来なさい」
呼びかけられたアリアーナは、胸の奥がざわつきながらも逆らえなかった。その声には、否応なく従わせる力があった。
二人きりになると、カロリーナは微笑みを消し、静かに切り込んだ。
「……あなた、一体何をしているのですか?」
アリアーナの背筋が震える。
「あなたは平民。しかも“国なき民”それなのに“執政管理”のコースを受講するなど、どういうつもりなのか、ぜひ聞かせていただきたいものですわ」
その声は冷ややかだった。
アリアーナは俯き、唇を強く噛んだ。
(言われなくても、分かっている……そんな資格はないって)
しかし、心の奥ではルーカスの横顔と、彼の言葉が何度も何度も反響していた。
「アリアーナはアリアーナのままでいい。僕は君を信じている」
その言葉が、彼女を前に進ませていた。けれど、それをカロリーナに言うわけにはいかない。
沈黙するアリアーナに、カロリーナはさらに一歩踏み込んだ。
「あなたは“自分がどこに立つべきか”を理解すべきです。
この学院は遊び場ではありませんのよ」
その瞬間——
「アリアーナ!!」
慌てた足音が響き、ルーカスが勢いよく駆け寄ってきた。
息を乱し、明らかに動揺している。
「カロリーナ! 君は何をしているんだ……?
彼女をいじめることだけは……僕は許さない!」
その一言が、場の空気を決定的に変えた。
カロリーナの瞳が大きく見開かれる。
その表情には驚愕と、深い失望が重なっていた。
「……いじめ? 私はただ、当然の指摘を——」
「十分だ。それは差別だ。国なき民である彼女をおとしめるのか!僕の前でアリアーナを追い詰めるな」
アリアーナは息を呑んだ。ここでルーカスが介入すれば、
“カロリーナがアリアーナをいじめている”という構図が出来上がってしまう。
そして——その通りになった。
廊下の陰で、数人の生徒がその場面を見ていた。
驚きの表情、ひそひそと囁く声。
(え……今の見た?)
(カロリーナ様がアリアーナに……?)
(まさか、嫉妬で?え、差別?)
誤解は瞬く間に形を持ち、学院の中に“事実”としてひろがっていった。
——カロリーナがアリアーナをいじめたらしい。
それは事実とは異なっていた。
しかし、噂を面白がる学生たちの手にかかれば、瞬く間に色を加えられ、誇張され、まるで劇の台本のように語られるようになった。
アリアーナは胸の奥が痛むのを感じながら、ただ、そっと目を伏せた。
こうして二人の距離は縮まらないまま最終学年となり、何の進展もないまま卒業となった。この日卒業をを祝うため学園のの大広間は、様々な飾り付けがなされていた。
煌びやかなシャンデリアの光の下、カロリーナはただ一人、ホールの中央に立っていた。
銀糸を織り込んだ純白のドレス。
背筋はまっすぐ、指先さえも揺らがない。
完璧な王女の姿。
だが——
胸の奥には、冷えた湖の底のような静かな“諦め”が広がっていた。
(……来ないでしょうね、きっと)
それでも、微笑みを崩さなかった。
もし自分の犠牲ひとつで、
マルサルアとイステリアラの間に平和と安定が生まれるのなら。戦火が遠のくのなら。
救われる命があるのなら……それでいい。
それがカロリーナの、氷の奥に隠した唯一の願いだった。
そして、ゆっくりと足音が近づく。
ルーカス。
彼の隣には、緊張で肩を震わせているアリアーナがいた。
ルーカスの瞳には揺るぎない決意が宿っている。
国家の均衡など、王族としての責務など、
今の彼にはもはや視界に入っていなかった。
(彼女と……アリアーナと生きたい)
その思いだけが、彼を突き動かしていた。
ルーカスは大広間の真ん中で立ち止まり、
深く息を吸った。
そして、カロリーナの前に立つ。
「……カロリーナ」
「はい、ルーカス殿下」
カロリーナは変わらぬ微笑を浮かべる。
だが、その瞳の奥は深く静まり返っていた。
ルーカスは告げる。
「カロリーナ、君との婚約を……破棄する」
ざわめきが広がる
「僕は、アリアーナを愛している。
彼女と共に生きたい。
これからは平和の時代だ。
彼女と共に幸せな国家を築くべきだと……そう思った」
沈黙。誰もなにも言わない。そして、またルーカスは口をひらいた。
「僕の心は……アリアーナにある。
彼女は国なき民だが、地位でも血筋でもない。そんなものは些細な問題なんだ。
彼女自身を愛してしまった。これこそが本当に大事なものだ。」
アリアーナは唇を噛み、今にも泣きそうだった。
その瞳には罪悪感と幸福が交錯し、涙が溢れそうになっていた。
シャンデリアの光がきらめく音さえ聞こえるかのような、
凍りついた沈黙。
聴衆たちは何か言おうとして、しかし口を閉じた。
噂が脳裏をよぎる。
どちらを責めてよいのか、誰も判断できない。
誰も声をあげようとしない。
沈黙は、カロリーナに対する事実無根の噂を肯定しているようにも聞こえた。
しかしカロリーナは……微笑んだままだった。
「……そうですか。
殿下のご決断、確かに承りました。」
声は、氷のように透き通り、少しも揺れなかった。
「どうか——お幸せに」
ただそれだけ。
恐ろしく静かな言葉だった。
その静けさに、誰も言葉を返せなかった。
ルーカスは、自分が“勝った”と錯覚した。
彼女が抵抗しないことを、
まるで「自分が正しいことをしたからだ」というように受け取ってしまった。
アリアーナだけが、この場の空気の冷たさに震えていた。
そして、5年の月日がながれた。
ヒストリア帝国が、ついに宣戦布告した。
しかも最初に狙われたのは――イステリアラ。
王都はわずか数日で陥落。皇族はほぼ全滅した。
残された者たちは亡命し、国は“息絶えたも同然”となった。
そのとき、カロリーナのもとをルーカスが訪ねてきた。
顔には疲労と後悔の影が濃い。服もぼろぼろで、だれが彼を王子だと思うだほうか。
「カロリーナ……どうか助けてほしい。マルサルアに――同盟に従い軍事援助を……!」
カロリーナは席を立たず、静かに言った。
「軍事同盟は、あなたが私との婚約を破棄した時点で消えました。
イステリアラは、もはやマルサルアの保護国ではありません。」
「……なぜ、そのようなことをいうんだ!一度は愛していたのだろう。ならば、ならば。僕を助けたいと、イステリアラを助けたいと思わないのか。
アリアーナもそうだ……逃げたよ。
戦場から、国から。僕よりも“命が大事だから”と……」
ルーカスはぼろぼろの姿のまま、どこからそんな声がでるのだろうと不思議なくらいに、わめき散らした。
アリアーナが悪い。あれほど重用し、身内も官吏の地位に引き上げたのに、あっさりと戦いになればいなくなった。
カロリーナよ、なぜ助けないのか!助けると軍事同盟を結んだだろうと。
「彼女は正しいわ。」
カロリーナは扇子で口元を隠し、目だけで笑った。
「彼女の民は、戦争に関わらない。
あなたはその教えを知りながら、彼女を選んだ。
それを責めることなど、私にはできません。」
ルーカスは声を荒げた。
「だが……彼女は……国を見捨てたんだ……!」
「見捨てたのはあなたですわ、ルーカス殿下。」
カロリーナの声は氷のように澄んでいた。
「かつて貴方は私が彼女を差別したといいましたね。それは差別したのではありません。
“国なき民”である彼女は、戦わずして逃げるでしょう――
これは彼女たち国なき民からすれば当たり前のことです
その当たり前を受け入れず、良いように利用しようとしたのはどなた?
差別をしたのは……勝手に期待して、裏切られたとわめく…
彼女に“王妃となれ、国を守れ”と求めた、あなたではなくて?」
ルーカスは何も言えなかった。
だって、王妃なら国を守るのは当たり前じゃないか。命をかけて守らないと失ってしまうのに、何で逃げるのか。何故、何故、何故。
彼は突然くるったように笑いながら、王宮を去った。それが二人の最後の別れとなった。
その後、小国連合軍が奇跡的に一致団結し、ヒストリア帝国を一時退けることに成功する。
イステリアラは元の姿を取り戻せなかったが、その地には新たな指導者が立ち、独立の火を守り続けた。
カロリーナは“悪役王女”と影で呼ばれ続けたが、それでも彼女は気にも留めなかった。
ただ――彼女は結婚した。
彼女の夫となったのは、元々戦を好まぬ穏やかな文官であったが、ある時マルサルアが侵略を受けると、真っ先に戦場へ赴いた。
理由を問うたカロリーナに、彼は静かに言った。
「私の願いは、あなたと共にあることです。あなたの命が尽きるなら、私の命も意味を失います。だから戦うのです。」
そして彼は続けた。
「これは私個人の願い――ただそれだけです。」
彼の瞳には、揺るぎない光があった。
カロリーナはその手を取り、初めて涙をこぼした。
世間は彼女を悪役と呼んだ。
冷たい王女、婚約破棄された哀れな王女
彼女は国を守り、それぞれの持つ教えをを尊重し、
人の生き方を否定せず、己の正義を貫いた。それは矛盾をはらんだ考え方。
だからこそ――
彼女は最後まで、悪役でいてやった。
その冷たさの裏に、
誰よりも熱い誇りを隠しながら
世間は彼女を時に悪役と呼んだ。
冷たい王女、婚約破棄された哀れな女王と。
だが真実は違うことを周りの者は知っていた。




