第8回 劉焉、祝公を見送る
西暦一五三年(永興元年)、劉焉の下に訃報が届いた。
「父、劉正死す」というものだった。
特に病気がちであったわけではないが、朝、あまりにも起きてこないので妻である田冬が見にいったら、その時は既に体は冷たく、息を引き取っていたらしい。享年六三歳であった。
劉焉は今、宋路と同じく「侍郎」として働いている。
日々煩雑且つ難解な仕事をこなし、時間があれば学び、充実した時間を過ごしていた。今年二四歳となった。
この時代、父親が亡くなれば三年間の喪に服すのが常識であった。劉焉は一旦官を辞して、故郷にもどることになった。
今や上官である兄者の宋路に挨拶に行った。宋路が言う。
「君郎よ、喪に服し劉正先生の弔いをしっかり行い、母上や姉上のことも気にかけよ。そして三年後、洛陽でまた会おう。」
「兄者、わかっている。劉家の嫡男としてしっかり喪に服し、家のこともきちんとしてきます。待っていてください。」
こうして劉焉は、一旦、官途を辞することになった。
故郷に帰った劉焉は、毎日父である劉正の墓を詣でては、涙を流した。酒はもちろん絶ち、食事も必要最低限の量に制限した。母である田冬は心配して言った。
「焉、あなたの弔いは礼に適ったものなのでしょう。しかし、これではあなたの体がもちませんよ。」
「母上。父上は私を育て、洛陽でおつとめが出来るまでに育ててくれました。感謝しても感謝しきれない恩を受けたのです。これくらいは、子として、劉家の家長となる私にとっては当然の事なのです。」
「・・・。わかりました。もう、何も言いません。ただ、倒れたらその時は、私の言うことを聞いてもらいます。いいですね。」
劉焉は頷いた。
―一年後―
劉焉の喪に服す姿は、以前と変わらない。
日々、墓に詣でては涙する生活を続けていた。
そんなある日、祝公が訪ねてきた。旅の装いをしている。
劉焉は拝礼して聞く。
「師よ。どこかに旅をされるのですか。」
「君郎よ。私はお前の喪に服す姿を遠くから見ていた。偽りのない、心からの弔い、見事である。」
劉焉は拝礼して言う。
「子として、当然のことです。」
「そうだな、君郎。そして、私も子として、親に尽くしたいと思い、立つことにしたのだ。」
劉焉は、祝公の両親は、かなり昔に病で亡くなったと聞いている。一体どういうことか聞いた。祝公は答える。
「私は、この国、漢の子である。親は当然、漢の国、そのものだ。国のために、立つのだ。」
劉焉は驚いた。祝公は若かりし頃、官途に就いていたが、宦官との政争に嫌気して引退をし、今に至る。それが、今から国の為に尽くすという決意をしたというのだ。祝公は現在四五歳である。官途を辞してから約二〇年の時が経過している。いったい何をするというのか。劉焉はまず、どこに行くのか尋ねた。
「無論洛陽に決まっている。洛陽に戻り、官途に復す。」
劉焉も現在喪に服しており、一時的に官途を辞しているが、こういう場合、復職は当然認められる。しかし、祝公みたいに自己の都合で官途を辞して、そんな簡単に復職できるのか。
しかも、二〇年もの年月が経過しているのである。
祝公は言う。
「無論、当てはある。ある方から、官途に復すよう、書状を頂いたのだ。」
劉焉は祝公に聞いた。
「お聞きしていいかわかりませぬが、どなたからのお誘いなのでしょうか。」
「ふむ・・・。まあ、隠していてもしょうがない。君郎、お前も会ったことぐらいはあるだろう。車騎将軍の曹騰様だ。」
劉焉は驚愕した。
自分の師と曹騰にどんな関係があったというのであろう。
そもそも、祝公は宦官との折り合いがつかず、官途を辞したのは何度も聞いている。しかし、今回誘いを受けたのは、宦官の中でも最上位に位置する曹騰だという。一体どういうことなのか。
話は祝公が二〇歳代の頃、宦官とは意見が合わず、祝公の言うことは、現実味の無いただの理想論と馬鹿にされていた。しかし、曹騰だけは祝公の意見をもっともだと、何回か取り上げてくれたとのことだった。
しかし、結局官途を辞する道を選んだのだが、その時、曹騰がわざわざ見送りにきて、次の様に言った。
「祝公殿。あなたの様な清廉潔白な人には久々に出会った。官途を辞するとのことで非常に残念であるが、一つ、お願いがある。もし、どんな先になろうと、私があなたに協力を求めたときは、どうか立ち上がって私を助けてほしい。」
祝公は、宦官とはいえ曹騰だけは尊敬の対象としていた。その曹騰に、「助けてほしい」と懇願されたのだ。
祝公はその話を快諾した。そして二〇年が経過した今、その曹騰から、まさに協力の要請があったのである。
「立ち上がるに十分な理由であろう、君郎。」
劉焉はもちろん頷き、祝公に拝礼して言った。
「師よ。私も父の喪を成し遂げ次第、すぐに洛陽に向かう所存。それまで、ご無事におつとめを果たしてください。」
「私のことは気にすることなく、しっかり父上の喪に服すのだぞ。それが出来ない様では、人として信用できん。」
「もちろんです。誠心誠意、喪に服します。師よ、どうかお元気で。」
「うむ。では、私は先に参る。君郎よ、さらばだ。」
こうして、師である洛陽は二〇年ぶりに官途に復すため、そして「何か」を果たすために、洛陽に旅立ったのである。




