第5回 劉焉、張角と会す
もうこの祝公庵には、師である祝公と劉焉の二人しかいない。
祝公が宋路に紹介状を書いたことが広まり、一時、弟子入りを志願する者が何人か現れたが、劉焉はことごとく門前払いをした。
「焉、お前がともに学ぶに値する、と思った者が訪って来たときは入れて構わぬ。弟子にしよう。」
なるほど、兄弟子の宋路が自分を入れてくれなかったのは、いくら劉正の息子といえども、それだけでは認めぬぞ、という矜持があったのであろう。
劉焉は意地悪くしようとは思わないが、この師と二人きりの「静謐」な空間、時間というものはとても貴重であり、余計な者は入れたくない、と改めて感じた。
劉焉は毎日決まった時間に起床し、就寝する。
師の祝公も同様であり、全てが時を基準に動いている。
だから、無駄が無いのである。
すべてを決まった時間に実行し、それ以外は学問に没頭する。まさに、理想の環境と言えた。
宋路の紹介状の件もだいぶ下火となり、訪ってくる者もほとんどいなくなってきた。
そんなある日、一人の食い詰めたような男がやってきた。
劉焉が応対すると男は言った。
「私は、冀州鉅鹿郡出身の張角と申す。中華全土をこの足で歩みたいと旅していたが、路銀が尽きてしまった・・・。頼む、何でもいいから食わせてくれないか。もう、何日も川の水だけでしのいできたのだ・・・。」
劉焉は張角に少しだけ待つように言い残し、祝公の書斎に行った。そして、聞く。
「お師匠様。旅の者が食い詰めて食糧を恵んでほしい、と言っておりますが、如何いたしましょうか。」
「焉よ、そんなことは聞くまでも無かろう。」
「わかりました。」
劉焉は張角を中に入れて、軽めの食事を与えた。
張角はむさぼる様に、一気に食い尽くした。更に食事を追加した。これも一気に平らげ、どうやら人心地ついたようだ。
姿勢を正し、劉焉に頭を下げて言った。
「私の様な者に、何も言わずお恵みを頂き、感謝いたす。食事も一気に食べ過ぎぬよう、二回に分けて出していただくお心遣い。この張角、感服致した。是非、お名前を伺いたい。」
「姓は劉、名は焉。まだ一五歳の書生です。ここは師である、祝公の庵であります。」
張角は劉焉が一五歳の書生、といったことに驚いた。
どう見ても「大人」の風格を備えた儒学者そのものである。
劉焉はここ最近、体が大きくなったこともあり、見ず知らずの者から見たら一五歳には見えないであろう。張角は言う。
「いや、劉焉殿が一五歳とは信じられぬ。見事な体躯にその物腰の低さ、祝公先生はよほどの方なのでしょうな。」
「はい。自分の師をこういうのも何ですが、非常に立派な方でございます。」
ここに祝公が現れた。
張角は拝礼して、自己紹介をした。
食事を済ませたと聞いて、祝公は劉焉に湯浴みの準備をして差し上げよ、と指示を出した。
張角は恐縮して遠慮をしたが、ひとまず今日はここに泊まられよ、と最大限のもてなしの意を示した。
劉焉は「珍しいな」と思った。
祝公は困った人間を見捨てるような薄情な人間ではないが、ここまでするとは想像できなかった。
湯浴みを終えた張角に、古着ではあるが、と自分の衣服まで提供をしたのだ。
そして珍しく、劉焉に酒の準備までも指示をしてきた。
―翌日―
一日で見違えるように回復した張角は、早速、旅を続けると祝公と劉焉に告げた。
祝公は、もう数日は体を休めてはどうかと提案したが、張角は丁寧に断りを入れた。
劉焉が聞く。
「張角様、今回の旅は先を急ぐものなのですか?」
「そうだな、この中華全土の現状を一日でも早く知りたい、という気持ちはある。」
祝公が言う。
「張角殿。あなたは、強いものを内に秘めている感じがする。おそらく、将来的に、大きなことを為したいがための旅なのであろう。」
「流石は祝公様だ。何をしたいかはまだ見えていないが、この国の為に何かを為したい、とは思っています。」
「体にだけは気を付けて。機会があれば、また気軽にお寄りくだされ。」
そういうと、祝公はいくばくかの金子を張角に渡した。
張角は断ろうとしたが、邪魔になるものではない、と祝公にたしなめられ、素直に受け取ることにした。
こうして、張角は祝公庵を旅立っていったのである。
劉焉は、遠い将来に、この「張角」という名を再び聞くことになるのである。




