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蜀主二代ー三国志・劉焉と劉璋ー  作者: 涼風隼人


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第40回 劉璋、赤壁の戦いを傍観する

 西暦二〇八年(建安一三年)七月、とうとう曹操が荊州に向かっての南下作戦を開始した。

 

 荊州一番の危機であるこのとき、劉表は病死をしてしまい、荊州は大混乱に陥る。

 

 劉表には劉琦と劉琮という息子がいたが、劉表の後を継いだのは、長男の劉琦でなく、劉琮であった。

 

 劉琮はすぐさま降伏、樊城を守る客将の「劉備」には何の一報も入れなかったという。劉備は南下して逃走を図るが、長坂の戦いで敗北してしまう。

 

 この劉備の苦境を救ったのが、後に大軍師として有名になる「諸葛亮孔明」であった。

 諸葛亮は、劉表が死亡する直前、劉表が病気がちであり、劉琦と劉琮が後継者争いをしていることから、荊州を劉備が取るべきとしたが、この提言を劉備は受け入れなかった。

 

 そして行く当てもなく彷徨なければいけなくなるところを、諸葛亮の舌先三寸で呉の孫権と同盟を締結することに成功し、ひとまずの居場所を確保した。

 

 一〇月、曹操軍と孫権軍が赤壁で激突、孫権が勝利をおさめた。孫権と曹操が江陵をめぐって争いを継続している隙に、劉備は荊州四郡(武陵郡・長沙郡・桂陽郡・零陵郡)を手に入れることに成功した。劉備は初めて、自分の力で領地を得た。


 このことにより、荊州北部は曹操、東部は孫権、南部は劉備が治めることになったのである。

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