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蜀主二代ー三国志・劉焉と劉璋ー  作者: 涼風隼人


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第32回 劉焉、死す

 西暦一九四年(興平元年)、長安で権勢をほしいままにしていた「董卓」が、義理の息子である「呂布」に殺害された。

 

 長安は大混乱に陥り、最終的には「李傕」と「郭汜」が長安を牛耳ることになった。

 

 献帝の側近く仕えていた劉範と劉誕は、董卓、李傕、郭汜とないがしろにされ続ける天子「献帝」の為に義憤を覚え、涼州出身の「馬騰」と内応の約束をし、天子のために打倒李傕、郭汜を計画したが、事前に露見し、殺害されてしまったのだ。

 

 不幸中の幸いであったのが、「龐羲」という者が、劉範、劉誕の遺児を連れて、益州に避難してきたことであった。龐羲はこの働きが認められ、劉焉により校尉に任命された。


 しかし、劉範と劉誕の死という知らせを受けて、劉焉が受けた精神的打撃は、予想以上に大きなものであった。

 手元に三男の劉瑁、四男の劉璋がいるとはいえ、長男、次男が中央の政争に巻き込まれ、命を落としてしまったのだ。


 ここ数年の劉焉は、「理想の国造り」に没頭していたといってよい。何度か、劉範と劉誕もこちらに呼ぼうか考えた。

 しかし、この理想の国造りが上手くいかなかった場合も考えて、長男、次男は「外」においておくことにしたのである。

 もしもの時に備えてそうしたわけだが、そんなことをしなければ、今頃、あの二人も自分の理想の国造りに共感し、もっといい国を造れたかもしれない。少なくとも、こんな短命で終わることは無かったであろう、と考え始めたら後悔の念がとめどなく溢れてきた。この後悔の念が、劉焉の心身を更に蝕んでしまったといってよい。


 あれほど活き活きと理想の国造りに情念を燃やしていたはずの劉焉が、全く生気を感じないほどに衰えてしまったのである。


 その時、州都である綿竹の門が落雷で焼失した。これから息子たちの死以上の災いが自分に及ぶことをおそれて、もともとの州都であった雒県の名前を「成都」に改めて、州都を移すことにした。


 成都に移っても、劉焉の体調に回復の兆しは見えなかった。

 それどころか、日々、衰えが進んでいるように周囲からは見えた。


 病床についた劉焉は、劉璋、董扶、趙韙の三名を枕頭に呼び出した。そして言う。

 「私の命は長くない。間もなくその灯は消えるであろう。そこで、今後のことを話しておく・・・。」

 三人は耳を澄まして聞く。

 「まず、董扶、趙韙。今まで本当に良くやってくれた、礼を言う。そして、これが私からの最期の命令である。劉璋を益州牧とし、私に仕えたのと同様の姿勢で臨み、劉璋を助けて欲しい。」

 二人は拝礼して、頷いた。劉焉は続ける。


 「劉璋よ。私はお前にはなれないし、お前も私にはなれない。私は、理想の国造りに邁進した。完成したとは言わぬが、多くの血を流しながら、何とかやってきた。お前は、少なくとも、この国を維持するようにつとめよ。外に討って出ることなどあってはならん。とにかく、維持することだけを考えて、次の世代につなぐように。」


 劉焉は更に続ける。

 「劉璋、お前が喪に服すのは許さぬ。即刻、益州牧となる様に。喪は三男の劉瑁に服させよ。ただし、体が弱い故、無理はさせてはならぬ。三年も不要、三ケ月に留めるように。」

 劉璋は拝礼した。


 すると、言いたいことを言い終えたのか、劉焉から突然、生気が消えた。

 最後は呆気なかった。

 享年六四歳。儒家として、大儒として名を馳せた。

 益州入り後は軍政の才覚も発揮しつつ、宦官や余計なしがらみから解放された理想の国造りに邁進した男の最期であった。

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