第21回 劉焉、黄巾の乱を中央から見る
西暦一八四年(光和七年)、黄巾の乱が、かつて劉焉が刺史をつとめた冀州で勃発した。その首領は、「張角」、という者であるという。
「張角・・・。」
劉焉は呟いた。どこかで聞いたことのある名前だ。
そして、はっとした。
「張角・・・。まさか、祝公庵で食事を提供した旅人か・・・。確か、冀州出身とも言っていた。」
劉焉が思い出した通り、張角とはまさにあの時の旅人である。
「国のために何かを為すために」旅をして国中をめぐると言っていた。その結論が、腐りきった国を作り直す、という結論に至っての蜂起であったのだろう。
北方を中心にしたこの乱は短期間で一気に広範囲に拡大した。
「未曽有の国難・・・。」
劉焉はひとり呟く。しかし、この未曽有の国難は、宦官が中央から派遣した討伐軍で一年もたたないうちに鎮圧をされてしまったのである。
「この国は、まだ、腐りきっていないというのか・・・。」
まさか、軍事に関わることまで、宦官主導でどうにかなるとは、文官として生きてきた劉焉にとっては、意外であった。
しかし、現実問題、黄巾の乱は鎮圧されたのである。
劉焉はまた、宦官一掃の機会を失った。
「私の力ではどうにもならぬか・・・。」
劉焉は、宦官一掃をこの時点で半ば諦めた。
そして、自分がどうすればいいのか熟考した。
何年ぶりであろうか、うなり声をあげるほどに考えた。
体は熱くなり、頭にも血が上る。そして、体中からは汗が噴き出してきた。
「地方に出るか・・・。」
これが、劉焉の出した答えであった。
しかし、単に地方に出るのでは何にもできない。
そこで考えたのが、「牧」制度の制定であった。
「牧」というのは、州の広範囲の軍事と政を司る強大な権力を持つ。そして、この制度制定を提案して、自らが牧になる様に仕掛けていく。
不本意だが、そのためには宦官の協力が必要不可欠である。
しかし、宦官に直接膝を屈するのをこれで最後にするつもりでもある。
地方に出て「理想の国造り」を自分の意志でやってやろう、という思いである。南陽太守の時に、一瞬だけ見せた自分らしさを十二分に発揮してやろう、という気持ちになった。




