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蜀主二代ー三国志・劉焉と劉璋ー  作者: 涼風隼人


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第2回 劉焉、弟子入りをする

 西暦一三九年(永和四年)、劉焉は一〇歳となっていた。


 教育熱心な母の田冬の愛情をふんだんに受け、元気が過ぎるくらいの三人の姉に可愛がられて育った。

 姉が元気であるからなのか、まさに名が体を表すなのか、劉焉は非常に物静かな子供であった。しかし、ただ静かなだけではない。曲がったことが大嫌いで、自分の価値観、特に正義感、倫理観に適わぬことに対しては、相手が大人だろうと子供だろうと正論を突きつけ、論破した。

 

 こういった我が子の姿を、劉正は黙って見守り続けていた。

 頼もしく感じる部分はあるものの、論破する時に振りかざす正論が、些か「小賢しい」とも感じる事があった。

 小賢しいとは、ある意味、劉焉自体が一番忌み嫌う言葉であると劉正は思っている。しかし、自分の言動が他人、いや、身内の最たる者である父に「小賢しい」と思われていると知ったら、どんな思いをするのだろうか。

 

 劉焉のこれまでの教育は、母親である田冬に任せてきた。

 劉正自身は、劉焉に問われれば答える、に留め、余計なことは極力言わずに控えてきた。何故なら、自分は劉焉に何を語るべきなのか、迷いがあったからだ。

 

 儒学を教えるのは、それほど難しくはない。

 儒学が全ての人間の基本であるべきだと劉正は思っており、請われれば惜しみもなく、自分の持ちうる知識の全てを弟子たちには注いできたつもりである。

 

 しかし、我が子も同じでいいのか。

 迷う必要は無いのかもしれないが、仮に、劉焉が自らも若かりし頃に思い描いていた立身出世を望むのであれば、人生の後半を無位無官で過ごしてきた自分の言葉は、劉焉の人生の可能性を狭めてしまうのではないか、など考えてしまうのである。

 「やはり、師を付けるべきか・・・。」


 劉焉のあらゆる可能性を考えるのであれば、父でもなく、母でもなく、「師」から教えを請うのが一番いいのではないか、と劉正は思った。

 「祝公に頼むか・・・。」

 劉正に意中の人はいる。

 姓は祝、名は公。劉正の友人で、劉正同様、この近辺で儒学を教えているが、その教導は厳格そのものであり、多くの弟子が逃げ出すほどであった。しかし、その厳格さに理不尽さは無い。あるのは厳格さだけである。


 劉正の友人と言っても、まだ三〇歳くらいであり、劉正より二〇歳ほど若い。普通であれば、劉正が師、祝公がその弟子の様な感じであるが、二人はお互いに友人であると思っている。

 何故なら、祝公も一度洛陽で官途についたが、その職を辞してここで晴耕雨読の生活をしており、共通点があるからである。もっとも、祝公の場合、宮廷内で「宦官」が権限を強めていることに嫌気をして、体調不良と噓の理由で官を辞したので、本質的な部分は異なる。


 劉正は、久方ぶりに祝公の庵を訪ねた。

 「おお、劉正殿。よくぞ、参られた。さあ、入られよ。」

 「祝公殿、ご無沙汰をしておる。いきなりだが、一つ、頼みを聞いてほしい。」

 「ほう。私にできる事であれば、おっしゃってください。」

 「実は、愚息の師になってほしいのだが・・・。」

 劉正は、今、自分が思っている息子の印象を詳らかに説明した。それを聞き終えて祝公は言う。 

 「なるほど・・・。劉正殿から見れば、小賢しいと。」

 劉正は頷いた。すると祝公は言った。

 「わかりました。私の弟子としましょう。こちらに住まわせますが、よろしいか?」

 劉正は承諾した。


 家に戻り、劉焉を自室に呼んで言った。

 「劉焉よ。お前は明日から、祝公殿の庵で暮らすように。」

 「・・・。祝公様の・・・。」

 「そうだ。お前は我が家の嫡男として、色々と学ばねばならん。まだまだ若いが、その年で儒学の大家と言われている祝公は、お前の師としてふさわしい、と父である私が判断したのだ。」

 「わかりました。父上の仰せに従います。」

 劉正は、大きく頷いた。


―翌日―

 劉焉は祝公の庵を訪ねた。

 中からは、劉焉と同じくらいの歳に見える少年が出てきた。


 劉焉が言う。

 「おはようございます。本日より、こちらでお世話になります、劉正が子、劉焉と申します。祝公先生はいらっしゃいますでしょうか。」

 「劉焉殿ですか・・・。はて、私はその様なお話を聞いておりません。先生は所用で今日は戻りません。申し訳ないのですが、明日、改めて頂けますでしょうか。」

 「わかりました。明日、改めさせて頂きます。申し訳ございませんが、あなた様のお名前をお聞かせ頂けますか。」

 「宋路と申します。先生の身の回りのお世話をしながら、学ばせてもらっています。」

 こうして、劉焉はいったん、自宅に戻ることにした。


 劉正は、ついさっき自宅を出たばかりの劉焉がいるので、忘れ物でもあったのかを聞いたところ、本日は祝公が不在であり、宋路という少年に明日改めて来る様に言われたことを伝えた。


 劉正は、溜息交じりに劉焉に言った。

 「焉よ、それは宋路のいたずらじゃ。祝公殿が私との約束を破る訳がない。今一度行ってみなさい。」

 劉焉は、今一度、祝公の庵を訪ねた。

 すると、再び宋路が出てきて言う。

 「劉焉殿、先ほど申し上げた通り、祝公先生はご不在。明日、改めてください。」

 「宋路殿。いたずらはおやめください。先生は、ご在宅のはず。我が父、劉正が先生に本日私が参る、と約束したことを反故にするわけがない、と申しております。」


 「ふふふ。劉正様は、流石ですね。」

 劉焉はさすがに苛立ちを覚え、怒気を含んだ声で宋路に言った。

 「宋路殿。何故、かような子供じみたいたずらをされたのですか?」

 「私もあなたも、まだ、子供ですよ。」

 笑いながら宋路は答えた。劉焉の我慢は限界を超えようとしていた。そして言う。

 「宋路殿、あなたと話していても埒が明かない。祝公先生に会わせて頂きたい。」

 「・・・。わかりました。しかし、劉焉殿。あなたは機転が利かない人ですね。」


 とうとう劉焉の怒りの限界を越えさせる言葉を宋路は吐いた。劉焉は言う。

 「機転が利かぬとは納得いきません。何故、あなたにそこまで言われなければいけないのか。」

 宋路は冷静に答える。

 「劉焉殿。まず、あなたは、父上である劉正様と祝公先生のご関係についてご存知であったはず。」

 「当然です。」

 「それなのに、祝公先生が不在、と言われて何の疑問も持たず自宅に戻られた。」

 「ご不在なら、致し方ないではありませぬか。」


 「そこですよ。普通に考えて、ご友人のご子息を迎えると約束した日に、不在にする訳がない。」

 「火急の用があるなら、ありえるお話では?」

 「そうですね。しかし、それなら先生は、私を劉正様のところに使いに出すはず。」

 「・・・。」

 「そうですよね?家人が誰もいないわけではないのですから。」

 「確かに、それは・・・。」


 「だから、劉焉殿は機転が利かぬ、と言わせてもらいました。これは勝手な想像ですが、そういうところを含めて、劉正様は祝公先生の下で学んで来い、ということだと思いますよ。」

 劉焉は同じくらいの歳の子供にここまで言い負かされたことはない。悔しいことは悔しいが、妙な清々しさを感じ、宋路に言う。

 「宋路殿。私は恵まれているようです。ここには私の師が二人いる。祝公先生と宋路殿、あなたです。」

 宋路は少し驚いた顔をして言った。

 「劉焉殿は、このやり取りの中で既に新しいことを学び取られたようですね。祝公先生は奥でお待ちです、さあ、どうぞ、こちらです。」


 奥の書斎に通された。かなりの蔵書があるようである。

 

 祝公は立って、劉焉を迎えた。そして言った。

 「まずは、よく来た、と言わせてもらおう。劉焉殿、本日よりあなたと私は師と弟子の関係になる。よって、今からは名の焉、と呼ばせてもらうぞ。」

 「はい。」

 「父君である劉正殿は、何故、お前を私の下に送り出したか、わかるか。」

 「はい。先ほど宋路殿と問答をさせて頂きましたが、私は機転が利かぬ故、それを父が心配したのであるかと思います。」

 

 「なるほど。後は、思いつくことはあるか?」

 「・・・。そうですね、劉家の嫡男として、外で学ぶ機会を与えてくれたものと思います。」

 「違う。」

 「違い、ますか。」

 「ああ、違う。これは、はっきり言っておこうと思うが、いいかな?」

 「はい、何なりと。」

 

 「劉正殿は、お前のことを“小賢しい”と感じているのだ。その小賢しさを取ってほしい、と頼まれている。」

 この祝公の言葉に、劉焉は動揺した。父が自分の事を「小賢しい」と思っていたことに、大きな衝撃を受けた。

 祝公は続ける。

 「しかし焉よ。小賢しいことは、決して悪いことではないのだ。」

 「小賢しいことに、いいことなどありませぬ。」

 「だから、機転が利かぬというのだ。小賢しいだけでは、確かに駄目であるが、その“小”たるを除けば、すなわちこれ、“賢”になるのだ。小賢しいは悪い意味ではない。本当の賢さを手に入れる前段であると心得よ。」

 「・・・。わかりました。私を今後もお導きください。」

 

 「もちろんだ。しかし、私が教える前に焉にとっての兄弟子である宋路に教えを受けるように。宋路は小柄故、実際の歳より幼く見られるが、一五歳。焉より、年長であるぞ。」

 劉焉は宋路に拝礼し、教えを請う姿勢を示した。それを見て、宋路が笑いながら言う。

 

 「劉焉殿、堅苦しいのは無しにしよう。まずは私と共に先生の身の回りの世話、家の事をしながら学んでいただくが、それで問題ないかな。」

 「はい。これから、何とお呼びすればよろしいでしょうか。」

 宋路はしばらく考えてから、言う。

 

 「そうだな・・・。じゃあ、兄者、と呼んでくれるかな。今日から、私とあなたは兄弟。私は、兄者として、劉焉殿のことは、師同様、焉、と呼ばせてもらおう。」

 「兄者、今後ともよろしくお願いいたします。」

 こうして、劉焉は祝公という師とともに、姉しかいない劉焉に初めての「男兄弟」が出来たのである。

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