第17回 劉焉、南陽郡太守になる
西暦一七六年(熹平元年)、劉焉は荊州南陽郡の太守に任命され、郡治である宛城に入った。
冀州刺史の職務を「無難」にこなし、ある意味、ご褒美的なものなのか「実入り」のいい「旨味」のある職務、それが太守である。
生まれ故郷の江夏郡と隣接しており、故郷に錦を飾った、といっても差し支えないであろう。
太守は、郡内の人事権を掌握しており、もちろん、県令任免の人事権もある。
そのため、県令になりたい者や県令であり続けたい者たちは、太守に「ご挨拶」という名のもと訪れ、賄賂という「お土産」を持ってくるので、太守の間に財を成す者は多い。
実際、劉焉が着任すると、多くの者がご挨拶にやってきた。人事に関するお願いや、争いごとに関する陳情などが多い。劉焉は、話は聞くようにしていたが、「お土産」に関しては、全て持ち帰らせた。
「今度来た太守は融通が利かない」という噂はたちまちに広まり、劉焉の下に来るのは、本当に用件のある者だけになってきた。
劉焉は、県令の任免権を使い、新しい県令の任命や、配置換えを行った。
自分の所に賄賂を持ってきた者は、全員罷免した。そして、同じ場所で県令を長くつとめている者は他の県に異動させるなど、県令の入れ替えを行った。
そうすることにより、官民の癒着を解消し、今後は賄賂の横行は許さない、という姿勢を示したのである。
太守になった劉焉は、冀州刺史の時と違い、まずは「やり過ごさず」に自分の理想とする統治を実現しようとしての挑戦であった。
住民からの評判は上々で、住民から小遣い銭をせびる様な小役人の輩も激減した。
このまま南陽郡の浄化が進むと思われたが、そうはいかなかった。
荊州の刺史である「黄遍」が劉焉を訪ねてきた。
黄遍は、宦官と「べったり」と噂のある者であった。
劉焉への「挨拶」というのが来訪の名目であった。黄遍が言う。
「劉焉殿、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。はじめまして、荊州刺史の黄遍と申します。劉焉殿は、この間まで冀州刺史であったと伺っております。」
「黄遍殿、はじめまして、劉焉と申します。おっしゃる通り、冀州刺史を三年つとめた後にこちらの太守に任命された次第でございます。」
「冀州刺史としてかなり優秀な治績を挙げられたと伺っております。今後とも、よろしくお願い致します。」
「ご丁寧な挨拶、ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。」
今日は挨拶だけだったのか、黄遍は呆気なく帰っていった。
―三ケ月後―
黄遍が再び、劉焉のもとに訪れた。
以前、挨拶に来たときはにこやかな表情であったが、今回は些か厳しい顔つきをしているように劉焉は感じた。
「黄遍殿。何かありましたでしょうか。」
「・・・。劉焉殿、非常にまずいことが・・・。」
「まずいこととは?お教えください。」
「実は、県令の任免について、劉焉殿が自分の息のかかった者や賄賂を持ってきた者を優先して採用している、という申し立てが、私の所に複数から出ております。」
「黄遍殿。それは逆です。賄賂を持ってきた者を罷免し、清廉潔白な者を採用したつもりです。」
「しかし、同一の訴えがここまで多いのは、私としても初めての話でありまして・・・。」
「一体、どうせよというのですか?」
「私は中央の“それなりの方々”と親しくさせて頂いております。もし、私がありのままを伝えれば、劉焉殿のお立場はどうなるか・・・。」
「つまり、賄賂の無心ですか?」
「なにも、その様なことは言っていません。言っていませんが、何が必要か、頭のいい劉焉殿ならお分かりになるのでは・・・?」
明らかなる、賄賂の要求であった。
劉焉は少し間をおいて言う。
「黄遍殿。どうぞ、中央にその様に報告をしてください。」
「何ですと!本当に、それでよろしいのかな?」
「ええ、結構です。私は、私で“それなりの方々”とつながりがありますので、黄遍殿にあらぬ作り話で脅され、賄賂を要求された旨、訴えさせて頂きます。」
「・・・。もう一度だけ聞きます。本当によろしいのですな?」
「ええ、もちろんです。どうぞ、ご自由に。ご用件がお済なら、この後がつかえておりますので、どうぞ、お帰りください。」
黄遍は顔を真っ赤にして帰っていった。
自分の要求が通らなかったのは、恐らく初めてなのであろう。
―数ケ月後―
黄遍を追い返してから数ケ月が経過したが、何の音沙汰もなかった。おそらく、「それなりの方々」にたしなめられたのであろう。実際、荊州は広く、例え南陽郡で賄賂をせびれなくても、他でせびればいいだけなのだ。
黄遍がいう「それなりの方々」は、明らかに宦官であった。
では、劉焉の「それなりの方々」は誰なのか。
それは、洛陽令の時に培った人脈であり、官僚全般である。
黄遍と劉焉の争いは、宦官と官僚の代理戦争と言えた。
洛陽では現在、宦官の権勢が勝っているが、官僚も耐え忍び、踏ん張っているところなのである。
今回は、真っすぐに信念を通した劉焉の勝利である。
「地方にいた方が、自分の理想を追求することが出来る。」
劉焉は、強く思った。
そして三年間、南陽郡で思う存分、自分の理想の「国造り」を行った。賄賂が横行することは無くなり、盗賊や泥棒といった悪人たちも激減し、南陽郡の住民は安心して暮らすことが出来たのである。
この南陽郡の経験は、後の劉焉の人生に大いに関わるものといってよい。そして、まだまだやりたいことはあったのだが、とうとう、中央からお声がかかったのである。




