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蜀主二代ー三国志・劉焉と劉璋ー  作者: 涼風隼人


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第11回 劉焉、三星墜落に立ち会う

 この間に、劉焉には男子が立て続けに二人誕生した。

 一五七年(永和二年)、長男の「劉範」。

 一五八年(延熹元年)、次男の「劉誕」。

 二年連続の男子誕生という慶事に、劉焉一族は沸いた。

 孫の顔を見るため、母の田冬が洛陽に訪ねてきたりもした。


 そしてその翌年、西暦一五九年(延熹二年)。

 祝公はこの年、とうとう司徒に任命され、三公の一員となった。

 儒者として、位人臣を究めたのである。宋路と劉焉もともに諫議大夫に昇進となった。

 

 数年間、宮廷内の人間関係を注視してきたが、結論として、時の天子、桓帝自身が「宦官」を信任し、外戚である「梁冀」を煙たがっているというのが現状であると確定した。

 

 そして時は中秋、事態は一気に動き出す。

 桓帝は宦官の上位の者たちの進言から、梁冀の粛清を決意し、司隷校尉である「張彪」に詔をだした。

 梁冀の専横を苦々しく思っていた張彪は、この時を待っていたといってよい。

 

 司隷校尉は大将軍への監察権も持ち合わせていたが、とても単独で動ける情勢ではなかった。

 張彪は宦官が嫌いである。嫌悪している存在と言ってもよい。今回の詔を出させたのは宦官であるということはわかっているが、個人的感情は抜きにして、桓帝よりの詔を実行するために、緊急で兵を招集した。


 そして、迅速かつ完全に梁冀の屋敷を包囲した。張彪は屋敷に向かって叫んだ。

「逆賊梁冀よ!ここに、天子様よりお前とその一族を討ち取る様にとの詔がある!大将軍であれば、自ら進み出て罰を受けよ!」

 

 梁冀は、この言葉を聞いて覚悟を決めた。

 梁冀は張彪の実力を認めている。張彪が動いた以上、万が一にも逃げる隙などあるまい。梁冀は、妻を呼んだ。そして言った。

 「今、この屋敷を取り囲んでいる張彪というのは非常に優秀な男だ。逃げることは出来ぬ。故に、ここで共に死のうぞ。」

 

 妻は涙を流しながら言う。

 「当然です。私の命は、あなた次第。そう決めて生きてきました。あなたのことを悪く言う人は大勢いますが、私にとっては、大切な優しい旦那様でした。また、来世でもお会いしとうございます。」

梁冀はうっすらと瞳に涙を浮かべた。そして「済まぬ」と一言言って、一閃のもと、妻の命を絶った。梁冀は呟く。


 「我が人生、何の悔いもない。これほどまでに、権勢を握り続けた外戚など、今までの歴史にあろうか。悪名といえども、俺の名は歴史に刻まれる。さらばじゃ!」

梁冀は自ら首を斬り、その命は果てた。

 張彪が屋敷に突入した時、同じ部屋で梁冀とその妻は大量の血を流し絶命していた。


 「梟雄の最期も、実にあっけないものだな・・・。生きたまま捕えたかったが止むを得まい。」

 死体の回収を部下に任せ、張彪は命令を下す。

 「皆の者、梁冀は自ら果てた!次なるは、一族郎党の捕縛だ!歯向かう者はその場で斬ることを許す!」

こうして、梁冀の一族郎党もこの日のうちに一網打尽とされ、多くの者が殺されるか自害をした。捕縛された者も、老若男女問わず、後日、死刑に処され、さらされた。

 こうして、長きにわたる梁冀を中心とした外戚勢力の独裁も、意外なほどあっけなく終わったことになる。


 これで宮廷が落ち着くかと言えば、そうではない。

 ここで、悲劇が起こる。宦官でありながら清らかな風をもつ曹騰が急死をしたのである。

 長患いをしていたわけでもないので、今でいう老衰や心不全が原因であったと思われる。享年五九歳であった。


 そして悲劇は重なる。

 満を持して司徒に任命された祝公も、急死をしたのである。

 原因は、曹騰と同じと考えてよい。享年五〇歳であった。

 

 天下人の様に自由気ままに長年にわたってふるまっていた「凶星」が落ちたと思ったら、これからの世の中を牽引していくべき「巨星」二つも同時に落ちてしまったのである。


 そして、この星々が同時に落ちたことで漁夫の利を得たのが、濁風を吹かす「宦官」たちであった。

 今回の梁冀粛正の提言は、濁風を吹かせる宦官が行ったものであり、桓帝は宦官たちをより身近な「側近」として、ますます重用していくことになり、これからの世の中は完全に宦官を中心に動いていくことになるのである。


 この時代の大きな動きを目の当たりにした宋路と劉焉は、お互いに話し合い、別々の道を歩むことになった。

 まずは、宋路。このまま官途を歩み、何とか儒者が政治の中心でいられるように官界で励む。

 そして、劉焉。劉焉は、師である祝公の喪に服することにしたのである。洛陽の郊外に祝公の墓は建てられたが、その傍らに横になるのがやっと位の小さなあばら家を作り、そこで父親同様の三年間、喪に服すことにしたのである。

 「師は父の如し」という「礼記」や「孝経」の教えに従ったといってよい。ただ、三年間、という長きにわたるのは異例と言ってよい。この時劉焉は三〇歳である。


 二人は別れる前に話し合った。宋路が言う。

 「君郎よ。やると決めた以上、私の分まで師の弔いをしっかり頼む。最低限の食事はこちらから手配して持たせる故、必ず食すのだぞ。」

 「兄者の分まで、しっかりと喪に服します。兄者も、魑魅魍魎の官界で負けずに頑張って頂きたい。喪が明ければ、私もすぐに官途に戻ります。」

 「ああ、わかっている。三年の間に、出来ることをやっておこう。」

 こうして宋路は官界で、劉焉は喪に服す三年間を過ごすことになるのである。

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