あなたとの結婚なんてお断りです!
「あなたとの結婚なんてありえない! 今すぐ森に帰らせて」
「国中に知れ渡っているのに、そんなことできるわけないだろう?」
「いいえっ。ぜーったいに嫌なんだから!」
「ちょ……待たんか!」
「待ちません!」
王子の言葉を無視して、私は部屋から飛び出した。
──信じられない!
本当に、本当に信じられない。
なんで見ず知らずの男といきなり結婚することになっているのよ。
王子様? そんなの知った事か。
私は別にきらびやかな世界になんて興味ない。
大切な人たちに囲まれて、穏やかに暮らせればそれでいいんだもん。
なのに……
それもこれも……嫉妬深いあの継母のせいだ。
「あんの……くそばばぁーーーーーっ!」
老婆だと思って油断した私も悪いのよ。
美味しそうなリンゴだったし。
宝石みたいに綺麗な赤だったのだもの。思わず手に取っちゃったのよ。
でも、まさか老婆が継母でリンゴに呪いがかかっているだなんて思わないじゃない。いくら私の美貌が許せないからって、ここまでする?
……あ、するわ。元々殺されそうになって森にきたんだ、私。
むしろ今回、眠りに落ちるだけですんだのは運がよかったのかな。それを目覚めさせてくれた王子は、確かに恩人かもしれない。
だとしてもよ? なんで結婚しなくちゃいけないのよ。だいたい助けてくれなんて頼んでないし。
どうせ助けてくれるなら……
「姫様。大丈夫ですか?」
ベッドでふさぎ込む私に、侍女だといわれた女性が優しく声をかけてくれる。
「……ありがとう。でも私、姫じゃないわ。森で暮らしているただの娘よ」
「ですが、貴女様は王子の婚約者で……」
「それ‼ 絶対に認めないから。婚約発表なんて冗談じゃない」
「でも……」
「でももなにもないの。私は絶対に逃げるわよ。こんな窮屈な世界まっぴらだわ。それになんで好きでもない男と結婚しなくちゃいけないよ」
「──命の恩人に対して随分だな」
低い声に目を向ければ、部屋の入口に王子が立っていた。
「いきなりレディの部屋に入ってくるなんて失礼じゃありません?」
「声はかけたんだがな。どうやらお話に夢中のようだったので」
白々しい。どうせ声をかけても拒否られると思って勝手に入ってきたんでしょ。
王子は我が物顔で部屋の中に入ってきて、ソファに腰かける。
「で? どうしてそんなに嫌なんだ?」
「どうして? 逆に聞きたいわ。どうして私と結婚したいの?」
「一目見て惚れたから」
「馬っ鹿じゃない? 百歩譲って一目惚れはいいとしてもよ。なんでキスするのよ」
「それは……なんか引き寄せられて?」
「信じられない! 勝手に引き寄せられて、許可もなく寝てる女の唇をいきなり奪ったのよ。許せるわけがないでしょ?」
「いや、それで目覚めたんだから、恩人だし、運命だろう?」
「それで結婚しろとか言われるなら、あのままの方がマシよ」
そう。こいつは奪ったんだ。
「……ファーストキスだったのに」
「そんなこと言ってる場合だったか?」
「言ってる場合よ! ぜーっったいに許さないんだから!」
「なぜだ? ほかに相手がいたのか?」
……いた、とも言える。いなかった、とも。
だって、片想いだったから。
きっと彼は気づいていない。私の想いに。
「黙るって事は、いたのか」
「捧げたい相手は、ね」
「だがそいつは、お前が死ぬかもしれないのに、何もしなかったんだろう?」
「それは……」
倒れていた間、彼がどうしていたかは知らない。
目覚めた時、彼はいなかった。
たまたまいなかったのか、それとも目覚めない私を置いていったのか……
そのことについては考えたくなかった。
だってもし置いてかれたのだとしたら、つらすぎる。
「お前が倒れてそのままだったということは、大方逃げたのだろう? そんな男がいいのか? とても幸せになれるとは思えないけどな」
「勝手に唇奪って城まで連れてきて、一方的に結婚を押し付ける人よりマシよ」
「命の恩人への対価だと思え」
「思えないわよ。大体あなただってこんな口うるさい女より、従順な令嬢の方がいいんじゃないの? 私は森にいたから、とてもじゃないけど礼儀作法とかは知らないわよ」
そんなもの森で生きていくのには必要なかったもの。森で生きていくことになった時点で捨てたわ。必要だったのは薬草の知識だったし、料理の支度だったし、洗濯の仕方よ。
「言っただろう? 一目惚れだったと。それにお前を連れて帰ったことは国中にもう知らされている。婚約することもな」
「よく許されたわね。いきなり女を連れて帰って結婚するなんて」
「まぁ、今まで結婚話を全部断ってきたからな。男色も疑われたりした王子が女を連れて帰ってきたんだ。みんなホッとしたんだろう」
「えぇー……なんか私、利用されてない?」
「さぁな」
ニヤリと笑う王子を見て、本心が少し透けて見えた気がした。
こいつ、本当は私の事好きじゃないんだわ。ただ決められた結婚はしたくなくて、何のしがらみもない私がちょうどよかったんじゃないの?
まぁ、本当にしがらみがないかどうかは知らないけどね。仮にも隣国の元王女ですから。絶対教えないけど。言ったらめんどくさい事になるに決まってるもの。
「で、どんな男だ? 俺との婚約をここまで拒む程の男というのは」
「あなたに言う必要ある?」
「俺が敵わない相手なら、引いてやらなくもない」
「本当!?」
「まぁ、あり得ないだろうがな」
自信ありげに王子の口が緩む。
王子はそれなりの美貌だけれど、それだけだと噂に聞いたことがある。
知性も剣の腕も人並だと。
誰にも負けないのはプライドだけだ。
ここの国の人たちは、そのプライドを大切に守ったりなんかするから、今回みたいな人攫いをしても、誰も注意したりしないんだ。身元不明の女性なんて絶対に婚約者にしたらいけないでしょう。
……あの人なら、絶対に王子に負けたりしない。
ずっと守ってきてくれたんだもん。
だけど、目が覚めた時には傍にいなかったし、今の私には探す術がない。
どこに行っちゃったんだろうか。もう、私のことなんてどうでもよくなっちゃったんだろうか。
森で一緒に過ごした楽しかった日々は、もう戻ってこないんだろうか。
私達はまだお互いに想いを伝えあえていない。
揶揄うとすぐに真っ赤になる彼がかわいくて、いつか伝えてくれるのを待っていたら、こんなことになってしまうなんて。もっと早く伝えておけばよかった。
不安と後悔で心がざわめく中、外が騒がしくなったと思ったら、一人の衛兵が駆け込んできた。
「──申し上げます! 侵入者が正門を突破しこちらに向かっています!」
「侵入者が突破だと!? 兵達は何をしている」
「それが……恐ろしい程の剣の達人で。とても人間業には思えません!」
その言葉でピンときた。
よかった。来てくれたんだ。
「馬鹿を申すな。人間じゃなければ何だって言うんだ」
「それくらい強いのです。どうぞ隠し部屋へお逃げください」
……逃げる? 一国の王子が? 兵士を見捨てて?
呆れた。この国って本当にこのバカ王子を甘やかしまくってるわね。
こんな人がいずれ王になった時、恐ろしいと思わないのかしら。ま、敵うわけないだろうから、ある意味逃げようとするのは正解かもね。
「よし、とにかく逃げるぞ。こっちへ来い」
突然王子に腕を掴まれたけど、大人しく従うわけがないじゃない。
振り払って王子を思いっきり睨みつけてやる。
「情けないわね。自分の城が攻められているのよ。指揮くらいしてみせなさいよ」
「そ、そんなのは俺の仕事じゃない」
「ふーん……ね、さっき言ったわよね? 敵わない相手なら諦めるって」
「い、今はそれどころじゃないだろう」
いきなり話を戻されて王子は明らかに困惑している。
「それどころ、なのよ。だって、彼だもの。私の大切な人」
そんな私の言葉をかき消すかのように騒がしいかった廊下の音が、激しい嵐のように部屋の入り口にやってきた。
そこに立つのは防具もつけない、薄汚れた猟師だった。鋭い眼差しは、飢えた獣みたい。
ただならない殺気に当てられて、王子は腰を抜かしてしまっている。やれやれ……この国は本当に大丈夫かしらね。
「勝負にもならないわね。では、私は帰らせていただきますね」
彼のもとへ近づいていく私を、誰も止めようとはしなかった。うん、正解だよ。だって彼、かつては一騎当千と言われた隣国一の騎士だったんだから。
私が彼の方へと足を向けると、彼の警戒も解けて柔らかな表情をみせてくれた。その眼差しに応えて私も笑顔で彼に近づく。
「……よかった。来てくれて」
「当たり前だろう。さ、帰ろう」
エスコートするかのように手を差し伸べてきた彼。
「……だったら……連れ去られる前になんとかしなさいよねっ!」
彼が暴れ回り、気絶者多数で静まりかえっている廊下に、激しく平手打ちの音が響きわたった。
「どこ行ってたのよ、何してたのよ! 何で肝心なときにいないの!」
「いや……貴女が倒れてからすぐ、魔女のもとに向かって呪いを解かせたのだが……」
「え⁉」
「戻ってみたら貴女の姿はないし、小人達は泣くばかりで」
困ったように頭を掻く彼。
そっか。彼なりに考えて、すぐに行動に移してくれていたのね。
――ちょっと待って。
呪いを解かせたって言ったわよね?
まさか、私が目覚めたのはそのおかげ?
じゃあ……
「私のファーストキスーッ!」
目覚めも何も関係なく、ただの奪われ損じゃない。あんなバカ王子に……
「キ、キス?」
「奪われたのよ! あの王子に。運命だのなんだのって。目覚めに関係なかったんなら、完全に奪われ損じゃない」
「……殺っとくか、あの王子」
おっと。落ち着いていた彼が再び鋭い眼差しを王子に向ける。
「そんなことしなくていいわ。貴方の剣が汚れてしまうもの。それより、大事な話があるわ」
今まで言葉にしてこなかった。
傍にいるだけでいいと思っていた。
だけどこんな風に、突然日常が奪われることが、これからもあるかもしれない。
その時にもう、後悔はしたくない。
「私の命を助けてくれてありがとう」
継母に従えば、私は殺されていたはずだった。それを助けてくれて、自らの地位も何もかも捨てて、森で私と過ごしてくれた。
「ずっと、私を守ってくれてありがとう。私、貴方が大切で、大好きよ」
「……ユキ」
城から逃れ、私は姫ではなく、ただの『ユキ』になった。彼がつけてくれたこの名前も、彼に呼ばれるだけで嬉しい。
「ね、貴方は?」
瞬間、真っ赤に染まった顔を見て、ついつい笑ってしまう。彼のこの顔が大好き。
この顔を見れば、答えは聞かなくてもわかっている。だけど、ちゃんと言葉で聞きたいの。
「ね、一言でいい。一度でいいの。ちゃんと聞かせて」
縋るように彼を見上げれば、真っ赤な顔で狼狽えたけど、しばらくして、微かな声が聞こえた。
「…………すき、です」
風に飛ばされて聞き逃してしまいそうなくらい小さな声。鳥が囀ったらかき消されちゃうくらい。
だけど、ようやく聞けた言葉に私は嬉しくて、羽が生えたかのように身体がふわふわする。
「ね、あんなヤツの感触、貴方が消して」
だいたい、私が意識なかった間のことだもん。カウントゼロよ。
突然待ちの体勢に入った私の要求にオロオロしていたけれど、大きく深呼吸をする気配がした。
このあと触れるだろう気配を感じて、世界一幸せな気分を噛みしめながら、その瞬間を愛おしく待った。
これからは毎日キスしましょう。
楽しいときも、喧嘩したときも。
触れるたびにもっと愛おしくなるから。
あたたかな陽だまりの森のなかで。