(2)
独立都市アウガルテンの北部にある古びたピラミッド型遺跡の入り口、短い洞窟を抜けた先。
そこには果てなき未開の地下世界、通称『アガルタ』が存在している。
入口である洞窟はちょうど高台に位置し、そこからアガルタを一望することができる。
高低差の激しい地面を草木が覆い、ところどころに大木が聳え立つ。
隆起を縫うように川が流れ、遥か奥には広い湖も見える。
視線を上に移すと大木も小さく見えるほどに高い岩肌の天井。
逆さに生えた幾つもの巨大な陽光水晶からは光が降り注ぎ、地下でありながら昼間のように明るい。
地上と同じように、いや地上以上に生命の躍動感にあふれ、そして―
強力な魔獣たちが跋扈する領域。
「トーゴ特務兵、改めて」
「はい、バルトー少尉」
トーゴより頭一つ大きい、がっしりとした肉体に四角い顔立ち、装備は…魔獣素材のタクティカルアーマーに18mmショットガン、ホルスターには11mmリボルバーと大振りなマチェットをさしている。
魔獣戦闘を想定した重装備だ。
バルトー少尉が携帯マップを指し示す。
「今回の任務は上層エリア2の目標地点3か所の偵察、狗頭猿の群れを発見した場合はその討伐だ。我々が先行するので君は後方を警戒しながらついてきてくれ」
「了解しました」
「それと今日はちょっと、新兵が3名いる…そんな顔しないでくれ」
表情に出てたのか、バルトー少尉に苦笑されてしまう。
「失礼しました」
「では行こうか」
バルトー少尉が隊員に指示を出すと部隊全体が一つの大きな生命体のように乱れることなく動き出した。
調査分隊は独立軍の中でもエリート揃いだ。
隆起だらけでおまけに草木も生い茂る足場の悪い地形で、無駄なく静かで素早い行軍。
バルトー少尉を中心として部隊は死角がないようにお互い視線をカバーしながら進んでいく。
これは楽だ。
目標を発見するのもそう時間はかからないだろう、とのんきに考えながらトーゴは部隊の後方でついていった。
「バルトー少尉、何なんですかあいつ?」
行動開始して小1時間、何事もなく一つ目の目標地点に到着し、小休止となったときに兵の1人が小言を漏らしてしまった。
視線の先にはナイフしか装備してない、短い黒髪の若い兵隊が体を休めていた。
「伍長、なんだ不満か」
「子守りに来たんじゃないんですよ、俺た…ってなに笑ってるんですか」
「クックック…いやなんだ、大丈夫だお前には子守りは無理だよ」
「なんですか、確かにエリア2に入るのは初めてですが俺だって走小竜くらいなら対処できるんですよ、狗頭猿だって…」
「わかったわかった、もう行くぞ、行動開始だ!さあ動け動け!復唱、目標は座標B」
「「「目標、座標B、イエッサー」」」
隊員たちが立ち上がって動き始める。
伍長も倣って歩き始めるが、視界の端に再度"軽装の素人"が目に入ってチッ、と舌打ちをしてしまう。
「いくぞ」
「ああ」
「歓迎されてるねえ」
嫌悪感丸出しの視線を感じて皮肉めいた独り言を漏らしながらトーゴも部隊の後を追った。
先頭を行く伍長が異変を感じたのは最後の目標の座標Cに向かう途中だった。
未経験の土地で少なかれ緊張していても彼の優れた魔力探知技能は、高速でこちらに迫る魔獣の群れの気配を感じ取った。
即座に"停止"と"前方敵多数"のハンドサインを出す。
サインを見たバルトー少尉が更に合図を出して部隊全体が音もなく止まったが伍長は魔力探知を続けた。
全身に玉のような汗を流しながら。
(数が多い!すぐ目と鼻の先に50以上もいる!)
報告の倍以上の数。
多いなんてレベルではない。
見つかったらタダでは済まないが逃げ出す時間もない。
単純な戦力だけでなく、遮蔽物の多いこのフィールドも向こうが圧倒的有利。
優秀な彼は確実に迫る避けられない死を即座に直感した。
あまりのプレッシャーに呼吸がだんだんと早く浅くなり…不意に肩に手を置かれた。
「ッ!!!」
「大丈夫ですよ伍長さん、オレがやりますから」
真横にはあの舐めた装備の兵士。
魔力探知には自信があったが全く何も音も気配も魔力も感じなかった。
後方にいたはずなのに。
まるで最初からそこに居たみたいに。
トーゴが後ろに視線を向ける。
バルトー少尉が許可を出すようにうなずく。
「じゃあ先輩、ここで待っててください」
「馬鹿野郎、敵は50はいるんだぞ!一人でどうなるっ!!!」
例え舐めた装備をしていたとしても仲間は仲間だ。
伍長は止めようとトーゴの腕を掴もうとして―
「は、あ?」
消えた。
音も前触れもなく。
手は中空を掴み、同時に激しい打撃音が鳴り響いた。
「はあああ?!!?」
前を向くとトーゴがナイフの柄で群れの先頭にいた狗頭猿の頭を殴ったところだった。
頭蓋骨が陥没し、上顎が下顎にめり込み血が噴き出す。
一瞬で命を刈り取った。
反射的にすぐそばにいた個体が噛みつこうと飛び掛かる。
トーゴの右手が一瞬ブレる。
猿の頭が縦に真っ二つに割れて絶命。
仲間が一瞬でやられたことようやく気が付いた他の個体は威嚇の雄叫びを上げる。
逃がすまいと素早く取り囲む。
怒りが渦巻く群れの真ん中でトーゴの口の端が吊り上がった。
次の瞬間にその姿が搔き消える。
そして激しい風が吹く。
近くの狗頭猿の首が複数飛ぶ。
また風が吹く。
狗頭猿が次々と勢いよく弾かれ、木や岩に当たって潰れる。
その場で地面に叩きつけられ、大地のシミになった個体。
縦や横や斜めに切られて、崩れ落ちる個体。
中には逃げようと体を翻した個体もいた。
しかし次の瞬間には腹からナイフが飛び出て、引き裂かれた。
「ハッハッハッハ!!!」
悪魔のような笑い声。
防御も反撃も回避も何も出来ず、触れられた瞬間に死が訪れる。
一方的で理不尽な暴力の嵐。
猿たちの激怒の雄叫びが悲鳴のような金切り声に変わるまでに、そう時間はかからなかった。
つい先ほどまで小隊規模でも勝てるかどうかわからない絶望的な状況が、今は魔獣達が可哀そうに感じるほど圧倒的だった。
(なんなんだコイツは!)
伍長の銃を持つ手が震える。
魔術探知はもちろん、目も耳もまるで姿をとらえられない。
先ほどとは別の種類の汗が流れて「伍長!!!目の前だ!!!」
「え?」
前を向くと一匹の狗頭猿が一矢報いんと襲い掛かってくるところだった。
大きく開いた口の鋭い牙が、飛び散る涎の一滴一滴が鮮明に確実に命を奪おうとする瞬間で。
ダンッ!!!!
上から雷のように落ちてきたククリナイフが狗頭猿を地面に縫い付けた。
「はいおつかれー」
この場にそぐわない軽々しいセリフが背中から聞こえて戦闘は終わった。
「バルトー少尉、終わりましたよ。多分他にはいません」
「よくやった。トーゴ特務兵は休め。伍長、お前はここで警戒を続けろ!他の者は素材を剥ぎ取れ!
作戦目標達成のため、座標Cには向かわず10分後にここから退避。時間はないぞ動け動け!」
バルトー少尉の命令で隊員たちは瞬時に動き出した。
魔獣の素材はどれも貴重だ。
隊員たちは狗頭猿の死体を手際よく解体して、素材をバックパックに詰めていく。
トーゴは一応周りの警戒はしつつも装備を確認する。
投げたククリナイフを猿の死体から引き抜き、刃を指でなぞった。
酷く刃こぼれしているだけでなくヒビまで入っている。
「このナイフも、もうだめか…」
実はどのナイフもボロボロだ。
一応後で技術部の人間に見てもらおうかな、と思い鞘にしまった。
「おい」
さっき助けた兵士が気まずそうに声をかけてきた。
「なにか?」
「その、さっきは助かった」
「ほう…」
案外率直に礼を言うものだな。
元々性根は悪くないのかもしれない。
「あんた…貴官がいなかったら俺は死んでいた」
「気にするな、任務だ」
「俺の名はレニハン、レニハン伍長だ」
そう言って右手を差し出してきた。
こちらも右手を出して握手で応じる。
「トーゴだ」
「感謝する。後で奢らせてくれ」
そう言うと彼は持ち場に戻った。
思えば昔は、こんなことはなかった。
「ほんと今世は…調子が狂う」