観察日記⑤
今回の観察対象は一度は皆考えたことがあるんじゃないかな?
でも気づいたら考え無くなり大人になっていく。
そんな考えに納得がいかない少年の物語だよ。
子供の頃の思い出だ。
小学生の時、宿題をやって来なかった事を先生に怒られた。
「五十嵐!お前また宿題やって来なかったのか!」
俺は何で宿題をやらなくてはならないのかわからず先生に聞いた。
先生は将来役に立つからだと言った。
将来何の役に立つのかと聞くと中学生や高校生になると受験というものがあるらしい。
難しいテストを受けて合格すると大人になった時役に立つと言われた。
俺はそんな先の事なんて考えられなかった。
納得ができずそれでも先生に質問しようとすると、大人になったらわかるから今は黙って言われたことをやりなさいと言われた。
普段から受けている授業などもそうだ。
皆で同じ時間に同じ授業を受けて同じ問題を考える。
与えられた問題には答えがあり、正解すれば褒められ不正解だともっと勉強するよう言われる。
やはりわからない。
例えば後ろの席の女子は絵を描くのが好きで得意な教科は美術だ。
将来は有名な画家になって自分の好きな絵を描いて暮らしていきたいという夢も持っている。
他の授業中も絵を描いていてたまに先生にバレて怒られている。
その子は申し訳無さそうに謝っていた。
何で好きなことをやって上手くなる為に努力をしているのに怒られるのだろうか。
俺から見たらその子のやっている事に別に怒られるような事はないと思う。
再び先生に聞いてみた。
先生は面倒くさそうに答えた。
必要最低限な授業を受けていないと常識が身に付かないから授業を受ける必要があるという。
必要最低限の常識って何ですか?
と質問したが先生は答えてくれなかった。
翌日、母親が学校に呼ばれ先生から注意を受けていた。
母親は先生に頭を下げて謝っている。
その日の夜、両親に怒られた。
俺は疑問に思ったことを先生に聞いただけだと説明したのに全く聞いてもらえず、反抗的な態度を取るな、先生の言う事を聞きなさいと命令に近い形で言われた。
俺はこの件をきっかけに更に頑なになった。
ある日、後ろの席の女子に聞いてみた。
「ねぇ、新藤さん。ちょっと聞いていい?」
「何?」
新藤は絵を描きながら答えた。
「前クラスで将来の夢って題で発表あったじゃん。その時新藤さん絵描きになりたいって言ってたでしょ?」
「うん。」
手を止めずに新藤は答えた。
「美術以外でも絵を描いて先生に怒られることあるじゃん。俺、あれが意味がわからないんだよね。」
「どういう事?」
新藤が初めてこちらに顔を向けた。
「新藤さんは自分の夢を叶える為にやってることなのに何で怒られなきゃならないのかって俺は思うんだ。新藤さんはどう考えてんのかなって思って。」
新藤は手を止めて少し考えた。
「わかんない!」
「え?」
「あんまり考えたことなかった。確かに先生に怒られるのは嫌だけどそれより絵を描きたいって気持ちの方が強いから…ってこと位しかわからないかな。」
真剣な表情で新藤は言った。
「なるほど…。」
完全に納得した訳ではないが少なくとも先生や両親より新藤の言ってることは分かりやすかった。
「新藤さん、ありがとう。」
俺が言うと新藤は笑顔を向けまた絵を描き始めた。
それから中学生に上がった。
結局小学生のうちはずっと疑問が出ては先生に質問して繰り返すと両親を呼ばれるという事を何度も経験した。
そのせいでクラスではかなり浮いた存在になってしまった。
あいつはおかしい、何を言っているのかわからない、ノリが悪いなど色々言われているのはわかっている。
しかしそれより気になって仕方ないのだ。
何で中学生になっても授業内容は難しくなっているが結局皆同じ授業を受けている。
同じ授業内容、同じ宿題を受けることに違和感が取れない。
少なくとも同じ授業をやるにしてもその中で一人ひとり得意箇所、不得意箇所はバラバラなはずなのに何で皆で同じことをするのだろう。
分かっていることをまた説明されている生徒はどんな気分なんだろう。
退屈なのではないだろうか。
先生に聞いても小学生の頃からこういう生徒だという情報が入っているのだろう。
まともに取り合ってくれない。
両親に至っては大人しく授業を受けてくれ、学校で目立つようなことはしないでくれと頼まれてしまった。
俺がおかしいんだろうか。
いつも自分に不安と焦りを感じていた。
俺は中学生になって美術部に入部した。
動機は新藤がいるからだ。
俺が学校でほぼ孤立しているにも関わらず新藤は小学生の頃と変わらず話してくれた。
俺の疑問にも面倒臭がらず新藤なりに考えて答えてくれた。
俺は絵はからっきし描けないが教わりながら描いていると少しずつ上達しているのがわかりそれが楽しかった。
新藤はコンクールなどでも受賞するなど結果を残し着実に自分の夢へと歩みを進めている。
奢ることなく努力を重ね、授業中も相変わらず怒られながらも絵を描いている。
そんな新藤の姿が眩しく感じ、同時に嫉妬にも似た感情を抱いた。
どうしてこんなにも違うのだろう…。
絵に関しては小学生の頃から努力をしているのを見ているのでもちろん新藤のほうが上手いのはわかる。
しかし、周囲から注意を受けても気にすることなく自分の夢に進めるのは何でだろうか。
俺は何でこんなに疑問だらけで毎日悩みながら過ごしているのだろうか。
頭の整理ができないまま日々を過ごしていた。
中学生最後のコンクール直前、新藤がスランプに陥った。
期限は迫っているのに納得のいく絵が描けない。
何度も描いた物を見つめて何かを考えてくしゃくしゃに丸めて次に取り掛かるという光景を目の当たりにした。
こんな新藤初めて見たので俺もどう接したらよいかわからずありきたりな励ましの言葉しか掛けられない。
新藤は苦しそうな笑顔でありがとうと言いまた集中して作業に取り掛かった。
コンクールの提出期限直前に新藤はぽつりと呟いた。
「もう辞めたい…。」
「え?」
俺が振り返ると新藤は涙を流しながらうつ向いていた。
「こんなに頑張ってのに…全然思った通りに描けないよ…。苦しくてイライラしてあたし…何がしたいんだろう…。」
「でも小学生の頃からずっと努力して頑張ってきたじゃん。まだ時間はあるしもう少しがんば…」
新藤が机を強く叩いた。
「五十嵐にはわからないよ!この苦しさは!」
俺は言葉が出なかった。
確かに俺にはわからない苦悩なのだろう。
頑張っているのは見てきたがいつも楽しそうに絵を描く新藤しか見てこなかった気がする。
本当は前にもあったのではないだろうか?
新藤は部室を出て行ってしまった。
中学生最後のコンクールは新藤の作品がないまま終わった。
高校に上がり俺たちは別々の高校になった。
コンクールでの一件以来新藤とはまともに話をしないまま卒業してしまった。
俺は高校ではあまり自分の中の疑問を口に出さないようにした。
正直今でも授業にしても友人関係にしても何で?と思うことは多い。
選択授業などが増えはしたものの狭い範囲での選択、例えば理科が化学か物理か選べるなどそういったものだ。
それでも今までよりも大分ましだと感じた。
こうやって大人になるにつれ少しずつ選択肢が増えるものなのだろうか…。
それでもあまりにも同じ事をさせる事が多い。
ほとんどの授業はみんな同じ内容の授業を受けテストを受ける。
友人関係では流行の芸能人やファッションを調べて友人たちの話に合わせる。
正直全く興味はないがこうしないとまた浮いてしまう。
ファッション誌やネットで流行りを調べるととにかく個性を主張してくる。
しかし、実際個性的な人というのは周りが離れていき、おかしいというレッテルを貼られることを俺は知っている。
学校での生活は中学生の頃までと比べると浮いたり、先生から目をつけられるような事は無くなった。
周囲から見て「まともな人」という評価なのだろう。
しかし俺は、社会が皆同じことをさせる構造と個性を主張する構造の矛盾に違和感を感じすっきりしない気持ちで過ごしていた。
高校でも俺は美術部に入っていた。
正直中学で入っていたからそのまま何も考えず入部した。
特に描きたい物がある訳でもなく、指定課題を中心に絵を描きほどほどの評価を得ていた。
先生からはもっと自分を絵で表現しろと言われたがよくわからなかった。
いや、たぶんわかっている。
酷く曖昧で不安定な形をした人間のようなものを俺は描くだろう。
今の俺は結局色々考えてはいるが周囲に流され、ただ何となく生きているような気がする。
気づけば高校3年生になり、最後のコンクールが間近に迫っていた。
同級生たちは最後のコンクールで張り切って作業をしていた。
俺はいつも通り淡々と作品を描いていく。
本当にこのままでいいのか?
自分の中で何かが騒いだ。
こんな中途半端なまま高校を卒業して大学に行って社会人になって…。
俺は一体何なんだ?
そこで俺の中で何かが弾けた。
今まで淡々と作っていた作品をくしゃくしゃに丸めて集中して作業に取り掛かった。
部員たちだけでなく先生も声を掛けられないほど集中して描いた。
何度も描いて何度も破り捨て繰り返し描いた。
今は周りからどう見られてもいい。作ったものがどう評価されても構わない。
俺が俺のやりたいようにやるんだ。
その気持ちで作業を進めた。
なかなか思うように描けず何度も諦めようとした。
今まで淡々と作業をしてきた俺が描けるのか?
急に思い立って行動して思ったように描けるなんて都合の良いことが起こるのか?
不安と焦りは増すばかりだ。
それでも必死に描き続け作品が完成したのはコンクールの締め切り直前だった。
疲労と眠気で頭が働かない。
でもやり切ったという思いは強くあった。
その後美術部を引退して受験勉強を行っていた。
俺の作品は特に賞などは取ることはなく、コンクールで飾られていた。
自分でも想像以上に不気味な絵が出来上がった。
予備校が終わり帰る途中、新藤を見かけた。
何かの本を読んでいる。
中学のコンクール以来だったが何を話せばいいかわからず俺は素通りしようとした。
しかし、たまたま顔を上げた新藤と目が合い新藤は以前のように明るい笑顔をこっちに手を振った。
「久しぶり、五十嵐!」
そう言って新藤は駆け寄ってきた。
「久しぶりだな、新藤。」
「中学以来だもんね。」
取り留めのない会話が続く。
「ちょっと寄って行かない?」
新藤が公園を指差して言う。
俺は従い公園のベンチに腰を掛けた。
「中学のときは…ごめんね。」
急に新藤が謝ってきた。
「俺こそ無責任な応援なんかしてごめん。新藤が小学生の頃から努力してきたの知ってたのに…。」
「謝ることないよ!あれは完全にあたしが悪かったの。」
そう言って新藤はこちらを見た。
「小学生の頃とか中学生に入りたての頃は何も考えずただ好きなことだけやってきてそれを周りがどう思うかなんて考えもしなかったの。でもあの時中学最後のコンクールでいい作品を作ろうとしちゃったんだよね。いい作品っていうのは誰もが認めてくれる作品ってことね。そしたら描いても描いても納得できなくて…。これはあたしが描きたい作品じゃないって思いながらでもこっちのほうが皆好きなんじゃないかとか考えすぎて訳わからなくなっちゃったんだよね。」
「そうなんだ。」
新藤も相当大きなプレッシャーを感じていたのだろう。
「あんな事あったから高校に入ってすぐはまだ絵が描けなかったんだ。でもふと思ったの、何で一回描けなかった位で辞めなきゃいけないのか?元々絵を描くのが好きで続けてきたことなのにこんな辞め方でいいのか?って。」
新藤の目が昔の輝きを取り戻していた。
「私は絵が描きたいだけなの!誰にも文句言われたくないし、自分の描きたいように描きたい!その為にずっとやってきたんだから!」
完全に中学での件は振り切れているようだ。
「でもこういう考え方が出来たのは五十嵐!あなたのお陰だよ?」
「俺?」
素っ頓狂な声が出た。
「五十嵐は小学生の頃からずっと理解できないことを理解しようとしてたじゃない。あたしは正直なんでずっとそんな事ばっかり考えてるんだろって思ってたんだよね。ずっと先生に怒られて友達からも相手にされなくて…。中学の頃には友達からは完全に腫れ物扱いで先生からも無視されてたよね。」
「そうだな…。」
「それでも自分を曲げずにいたのは本当にすごい事だと思ったし、考える事が好きなんだなって思ったよ。」
「考えることが好き?」
そんなこと考えたこともなかった。
「俺はただ納得がいかなくて…。でも誰も教えてくれなくて…。答えが知りたかっただけなんだ…。」
「あんなに周りから冷たくされたり、無視されたりしたのにそれでも辞めなかったんだよ?それはもう好きでいいんじゃないの?」
「そうかな…。」
「っていうか誰かに答えを貰おうとするから納得がいかなくて苦しいんじゃないの?納得がいくまで自分で考えてみたら?例え時間が掛かって、最終的に答え何か見つからなかったとしても自分が納得するまで諦めなければいいんじゃない?だって五十嵐は何よりも『それ』が気になってるんでしょ?」
「そうか…。そうだよな…。」
俺の中で何かが吹っ切れた。
「新藤、ありがとうな。」
「こっちこそだよ。」
新藤は笑顔を向けた。
「俺…高校でも美術部入ってたんだけど高校で辞めるわ。大学に行って専門的に調べてみるよ。どんな結果になっても自分がやりたいって決めてやるんだ!それだけで今までとこんなに違うものなんだな。」
「お互い違う道だけど頑張ろうね!私が有名になったらサインあげるね!五十嵐が有名になったら…本でも出すのかな?サイン頂戴ね!」
新藤が満面の笑顔で言いベンチから立ち上がった。
「お互い頑張ろうね!」
「ああ。」
俺は返事をして五十嵐と別れた。
ずっと悩み続けてきた事のスタートラインにやっと立てた気がした。
俺が感じている矛盾は他の人からどうでもいいのかもしれない。
でも俺にとっては大事な事なんだ。
だから知る努力をする、頑張る。
これだけでいいんだ。
俺は家に向かって歩きだした。
彼が歩き出した道は茨の道だ。
きっと答えなんか無い。
それでも高校に上がった彼が自分の本音を押し殺して「普通」を手にいれてしまっていたらずっと同じ悩みで苦しんでいただろう。
今回彼はずっと他者に答えを求めていたけど自分で決めて歩き出した。
これは本当にわくわくすることだね。
今後彼がどうなるのか…。
どんな展開になっても面白そうだ。
じゃあ、そろそろ時間だね。
僕は行くよ。また会おう。