9 年下皇帝からの溺愛宣言
◇◇
「やっと見つけましたよ。紅琳」
「何だ。華月か」
後宮の大池の畔。
人気のない場所を選んで、紅琳は写生をしていたのだが……。
(もう、バレたのか……)
想定外だ。
やっと見つけた秘密の場所だったのに……。
(次は、何処に隠れたら良いのか)
紅琳の目下の悩みは、それだった。
――玉榮の正体を晒し、捕縛してから一カ月半が過ぎようとしていた。
妖に国が乗っ取られかけていたなんて、有り得ない醜聞はもちろん口外禁止にした。表向きは、玉榮を反逆罪で捕えたということにしている。
それでも、後宮内では真実が知れ渡っていて、紅琳の存在は、妃嬪たちの蔑視の的から畏怖の対象に変化していた。
ともかく、これ以上、後宮内で悪目立ちしたくないのだが……。
「私に話があるのか? 華月」
「玉榮のことですよ。朔樹殿が見張ってくれているのですが、解呪の方法を吐かないのです。尋問方法を変えた方が良いのでしょうかね?」
「何だ、そんなこと。解呪なんて時間の問題だろう。急ぐ必要もない」
「しかし、私には死活問題。心が落ち着きません」
「悲観的に考えなくてもさ。完全な男に戻ったら、念願の欲望解禁なんだ。妃なんて選び放題。どの娘が良いか、今のうちに、吟味してれば良いじゃないか」
「妻に浮気を勧められる夫の気持ちって……ね?」
「別に、浮気じゃないだろう?」
「……で? 貴方は堕落した皇妃として、再び離縁されることを目指しているというわけですか?」
華月の呆れ果てた溜息に、紅琳は肩を竦めるしかなかった。
「これが最善なんだ。私は皇后の器じゃない。二度の離婚で、更に悪名を上げてる方が性に合ってる」
「最近、以前のように、私と政務をしないのも、そういうことですか。いつも貴方は逃げてばかりで、一向に私と会ってくれなかった。ここだって、李耶を懐柔して、ようやく教えて貰ったんですから」
(李耶の奴)
あれほど、華月に居場所を教えるな……と、頼んでおいたのに、簡単に言いなりになってしまうなんて。
「華月。政務は皇帝がするものだ。今までは、不測の事態に備えて、私もあんたといたけれど、妃が出しゃばるとロクなことにならない。あんたが一番よく知っているはずだろう」
紅琳は華月を淡々と諭しながら絵を描いていた。
離縁したら、後宮の景色を見ることは出来ないのだから、早めに仕上げておきたかったのだ。
「他人事ですね」
「私の役目は終わった。後はあんたの仕事。私は、画家として忙しいんだよ」
「一応、友からの助言ですけど、残念ながら、貴方のその絵の腕では、画家と名乗るのは難しいと思います」
「はあっ!?」
紅琳の肩越しに、華月は斬新な構図の絵を見たのだろう。
率直な友の意見に、紅琳は唇を尖らせるしかなかった。
「あんたには、この私の躍動感溢れる豪快な筆致で描いた画が、理解できないのか?」
「まったく」
一蹴されてしまった。
(おかしいな)
なぜか、昔から紅琳の絵は、評価されないのだ。
「もう暫く、絵の勉強をしてみたら如何ですか? 後宮でなら、いくらでも学ぶ時間を取れますよ」
「後宮でなくても、学ぶ時間は得られるだろう?」
「……しかし」
「いいか、華月。あんたは立派な皇帝になる。私はそう見込んだんだ。佳い女性を妃に迎えて、跡取りを沢山作って、この国を繁栄させてくれ。私は今後、あんたの友として、遠くから……」
「紅琳」
「はっ?」
「貴方、処女ですよね」
「………っ!?」
瞬間、絶句して硬直した紅琳は、筆を膝の上に落としてしまった。
「突然、何てことを言うんだ!? あんた、また変な呪いでも掛けられたのか?」
おかげで、お気に入りの着物に、墨染みが出来てしまったではないか。
ぎこちなく振り返ると、皇帝しか身に着けることが出来ない、濃紫色の衣を堂々纏った華月が、むくれ顔で紅琳を見下ろしていた。
「私は、いたって正常で問題ありません。ついでに、人払いは徹底していますから。今の会話は、私と貴方しか知り得ません」
「いや、そういう問題ではなくて」
赤面を隠すように、紅琳は下を向くが、華月はお構いなしだった。
「貴方が男慣れしていないことは、分かっていました。触れようとすると、避けたり、ぎこちなかったり……。私がそういった話をすると、貴方は顔を真っ赤にして目を逸らす。今のように……ね」
「試していたのか、私を?」
「いや、まさか。ただ触れたいという欲望の中に、照れる貴方を見てみたいという探究心があっただけです」
凄まじく言葉を装飾しているが、要するに紅琳の反応を「試していた」のだろう。
六歳も年下の甥っ子に対して、情けない話だった。
「しかし、そんなこと暴いて、一体」
「……だから、沙藩王と貴方の婚姻は、契約だったのでしょう?」
「えっ?」
「貴方は妃とはいえ、名ばかりで、沙藩王と「夫婦」ではなかった」
そして、その場にしゃがんだ華月は、紅琳としっかり目線を合わせた。
「契約条件は何だったのです?」
「何で、そんなことまで、分かったんだ?」
「分かりますって。貴方は私の妃なんですから」
自信満々に妃の部分を強調されると、何とも複雑な気分だった。
(どうせ、嘘を吐いたところで、墓穴を掘るだけだ)
だったら、白状するしかない。
「あー。察しの通り、沙藩王には、私と出会う前から、恋仲の女性がいたんだ。だけど、彼女の地位は低く、一人の女性を寵愛するには敵が多すぎた。命が脅かされる心配があって……。丁度その頃、蒼国から私との縁談話があって、王は私の体質のことを知った。絵を描く時間をたっぷり与えるから、お飾りの妃をやって欲しいと頼まれたんだよ」
「はあっ!?」
紅琳が仰け反るほど、怒りを露わに華月が叫んだ。
「その程度の契約で、貴方は沙藩にいたのですかっ!?」
「その程度って、な。当時は私に選択肢なんてなかったんだ。蒼国にいても、私は皇帝暗殺未遂犯だ。それにお妃さん、可愛かったんだよ。護ってやりたかったんだ」
「貴方って人は」
再び前を向いて、絵筆を持とうとした紅琳の背中に、華月がずるずると寄りかかって、座った。
「おい、華月。やめろ。着物が台無しになる」
結構、体重を掛けてくるので、重苦しい。紅琳はすっかり前のめりになってしまった。
「貴方は悪女というより、究極のお人好しですよね」
「それは、あんただろう?」
「いいえ。私には出来ませんよ。そんなこと」
「そうかな? 私は結局、自分のことしか考えていなかった。契約の下、絵だけを描いて満足していれば良かったのに、いつのまにか、それだけじゃ、物足りなくなってしまった。沙藩王は優しい方だ。今回のことだって、私が頼んだら協力をしてくれた。……もう二度と頼る気もないけど、嬉しかったよ」
「もしかして、貴方、沙藩王のことが好きだったんですか?」
「好きだよ」
「…………」
息を呑んだ華月の心情など分かるはずもなく、紅琳は平然と話を続けた。
「私は沙藩王と、お妃さんの二人が好きだった。ずっと三人、仲良く出来るって。でも、二人の間に子が生まれて。何でかな? 私だけ、取り残されてしまったような気がしてな」
「……紅琳」
「ほら、華月。もう良いだろう? いい加減、離れ……」
「離れません」
「何、言って。……うっ」
一層、華月が重心を掛けてきたので、紅琳は黙るしかなかった。
「私なら、貴方をそんな気持ちにさせない。たとえ、解呪出来ても、私は貴方以外の妃はいらない。正直、女の私は、どんな妃嬪よりも美しいので、ただ綺麗なだけの女では萎えてしまうのです」
「いや、あんた……無自覚に、酷いこと言っているからな」
「田舎生活……。私も、連れて行ってくれるんですよね?」
「覚えていたのか?」
小さく舌打ちしたのを恨んでか、華月の口調は辛辣だった。
「あの時、私、本気で泣いていたんですからね」
「……可愛いな。華月は」
「ええ。いいですよ。今はそれで。可愛いとか、放っておけないとか、そんな感情で構いません。貴方の中では、私は未熟で、皇帝といったって、まだ頼りないかもしれませんけど、でも、いつか……沙藩王より良い男になります。……だから」
――と、その時だった。
必死な華月の言葉を遮って、頭上から叫声が落ちてきた。
『陛下! 紅琳ちゃん。大変よ!!』
頭上を旋回していた大きな鳥は朔樹の声をしていた。
「人払いの意味って……」
「ああ、術師には効果ないみたいだな」
紅琳は、華月の肩を軽く叩いてから立ち上がった。
「どうしたんだ? 朔樹。玉榮を見張ってくれてたんじゃ?」
『その玉榮が逃げちゃったのよ! どうしましょう。今、指示を出して、探しているけど、見つからなくて……』
さすが、皇帝三代にまで取り憑いた妖怪。
紅琳もたまに監視しに行っていたが、もっと警戒すべきだったらしい。
「不味いな。早く見つけないと。朔樹は引き続き、探索を! 私もすぐに合流するから」
『分かった』
大鳥は空高く羽ばたいて、その場から消えた。
こうしてはいられない。
「私も朔樹と一緒に探しに行って……。ん?」
飛び出しかけていた紅琳の腕を、華月が掴んでいた。
「何を言っているんですか? 貴方、私の妃ですよ。勝手に後宮出たら駄目ですよね?」
「あのな、そんなこと言っている場合か?」
「行くなら、私も一緒です。当然でしょう。この事態、貴方こそ分かっているのですか?」
「分かって……!」
……と、そこまで言いかけて、紅琳は空を仰いだ。
(そうだった)
華月の方が、深刻だった。
「やはり、貴方に後継ぎを生んでもらうしか」
「話が飛躍しすぎだ。華月」
「大丈夫です。紅琳。私、沢山勉強したんです。初めての貴方にも、悦んで貰えるよう、技術は保証しますから」
「そんな保証いらないよ」
はあ……と、肩を落とし、深呼吸をしてから、紅琳は華月が掴んでいた手に自分の手を絡ませた。
仕方ないだろう。
紅琳も、まんざらではないのだから……。
「後宮は、女が大勢いて危ないからな」
「……紅琳」
数瞬の沈黙。
華月は強く手を握り返してきた。
「ああ、正直、少しだけ玉榮に感謝してしまいました。私は最低ですね」
「はっ?」
今、華月が何を言ったのか……。
真っ赤な顔で前を走る紅琳には聞こえなかったのだが、次の言葉だけは、やけにしっかり耳に届いてしまった。
「ねえ、紅琳。私のこと、本当は気に入っていますよね?」
――その後、皇帝を引っ捕まえて、後宮内を全力疾走した暴力女として、紅琳は国外にまで悪名を轟かせることになるのだが…… 。
その時の紅琳は、知る由もなかった。
【 完 】