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5 危険な二人きり

◇◇

 ――いっそ、逃げてしまえば?

 紅琳一人だったら、逃げ切れる自信があった。

 とことん、逃げて、何処か遠い処で、絵を描いて生きていく。

 実際、皇帝から死罪と命じられたら、実行するつもりでいた。

 紅琳は、李耶を始め、少ないながらも侍女を抱えてはいるが、彼女達に危害が及ばないよう、手は打っていたのだ。


(だけど……)


 華月は紅琳の友人だ。

 まさか、男で皇帝だったなんて、未だに驚いているし、本性が変態っぽいところも、困りものだが、彼を見捨てて、逃亡するのは、後味が悪過ぎる。


(……どうしたものか)


 本当は……。

 華月が紅琳に触れても、彼が女身化しない理由を、知っていた。

 だけど、それが何だと言うのか?


(私の体質だけでは、華月の解呪は無理だ)


 だったら、告げる必要もない。

 華月は今に至るまで、躍起になって呪術者に解呪法を聞いて回っていたらしく、須弥の集落にも尋ねたと話していた。

 須弥の長老に尋ねても、無駄だったとなると……。


「あの男しか……」


 ――心当たりの人物が、一人いた。

 正直、今も王都に住んでいるか分からないが、訪ねてみる価値はあるかもしれない。


 ――翌朝。

 有無をも言わさない勢いで、紅琳は華月に市井の呪術者と連絡を取りたい……と

直訴すると、華月は半日だけという約束で、紅琳の願いを聞き届けた。

 やけにあっさり了承したと思ったら、案の定……。


「……で? どうして、華月までついて来るんだ?」


 狭い馬車で、ご機嫌麗しい女神、華月が、紅琳の隣にちょこんと座っていた。


「いけませんか?」

「いや、普通に考えて駄目だろう。身体だってまだ本調子じゃないだろうし、自分の立場、分かっているのか?」

「分かっていないのは、貴方ですよ。紅琳様が単独で後宮の外に出たら、罪になる。私は見張り役です」

「んー。まあ……いいけどさ。せめて、紅琳「様」はやめてくれないか。皇帝に「様」付けで呼ばれていると、寒気がする」

「それなら、こ、紅琳。宜しくお願いします」

「そこ、照れるところなのか?」


 頬を赤らめている華月が純粋すぎて、紅琳は泣きたくなった。


(この国、心配だな)


 李耶は志願して、御者を務めてくれているので、二人の会話は聞こえていないだろうが、多分耳にしていたら、一生、笑い話にされそうだ。


(ただでさえ、李耶には隠し事が多いのに……)

 

 華月がやんごとない身の上の男性であること、呪いによって女身化してしまった事までは、李耶にも話したが、皇帝であることは、さすがに、蒼国人として話すことが出来なかった。

 ……紅琳だって、まだ信じきれてないのだ。


「一応、訊いておくけど、あんたの体をそんなふうにして、今、殺そうとしているのって?」

「玉榮ですよ。決まってるじゃないですか」

「……だよな」 


 まあ、そうなのではないかと思ってはいた。

 現状、玉榮は皇帝よりも、権力を持っていると言われている宦官だ。

 華月が正常な身体を取り戻して、政をするようになったら、一番困るのは、玉榮なのだ。


「証拠はありませんが、間違いありません。そんな身体で大変ですね……とか、解呪の方法探しますとか、同情だけ示してきますが、懐の深い臣を演じたいだけで、むしろ、大人になって厄介になってきた私を葬りたくて、仕方ないのです」

「怖い相手だな」


 一度だけ玉榮に会った時、嗅いだ妙な香を思い出して、紅琳は吐き気を覚えた。

 あれは、呪術者が纏う香だったのか?


「確か、泰楽帝時代からの宦官だったよな。あんたの父は、玉榮を更に出世させた」

「祖父様も、父も、あいつの色香に引っかかったんです。私にはさっぱり理解出来ませんけどね」

「色香……ね。まあ、玉榮が子供を授かることはないだろうから、それだけは救いか。手っ取り早く、玉榮を縛りあげて、術式を聞き出せば、解呪も可能だが、それが出来ないとなると……」

「いっそ、暗殺とか。私も考えたのですが、しかし、玉榮が死んでも解けない術だったら、私、おしまいですからね」


 華月が仄暗く呟いた。

 今までの彼の苦労が偲ばれる。

 本来、何事もなければ、若く美しい一点の曇りもない外見。精力的に政務もこなしていただろうに……。


(不憫だな)


 同情はしているが、現状、紅琳だけではどうにもできないのだ。


「……つまり、玉榮は私が沙藩の元正妃だから、私の後宮入りに賛成したんだな」


 それだけは、華月と玉榮の利害が一致したのだろう。


「賛成というより、黙認……ですかね。沙藩との関係が微妙なのは事実。貴方の扱い方は揉めました。でも、会った時、貴方の格好や言葉遣い、諸々を見て、あいつは貴方を使えないと見下し、処遇を私に一任したのです。私としては逆に幸運でしたけど」


 華月が唇を噛みしめていた。

 紅琳が莫迦にされているだけなのに、なぜ華月が腹を立てているのだろう。

 皇帝と面会できないことに怒って、傍若無人に振る舞っていたのだから、紅琳にも問題があったのだ。


「構わないよ。誰だって、一国の公主、妃が貧相な格好で、後宮の池で魚釣りしたり、木登りしたり、食べられる草を探して歩いていたりしたら、怖いよな。そんなんだから、離縁されるんだって、陰口叩かれても仕方ない」

「えっ? 貴方、食べられる草を探していたんですか。いいな。一緒に、探したかったですね」


 さすが、紅琳の「友」だ。

 そんなところに、興味津々らしい。


「一緒は、不味いかな」

「ええ。分かっていますよ。今のように、命を狙われている身では、貴方の足手纏いになってしまうでしょう」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 皇帝と食用の草探ししていたなんて、醜聞どころの騒ぎではない。

 ――けど、華月は自分の身の上を、恨んでいる。

 諦念と虚無が入り混じった華月の表情に、紅琳は思わず手を伸ばしかけて、やめた。


(……華月が女なら、抱きしめてあげられたのに)


 ――その時だった。

 まるで、その考えを実行するか如く、馬車が大きく傾いたのだった。


「うわっ!?」

「紅琳!」


 差し出された手に縋って、紅琳は華月の胸の中におもいっきり飛び込んでしまった。

 柔らかくて、花の香りがする。

 ……ではなくて。


「悪い。油断した」

「いえ」

「車輪がぬかるみにでも、はまったのか?」

「でも、もう動き出しましたね」


 紅琳は会話をしながら、そっと離れたが、華月は名残惜しそうに自分の手を眺めていた。


「どうした、華月?」

「ああ、意外に豊満だなって」

「はっ?」


 しかし、華月は夢見心地の虚ろな目で、謎のことを呟き始めたのだった。


「紅琳。あの……。私は、貴方のことは、しっかり責任を取るつもりでいるんです。出来る限りのことをするつもりでいます」

「どうしたんだ? 急に改まって」

「騙まし討ちのような真似をしてしまいましたが、貴方は私の妃。私は貴方のことが好きで……。つまり、私には貴方しかいないのです」

「遠回しに言われても、私には分からないよ?」


 ――好き?

 それは、身内に対する「好き」ではないのか?


「では、直截に話します。紅琳。先日も話した通り、現状、私の子を生めるのは、貴方しかいない。私には他に兄弟もいましたが、皆、夭逝してしまった。私の命も危うい今、玉榮の呪術を破る方法を探すのも必要ですが、私の子孫を絶やさないことも重要なのです。私には決して玉榮に与せず、私の体を理解して寄り添い、子を生み育ててくれる妃が必要なのです」

「うん、まあ、相変わらず回りくどいけど、筋は通っているか」


 勢いに流され、頷いてしまった紅琳だが……。


(ちょっと、待て?)


 何だか上手く、丸め込まれているような気がするのだが……。


「しかし……な、華月。私達は親族で、友だ」

「ええ。親戚であり、友であり、夫婦でもある。最高ですよね?」

「友と夫婦は、だいぶ違うぞ」


 ずいっと、華月が身を乗り出してきたので、紅琳も思わず腰を浮かせてしまった。


「酷いな。先日、私の唇を断りもなく奪ったくせに。こういう時は逃げるんですか?」

「あの時は、緊急事態で、仕方なく……だ」

「私、初めてだったんですよ。責任取って下さいよ」

「あんなの数に入れるな。なかったことにすればいい」

「覚えていないから、もう一回したいんです。まったく、沙藩王には泰楽帝の命令で嫁いだのに、私の妃になることは出来ないんですか? 紅琳は、そんなに私のことが嫌いなんですか?」


 ここで、潤んだ上目遣いのまま、紅琳の両手を握りしめないで欲しかった。


(可愛い娘に、そんなことを訴えられてもな)


 紅琳は、懸命に華月から視線を逸らすしかなかった。


「沙藩には十年近くいても、子が出来なかったんだ。あんたとだって出来るはずがない」

「試してみる価値はあると思いますけど?」

「いや。あんたは、切羽詰っているのかもしれないが、私なんざと、頑張って子を成そうなんて、究極の選択をしなくても良いんだ。それに後継なら、男女的なことをしなくても、出来る術があるかもしれない。知恵を絞れば、必ず。……な?」

「つまり、紅琳は私に男女的なことをしないまま、一生を終えろということですか?」

「何、言って……」


 ――要は、それが華月の本音なのだ。


「健全な十八歳の男が、女人に触れることが出来ないのですよ。自分の身体を触っていたって、しょせんは自分ではないですか」

「それはそうだけど」

「正直、自分が女でいるせいで、白粉の香りも、あざとい色気も嫌いな私ですが、男としての欲はあります。このまま女人と睦み合うことも出来ずに、玉榮に殺されてしまうなんて、あんまりです。私、死んでも、死にきれません」

「いや、まあ、そうだな。生々しいけど、あんたの言い分は分かった。……けどな」

「失礼します。紅琳さま!」

「……李耶?」


 慌てた様子で、馬車の扉を開け放ったのは李耶だった。

 彼女は何事かを告げようとしたようだが、直ぐに、紅琳と華月の固く握られた両手を発見してしまい……。


「あら」


 目を輝かせながら、硬直した。


「誤解だ」


 紅琳は、華月の手を乱暴に振り払った。

 李耶は意味深に笑っている。

 絶対、永遠に揶揄されるやつだ。


「ふふっ。紅琳様ったら、隠さずとも良いのに。ですが、女人同士のあれやこれに目覚められたのなら、私に一言、仰って下されば」

「あのな、李耶」

「そうよ。邪魔なんてしませんから、どうぞ、ご存分になさって下さいな。紅琳ちゃん」

「えっ?」


 李耶の背後から届いた声に、紅琳は目を見張った。

 完全に低音の男の声なのに、ねっとりとした女口調。


 ――間違いない。

 紅琳の癖のある「友」、建 朔樹(さくじゅ)が李耶と並んで、不気味な微笑を浮かべていた。

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