3-1.海神に親しむ
何日か後、ナウシスは一人海辺に出かけた。人目を気にして、そして自分自身もためらいながらやって来たのである。分厚い雲に覆われたいくらか暗い空は重苦しくもあったが、ナウシスにとっては明るい陽光を受けるよりは気が楽であったろう。
岩に立ち、波の打ち寄せ砕ける様をしばらく眺めた後、ナウシスは彼女の名前をつぶやくように口にした。そしてあまりにもそれが小さかったと思い直し、もう一度、はっきりと海に向かって声を発した。その声が波の音に呑み込まれてしまったように思われ、不安を感じ始めた瞬間、足下から、岩に手をかけて体を持ち上げ、ウリシアが顔を出した。そのまま前に会った時のように腰掛けた。
ナウシスは驚き、ウリシアはそれを不思議に思ったが、やがて挨拶を交わして、隣り合って座った。そして驚きが、明るい、そしていくらか苦しくもある胸の高鳴りに変わっていくのを感じながら、ナウシスは彼女に話しかけた。
「お話しいただいた通り、いらしてくださったのですね。しかしどうやって声を聞きつけたのか、僕にはまだ不思議でなりません」
「私の耳も目も、いつもあなたの方を向き、その声やお姿に向かっています。だからお呼びいただければすぐに分かるのです。しかし今日までお声をいただけなかったから、私が差し出がましい振る舞いに及んでしまったのではないかと、不安に感じておりました。私を必要とされないのであれば、それもまたよいことだとは思いますが」
「とんでもない、何という言葉があなたの歯の垣を漏れたことでしょう。あの日からずっと、あなたとまたお会いしたいと思っていたのです。しかしいつでもこの場所に来られるわけでもありませんでしたし、軽々しく呼びかけるのも好ましくないように思われたのです。でも本当は、きっと僕がどうしても、はっきりと思い切れなかったからなのでしょう」
ナウシスがこのように語ってウリシアの顔を見上げると、彼女はにっこりと笑い、その慎み深さを褒めた。そして互いのことを語り合い、時間は瞬く間に過ぎていった。
こうしてナウシスは、時々一人海岸を訪れ、ウリシアに呼びかけることを続けた。普段はどうしても託宣を思い出して沈みがちだったナウシスも、彼女といる間は心楽しく過ごすことができたのである。やがてはそれが出来ない間であっても、胸の苦しさは日々強まっていたものの、楽しみに待ち望む気持ちの方が強くなり、明るさを失わなくなった。
あるときウリシアは「少しでも心をお慰めするため」と真珠を贈ったが、ナウシスは喜ぶよりも困惑し、自分が贈り物をねだっているように見えたのだろうかと恥じる有様だった。そして王宮で暇を見つけて機織りや彫金を習い始め、成果をウリシアにたびたび贈るようになった。出来映えには自身疑わしく思い不安であったものの、彼女が喜ぶ様を見ると、誇らしく感じられた。