いらっしゃいませがいいたくて
ただ歩いているだけでもすれ違う人々の視線が集まってくる。
いくらか予想はしていたとはいえ、流石に気になって仕方がない。
「やっぱり目立つね……」
瑞樹は隣を歩く長身の彼に向かって言った。
「やはり珍しいのだろうな」
思ったより冷静な態度でビストロンは言った。
「やっぱり、家に来るまでにもこんな事があったの?」
「まぁな」
ピストロンは微笑んだ。
一体、どれくらいの間、旅をしてたのかしら……。
瑞樹は思った。
しかし、その間に全く世間の話題にならなかったのは少し不思議な気もする。
マスコミが飛び付きそうなネタではあるはずなのだが……。
ところが、瑞樹の思惑とは裏腹に、行き交う人々はビストロンを見ることはするのだが、決して側に寄ろうとはしなかった。決して空いている訳ではない商店街。だが二人の周りだけは開けた空間がある。
ビストロンが怖いのだろうか。
瑞樹は改めて鋼鉄の彼を見つめる。
確かに最初はビックリしたけど……。
「どうしたのだ? 瑞樹?」
視線に気付いたビストロンが、首を傾げた。
やっぱり優しい顔してる……。
「ううん。何でもない」
瑞樹は照れくさくなって、思わず目を逸らした。
「ほら、早く帰ろう。今日はランチもあるんだから」
「やっほー。瑞樹」
店が見えてくると、そこには見慣れた姿があった。
「どうしたの、咲ちゃん?」
「よぉ」
「光司くんまで……一体、どうしたの?」
瑞樹は訪ねてきた友人達を交互に見た。
咲子は微笑みながら大きな紙袋を差し出した。
「お店手伝ってあげようと思って」
瑞樹の目が丸くなった。
「つまり……飯が目当てで来たわけだろ?」
料理の下準備をしている瑞樹の側で、悠也が呟いた。
瑞樹は乾いた笑いを零した。
咲子達がわざわざやって来た理由は、実際の所そうなのだろう。
なぜなら……。
テキパキと材料を切っていくビストロンが、視線に気付いて顔を上げる。
彼が作った料理を食べたのだから。
「じゃーじゃじゃーん!」
少し外れたメロディーに乗せて、厨房に現れた咲子。その姿を見て、思わず瑞樹は動きを止めてしまった。
「ど、どうしたの? それ?」
「へへ、いいでしょ? 借りて来ちゃった」
咲子はクルリと回って背中まで見せる。
彼女の格好は、いわゆるエプロンドレスだった。ただし、やたら大きなリボンやら、真っ白いフリルやら、何とも少女趣味な造りになっていたが。
「か、可愛いね……」
瑞樹は言った。それを見て悠也が睨む。
「本当にそう思ってんのか?」
「な、何を言ってるのよ」
瑞樹はそれだけ言って視線をまな板の上に乗った材料に集中する。それでも気になってチラリと見た咲子の姿は、鮮やかなピンク色だった。
と、今度は光司がやって来た。
「おい、何で俺までこんな恰好しなきゃなんないんだよ!」
こちらはウェイターの服装でやって来る。殆ど無理矢理着せられたらしく、襟や裾が乱れていた。
「接客業なんだから、身なりをきちんとするのは当然でしょ! ほら、襟」
咲子は人差し指を立てて、光司の襟首を指し示す。光司は眉を顰めて反論する。
「お前の身なりが、きちんとしてるのか!」
「だよなぁ……」
光司の言葉に、思わず悠也も頷いてみせる。
咲子の容姿は決して悪くない。いや、顔の作りも整っていればプロポーションのバランスも抜群で、むしろ美人と言っていい。
しかし、悠也と光司が顔を顰めているのは、その恰好とのギャップなのだ。
瑞樹に比べれば遙かに大人びた咲子が、余りにも子供っぽい恰好をしているのが、溜まらなく不自然だった。
そして……それは瑞樹も少なからず思っていた。
「そんなに変?」
ムスッとした顔で言う咲子。それを見たビストロンは、相変わらず落ち着いた様子で答えた。
「胸元のサイズが合っていないようだが」
あまりにストレートな答えに、思わず悠也と光司は笑いを堪える。
「ちょっと! 何笑ってるのよ」
咲子は男二人を睨んだ。
「そんなに似合ってない?」
「似合ってないっていうより、いかがわしいと言うか……」
「エッチくさいんだよ」
光司と悠也はそれぞれ言った。
瑞樹も少し顔を赤らめて、申し訳なさそうに言う。
「咲ちゃん……普通のエプロンにしなよ?」
咲子は胸元に手をやると、つまらなそうに呟いた。
「お客は呼べると思うけどな」
ところが……。
時間は経てどもお客は来ない。
コツコツコツコツ……。
リズムを刻むように、咲子の靴音が響きわたる。ちなみに恰好は相変わらずのフリル付きドレスだ。
「ああああああああっ!」
ついに咲子は声を上げた。静寂が一気に壊れた。
「なんだってこんなに暇なのよ!」
「いつもの事だって」
漫画を読みながら、悠也は言った。
時計を見ると、二時を過ぎていた。
「ランチタイムはとっくに来てるのよ! なんで客が来ないのよ!」
「いつもランチやってないからだと思う……」
咲子の迫力に押されるように、少し申し訳なさそうに瑞樹は言った。
「それよ」
人差し指を突き立てて、咲子は瑞樹に詰め寄った。
「味は悪くないんだから、もっとアピールしなくちゃダメよ!」
「あ、アピール……」
「そっ。宣伝よ。プロモーションよ。広報活動よ」
「プロモーションねぇ……」
光司は椅子に座ったまま、つまらなそうに言った。
「そっ。待ってるだげゃダメなのよ。こっちからアクティブに攻めていかないと」
「そうは言っても……」
瑞樹は困ったように、側にいるビストロンに目をやった。
「私も……オーナーの料理をもっと多くの人に食べて貰いたいと思っていた」
「ねっ。そう思うよね」
咲子は同意を得られたと解ると、ビストロンの側に立って、改めて瑞樹を見る。
「で、でも……具体的にどうすれば……」
瑞樹は上目遣いに咲子に訪ねた。
「例えば、街頭に立ってビラを配るとか……そうよ。料理してる所、直接見せてやるとか」
「あ、無理無理。姉ちゃんスゲーアガリ性だから」
相変わらず漫画に視線を合わせたまま、悠也が言う。
「誰が瑞樹にやらせるなんて言ったのよ」
「まさか、お前が……?」
咲子のロリータファッションを見ながら、光司が呟いた。
「ノンノンノン。ここに、もっと効果的な宣伝材料がいるでしょう」
咲子はビストロンを見て、不敵な笑みを浮かべた。
*
咲子に連れられてやって来たのは、近所のスーパーマーケット。
「ここのスーパーの店長、あたしの知り合いなの」
そう言って咲子は店の裏手に回り、瑞樹とビストロン、そして心配で付いてきた光司と悠也も後に着いていく。
「ごめんくださーい」
事務所を覗き込む咲子を、後ろから瑞樹が不安そうに見つめる。
すぐに人の良さそうな男が出てきた。歳は四十かそこらだろうか。ただ鼻の下に黒々とした髭を生やしているせいで、少し年齢が上に見える。
「どうしたんだい、咲子ちゃん……?」
スーパーの店長は、そこに立っていた長身に思わずたじろいだ。
「こちら、料理人のビストロン。まさに鉄人よ」
咲子がビストロンを紹介するが、店長は言葉の半分も聞き取れていないようだった。
やっぱり驚くよね……。
瑞樹は心の中でそう思った。
「私のボディはアルミニウムとチタンだが……」
「そういう意味じゃ無いって」
ビストロンが漏らした言葉に、すかさず悠也が答える。
「で、お願いがあるんだけど。試食売場のコーナー貸してくれない?」
「……もしかして、彼が作るの?」
店長がビストロンを指さして言う。
「彼とこの子が料理をして、レストランの宣伝をするの。その代わり、暫く店で使う材料はここで買
わせて貰うわ。どう?」
瑞樹が口を挟む間もなく、早々と交渉をすすめる咲子。
光司と悠也は呆れるばかりだ。
「なんだって、こいつはこうも仕切りたがるんだ?」
付き合いが短いわけではないのだが、やはり理解しきれない光司だった。
「まぁ、それは構わないけど……それより咲子ちゃん、その恰好は……」
店長が少し戸惑っている横で、本人とビストロンを覗く全員が苦笑していた。
結局、精肉売場にある試食コーナーを借りられることになった。
ただし。店長から出された提案は、あくまでも今日、試食品を出そうとしていたステーキを焼いてくれとの正式な依頼になっていたが。
いつもならハムやソーセージの試食販売をしている所で、まな板とホットプレートが置いてあった。
「焼き肉とかすき焼きが出てる時もあって、ちょっと得した気分になるのよねぇ」
咲子が上機嫌で言った。
「試食売場を細かくチェックしてるとは……流石というか……」
「オバサン臭いと言うか……」
光司と悠也がそれぞれ呟いた。
段々、息が合ってきていると思うのは私だけかしら……。
瑞樹はそう想いながら、まだ火の通っていないホットプレートに目をやる。
正直、困っていた。
流されるまま引き受けてしまったが、どう作ったらいいものやら……。
普段使っているフライパンに比べて、火力が心許ない。
「どうする?」
ビストロンが聞いてきた。
「うん……」
瑞樹は用意された輸入品の牛肉を見下ろした。
「どうしたの? 瑞樹?」
「うん……このままやっていいのかなぁ?」
瑞樹は既に丁寧に切りそろえられているステーキ肉を見つめる。
「ステーキなんか、塩胡椒して、そのまま焼けば良いんだろ?」
光司の言葉に対し、瑞樹は首を横に振る。
「お肉は焼く一時間くらい前から常温に出して置いとかないと、火の通りが悪くなっちゃうの」
「それに、このホットプレートでは、どうしても余計な油分が出過ぎる」
ビストロンも言った。
「ちょっと、今日は試食やってないの?」
咲子が振り返ると、そこには横幅が、自分の二倍はある大柄な……背は低かったが……婦人が立っていた。
「うわ、スゲー厚化粧……」
思わずビストロンの影に隠れてしまった悠也は、聞こえないように小さい声で呟く。隣では光司も同感とばかりに頷いていた。
婦人はめざとく、まな板に乗ったステーキ肉を見つける。
「それ焼くんでしょ? 早くしてよ」
「え、あ……あの……」
言いようのない迫力に押され、瑞樹は一歩後ずさった。その前に咲子が笑顔で飛び込み、表情を絶やさぬまま、
「もう暫くお待ちになって下さい。あ、そうだ、今日は卵が安かったですよ。早くしないと売り切れちゃうかも」
「ほんと? じゃあ、先にそっちを見てこようかしら」
何とか、婦人がその場を立ち去る……と思ったがすぐに振り返り。
「早く焼いとくのよ」
と、一言残してからやっと立ち去った。
「お待ちしてます」
ニッコリと微笑んだまま咲子が言った。
が、振り返った途端。
「何なのよ、あのババア……たかだか試食目当てのくせに図々しい……!」
それはそれは恐ろしい形相で、咲子は言った。それを見た光司と悠也が冷や汗を垂らした。
「もぅ、とっとと焼いちゃいましょうよ」
苛立ちの混じる声色で、咲子は言った。
だが、瑞樹は俯いたままだった。
「ダメだよ……」
呟きが、口から零れる。
「やっぱり、適当に料理するのはやだよ……」
「瑞樹……」
咲子が俯く瑞樹を見つめた。
「どんなお客さんにだって、ちゃんとしたものを食べて貰いたいもの。ちゃんと料理できなきゃ、材料だって可哀想だよ……」
「姉ちゃんは真面目なんだよな」
悠也が呆れて言った。
だが、それ以上は何も言おうとしなかった。
「……瑞樹」
急にビストロンが声を上げた。
「外に出よう」
そう言ってビストロンは歩き出した。
「ちょっと、どこに行くのよ!」
「まさか逃げる気じゃないだろうな……」
光司が不安そうに言った。
ビストロンは振り返ると、
「すまないが、材料を持ってきてくれ」
光司は言われるままにパックに入ったままのステーキ肉を抱えて、後に着いていく。
店の外に出ると、ビストロンは辺りを見回した。
「ここなら十分だろう」
「ここって……駐車場……」
瑞樹が呟いた時だった。
「クッキングキャリアーぁぁぁぁっ!」
ビストロンが叫んだ。
と、突然駐車場に滑り込んでくる巨大な物体があった。
それはバスほどの大きさの巨大トラックだ。
広い駐車場には、まだスペースがあった。
だが、トラックが入ってきた途端に二、三台分のスペースが取られる。
「でっけぇ……」
悠也が思わず溜息を零す。
「あ、あれ……見てみて!」
咲子が何かに気付いたようで、光司の背中をパシパシと叩いた。
「何だよ……」
「運転席……誰も乗ってない!」
咲子が指さした運転席には……確かに誰も乗っていなかった。
「これ……ビストロンが……?」
目をパチパチさせながら、瑞樹がトラックを指さす。
「私のサポートマシンだ」
そう言うと、ビストロンは鮮やかな赤色に塗られたキャブ……トレーラーの前部……を撫でた。
「展開だ」
ビストロンが命令すると、トレーラー後部が展開を始める。
普通のトレーラーと違い、内部に空洞は殆どなかった。
代わりに箱形の機械が折り畳まれるようになっていて、それが展開していく。
そこに現れたのは、巨大なキッチンだった。
トレーラーから横に伸びたブロックには大きめのコンロが着いていた。
その奥には、もう一本ブロックが伸びていて、そこは流し台のようだ。
「移動調理台クッキングキャリアー。これさえあれば、どこででも大量の料理を作ることが出来る」
ビストロンが流し台に近づくと、自動的に収納されていたまな板が展開する。
「さぁ、料理を始めよう」
「う、うん……」
瑞樹は恐る恐るキッチンに近づいた。
肉は決して高級なものではなかった。だが、だからこそ焼き方でフォローしなければならない。瑞樹はコンロに火を点してみた。
「これくらいの火力なら、なんとかなるかも……」
言いながら、瑞樹はビストロンを見た。
ビストロンは頷くと、肩から包丁を抜き取り、まな板に乗ったステーキ肉に三本の切り込みを入れた。
「後、五、六分ほどしたら焼こうか」
同じ作業をしていた瑞樹が言った。
「ああ」
「ちょっと、下ごしらえ……もう終わりなの?」
「本当は、野菜と香草に一晩漬けておくといいんだけど……」
「いや、それにしたって……ほら、肉叩きで叩くとか、塩胡椒で下味付けるとか……」
「肉を叩けば柔らかくなるけど、それじゃ肉汁が流れやすくなっちゃうのよ」
「それに胡椒では香りが強すぎて、肉本来の味を損なうこともある。もっとも、余程肉の味が期待できなければ話は別だが」
「へぇ……そうなんだ」
瑞樹とビストロン、二人の説明に咲子が目を丸くする。
「幸い、この肉は悪くない。これなら下味は焼く前に塩を降るくらいでいい」
ビストロンが言った。
隣で、瑞樹がフライパンの準備を始める。
「凄い……いい火加減だよ」
瑞樹はコンロの性能に感激していた。
「気を付けてくれ。肉厚が余りないから、直火では焦げるぞ」
「解った」
瑞樹は頷くと、火から離すようにして、フライパンを持ち上げた。
ジュー……!
肉がのせられた瞬間、フライパンから大きな音がする。
その音を聞きつけてか、キッチンの周りに人が集まってきた。
「オーナー。ワインを」
ビストロンがフライパンにワインを振りかける。アルコールに火がついて、一瞬、フライパンに炎が上がる。
「おおぉぉぉぉ」
周りから歓声が上がった。
「これ知ってるぞ。フラッペだろ?」
「それを言うならフランベよ」
光司と咲子が漫才の様な会話をしていると、また周りから笑いが起きた。
「結構、集まってきたな」
悠也が辺りを見回して言った。
いつの間にか駐車場には人だかりが出来ていた。
「よっし。それじゃあやりますか」
嬉々として咲子がトレーラーの荷台に立った。
キッチンが収納されていたスペースは、そのままステージの様だった。
「さぁさあ、これから試食販売を始めますよぉ。押さないで一列に並んでくださーい」
「仕切ってるよ……」
光司と悠也が呆れて言った。
「ほら、そこ! 手伝う!」
アルミの小皿に、一口大に切られたステーキ肉が乗せられる。
切り口から溢れる肉汁。その上に乗せられた、小さく切ったバターが溶け合う。
それを受け取った主婦は、爪楊枝の刺さった肉を口に運んだ。
「あら、美味しいわ!」
次々に声が挙がる。
瑞樹が焼いたステーキはアッという間に無くなってしまった。
「ほら、次つぎ!」
「う、うん」
慌てて次の肉を用意する瑞樹。そこに、人混みを掻き分けて、横幅の広い厚化粧の婦人が身を乗り出す。
「ちょっと! 外でやるなんて、なに勝手な事してんのよ!」
「ゲッ……さっきのババア……」
咲子が思わず顔を引きつらせる。
「アタシさっきから待ってるんだから、早くしなさいよ」
このババア、さっきから勝手なことばっかり言ってんじゃないわよ……と言いたいのを必死で堪えて、咲子は笑顔を作る。
「お肉は時間をおいてから焼いた方が美味しいんですよ。ね、シェフ?」
咲子が振り返る。瑞樹は、必死で笑顔を取り繕う咲子を見て、ある意味凄いなぁと感心する。
「ちょっと待ってて下さいね」
瑞樹は言いながら、先程ビストロンがやったのと同じように、肉にスッと包丁を入れる。
「何、今の?」
婦人が興味深そうに聞いた。
「筋を切ったんです。こうすると焼いた時、身がしまり過ぎて、堅くなっちゃうのを防ぐことが出来るんですよ」
「へぇ……そうなの?」
瑞樹は料理のコツを喋りながら、次々に肉を焼き上げていく。
それを運ぶのは光司と悠也で、その横で咲子が仕切る。
試食用の肉が無くなりそうなのを目で確認した咲子は、今までで一番大きい声を張り上げた。
「こんなに美味しいステーキ肉が、なんと三枚、八百八十円! これから一時間のタイムサービス! さぁ精肉売場に急げぇぇぇっ!」
そう言った途端、我先にと主婦が店内に流れ込んでいく。
「ふぅ……」
咲子は一息ついて、辺りを見回す。
光司と悠也がぐったりと地面に腰を下ろしていた。
「何よ、だらしないわね」
「うるせぇ! 威張ってただけのくせに」
光司がムッとしながら言った。
「本当に、大した姉ちゃんだよ……」
悠也が辟易しながら呟いた。
そこに、店の中から店長が駆け寄ってくる。店長は、駐車場に置かれた巨大な物体に一瞬怯むが、すぐに気を取り直し、満面の笑みを浮かべながら言った。
「いやあ凄いんだよ。急に精肉コーナーの売上げが伸びて、今、レジが大混雑なんだよ」
「まぁ、家のシェフは優秀だから。ね」
咲子が瑞樹を見て言った。
「べ、別に私はそんな大した事……」
「何言ってるのよ。立派な実演だったわよ」
「ホントほんと。アガリ性の姉ちゃんにしちゃあ上出来だったよな」
悠也が笑いながら言った。
「そう言えば私、あんなに大勢の前で料理したんだ……」
瑞樹は呟きながら、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「どうした、オーナー!」
ビストロンが慌てた様子で言った。
「アハハ……なんか、今頃緊張して来ちゃって……」
瑞樹は頼りなく笑いながら言った。
「本当にありがとう。どのお客さんも、今夜はステーキにするって言ってたよ」
店長は指先で髭を弄りながら言った。
その上機嫌な顔を見て、急に咲子が声を上げた。
「ああっ! よく考えてみたら、それってお客さんが家で食事するって事じゃないのよ!」
「それがどうかしたのか?」
光司が言った。
「バカね! 外食してくれなきゃ、レストランの宣伝した意味が無いでしょ!」
「でも咲ちゃん、全然お店の事、喋ってなかったよ……」
少し呆れながら瑞樹は言った。だがすぐに表情を変えて
「でも、久しぶりだよ。こんなに沢山、料理作ったの」
嬉しそうに瑞樹は言った。
それを見た悠也は、呆れながら小さく笑みを浮かべた。
「ったく……やっぱり姉ちゃんだよな……」
*
「結局……大失敗だったわねぇ……」
咲子が大きな溜息を零す。
相変わらず、レストラン・リプルリングは静かだった。
「もぉ……気にしなくていいって。私だって楽しかったんだから」
瑞樹はそう言って笑った。
「それに……あんなに大勢の人が美味しいって言ってくれたんだもん。それだけで満足だよ」
「私もだ」
ビストロンも、瑞樹の隣に立って頷いた。そして二人は顔を合わせて微笑みを交わす。
「姉ちゃんには欲ってもんが無いんだよ。良い意味でも悪い意味でも」
悠也が言うと、光司がすかさず、
「誰かさんにも見習って欲しいもんだぜ」
と咲子の方を見て言った。
「そうよねぇ。特にあのババア何かはね」
答えた咲子に、光司は思わず顔を引きつらせる。
「お前もだろ……」
光司は小さな声で呟いた。
それを聞いた瑞樹は、クスクスと笑いを零した。
その時だった。
チリン……。
扉につけられた鈴が、小さな音を鳴らした。
瑞樹が振り向くと、そこには……。
「い、いらっしゃいませ!」
瑞樹は少しだけの驚きと、それ以上の笑顔で、入ってきた客を出迎えた。