表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鋼鉄料理人 ビストロン  作者: RR
2/7

あなたのお腹を満たしてあげたい

「うわぁ、やっぱすげー!」


 悠也は食卓に並んだ朝食を見て、思わず声を上げた。

 丸テーブルに並んでいるのは、焼きたてのクロワッサンとポタージュスープ。レーズン入りのサラダに、真っ白いゆで卵。


「これ、本当にビストロンが作ったの?」


 悠也はまだ寝癖の残る頭を振りながらテーブルを見渡す。


「半分はオーナーが作ったものだ」


 ビストロンはそう言って、まだ厨房にいる瑞樹を見つめた。


「それにしても……よく出来てるよなぁ」


 悠也はビストロンの周りをグルグル回り、その完成度に息を飲んだ。


「なんか武器とか持ってないの?」


「いや。私は持っていない。仲間は持っていたようだが……」


「へぇ……仲間がいるんだ。そいつらもみんな料理すんの?」


「料理用に作られたのは私だけの筈だ。もっとも、プロトタイプくらいならいたかも知れない

が……」


 二人が話している所に、ほうろう鍋を持った瑞樹が歩いてくる。


「ごめんね、ちょっと退いて」


 近づいてくる湯気を避けるように、悠也はテーブルを回り込む。


「またシチューかよ、これで何日目だ?」


「ええと……三日かな」


 瑞樹は苦笑いを零しながら言った。

 対して悠也は、完全に呆れ顔だ。


「いいよ、私一人で食べるから」


「当然だろ」


 悠也は言った。その姿は、何故か歳の離れた姉よりも偉そうに見える。


「悠也は、シチューが嫌いか?」


 ビストロンが聞いた。


「嫌いじゃないけど、毎日食べたら飽きるだろ」


「そういうものか……」


 ビストロンは腕を組み、一人で納得する。


「ビストロンも食べる?」


自分の皿にシチューを盛りながら、瑞樹が言った。


「ああ、一口だけいただこう」


 ビストロンはそう言って、シチュー鍋から直接レードルで掬った。


「やはり……私では出せない味だ。とても美味しい」


 一口だけ食べたビストロンは口元に笑みを浮かべた。


「もっと食べていいよ?」


 瑞樹が言うと、ビストロンは表情を曇らせる。


「いや……私の身体は食物を摂取するようには出来ていないんだ」


「つまり……食べられないの?」


「私の口は味を分析するセンサーでしかない」


 そう言ったビストロンの表情はどこか寂しそうだ。


「食物をエネルギーに変換できる技術があればいいのだがな」


「やっぱり、ビストロンのエネルギーはガソリンとかなの?」


「いいや。燃料系は必要ない。太陽電池で全て駆動する」


「へぇ……省エネ型なのね」


 瑞樹は妙に感心しながら言った。


「姉ちゃんも、少しは見習えよ……」


 どんどん減っていくシチューを見て、悠也は呟いた。


     *


 今日の昼休みは、咲子、光司と……つまりはいつものメンバーで、屋上で過ごす事にした。

 真っ青で、気持ちのいい空だった。


「綺麗だね」


 瑞樹はしみじみと呟いた。


「少し寒くないか?」


 どんなに晴れていても冬は冬。時折吹く風は冷たい。


「暖かいコーヒーでも飲みたいな」


 光司が呟くと、待ってましたとばかりに咲子が目を輝かせる。


「あたし、ミルクティーお願い」


 妙に可愛らしい声色で咲子は言った。


「何でお前の分まで買わなきゃならねーんだよ」


「いいじゃない。どうせついででしょ」


「残念。俺、飲みたいとは言ったけど買いに行くなんて一言もいってないぜ」


「じゃあ、あたしの為にミルクティー買ってきて。そうすれば、ついでにコーヒー買えるでしょ?」


「アホか! 勝手なことばっか言いやがって」


 いつもの口喧嘩の横で、瑞樹は相変わらず空を眺めていた。

 太陽の光が心地よい。

 と、真っ青な空に一点、黒いものが見えた。

 カラスかと思ったが、よく見ると違うようだ。


「ねぇねぇ、咲ちゃん。あれ何だろう?」


 瑞樹が空を指さした。すると目の色を変えて咲子が側による。


「どれどれ?」


 咲子は瑞樹の人差し指が示す黒点をジッと見つめた。

 それがあまりに遠くだと解ると、咲子はポケットから、掌に収まるくらいのカメラを取りだし、ズームボタンを押した。


「お前、そんなの持ちあるいてんのかよ」


「あったり前でしょ。日本でだって、いつUFOが飛んでくるか解らないんだから」


 世界最軽量のデジタルカメラを自慢げに見せながら咲子は言った。


「オカルトマニア……」


 光司は呆れ顔で言う。そんな呟きも、レンズを覗く咲子には届かない。


「ヘリコプターみたい……」


 瑞樹が目を凝らしながら言った。視力は悪くない方だ。


「う~ん……そうみたいね」


 咲子の方は、ズームで多少はハッキリと見えるのだろう、少しガッカリしながら言った。


「やっぱりヘリコプターか」


 まだ諦めがつかないのか、咲子が溜息と共に言う。


「当たり前だ。UFOがそんな簡単に見つかるもんか」


 近づいてくるヘリコプターを眺めて光司が呟く。が、突然立ち上がると、首を上に向けたままポカンと口を開けた。


「おい、あれ……カイユースじゃねぇか?」


「貝ソース?」


 瑞樹が目を白黒させながら呟いた。


「MH―6Jカイユースって言ったら、米軍初のノーター採用型戦闘ヘリだぜ!」


 妙に興奮した様子で光司は言った。


「……つまり、あのヘリコプターの名前なんだ?」


「あんた、ミリタリーマニアなの?」


 今度は咲子が呆れる番だった。


「べ、別に、そんなんじゃねぇよ。ただノーターが珍しいから……」


「そもそも、そのノーターってのが解らないんだけど……」


 瑞樹が聞くと、咲子がすかさず


「ネコ型ロボットの飼い主でしょ?」

「却下」


 咲子のボケを軽く流して、光司が解説にはいる。


「普通、ヘリコプターのプロペラは二つだろ? ノーターってのは、後ろについてるテールローターを無くしたタイプで、それによって騒音や燃費が軽減されてるんだ」


「へぇ……そうなんだ」


 言われてみれば静かな気がする。瑞樹は感心しながら、遠くに飛び去るヘリコプターを見つめていた。


「瑞樹、そんな知識持ってても、役に立たないわよ」


「お前のオカルト知識よりマシだ」


 瑞樹は、どっちもどっちだと思ったが、口には出せず、ただ笑って誤魔化した。


「だけど、なんだってあんなのがこの平和なニッポンの空を飛んでるわけ?」


「そんなの知るかよ……」


 咲子の質問に、光司は面倒そうに答える。


「もしかして、何かヤバい事件かな?」


「なんだって、そんな嬉しそうに言うんだ」


「ほら、例えば凶悪犯が日本にまで逃げてきてそれを追ってるとか……」


 咲子が得意げに自分の推理を話し始める。

 と、瑞樹が一言、


「犯人追うのは警察じゃないの?」


 瑞樹のイメージでは。警官はパトカーに乗るものと相場が決まっていた。勿論、偏見なのだが、彼女は育ちが良いせいか、どこか子供っぽい所があった。


「あれだな。軍の秘密兵器を持ち出したスパイとかな」

「何よ、珍しく乗ってきたわね」


 咲子が嬉しそうに笑みを浮かべる。

 なんだか楽しそうだなぁ。

 瑞樹は仲のいい二人を羨ましく思った。

 とはいえ。妙な想像で盛り上がる二人の会話に入り込めないのも事実だった。

 秘密兵器などといわれてもピンと来ない。いや、それよりも前に機械にだって疎いのだ。

 機械にだって…………。

 そこで、瑞樹は家を出るときに見送ってくれた彼の事を思い出す。


「まさか……ね」


 まさかビストロンがその秘密兵器とかだったりして……。


     *


 そして放課後。

 献立を考えながら帰路に就く。

 空を見上げると、まだ五時前だというのに真っ暗だ。

 少し遅くなっちゃったから……あんまり下準備がいらないものにしよう。

 瑞樹は比較的手間のかからないものと考えて、パスタ料理にしようと思い立った。

 野菜と肉と魚介類……。

 色々と買い込んで置けば、ソースでバリエーションが付けられる。

 買い込んだ材料を持って店に帰ると、ビストロンが出迎えてくれる。


「おかえり、オーナー」


「ただいま」


「今夜は何を作るんだ?」


「うん。スパゲティにしようかって。ほら、色々と材料も買ってきたし。下準備だけしておけば、さっと出来るしね」


 そう言いながら瑞樹は厨房の棚に向かい、ホールトマトの缶詰を取り出す。


「缶詰か?」


「うん……やっぱり、ダメかな?」


 瑞樹はビストロンの顔色をうかがう。

 やはり完璧な料理を目指しているビストロンにとって、缶詰には抵抗があるのだろうか。


「いや。悪くない判断だと思う。旬の時期に密封したものなら、下手に季節違いのものを使うよりは味を決めやすいだろう」


「へぇ……そういう考え方もあるんだ」


 瑞樹はたまたま、父が愛用していた缶詰をストックしておいただけだったのだが。

 もしかしたら、父も同じ事を考えていたのかも知れないとも思う。


「しかし、どんな食材でも料理次第でどうとでもなる。私は父にそう教えられた」


「うん……そうだね」


 瑞樹は視線を缶詰に向けて言った。

 お父さんも、そう言うのかな……。


     *


 看板を出してから、かれこれ三時間ほど経っていた。

 しかし来客は……無い。


「……一体、どういう事だ?」


 ビストロンは開く気配のない扉を見て呟く。


「ははは……まぁ、いつもの事だから」


 瑞樹は苦笑いを零した。

 作った料理は、悠也に作った一人分のみだ。

 それっきり、コンロには火が点らず、材料が減る気配もない。

 時計の音がやけに大きく聞こえる。


「しかし……ここまでの間、人々はどうやって飢えを凌いでいるというのだ?」


「飢えって……そんな大げさな……」


「いや……飢えている人々は大勢いるはずだ。その為に、我々シェフはいるのだろう?」


「でも、他にもお店はあるし……ほら、ハンバーガー屋さんとか、牛丼屋さんみたいに安くて美味し

いところっていっぱいあるもの」


 少し歩いて表通りに行けば、そういった類の飲食店は数多くある。

 それに比べれば、人通りの少ない裏通りに建つこの店は不利な立場であるのかもしれない。

 だが、それだけが理由だとは思いたくなかった。


「私がもっと頑張れば、お客さんも増えるんだろうけどね」


 瑞樹は自嘲する。

 実際、父がいた頃は客で賑わっていたのだ。

 また思い出すと元気が無くなりそうなので、瑞樹は別の事を考えようとした。と、その時……。


 ぐぅぅぅ~……。


「あ……」


 瑞樹は顔を赤らめた。お腹の音だ。

 流石に、少しお腹が空いてきた。


「はは……私が一番お腹空いてたりして……」


 瑞樹は恥ずかしさを誤魔化すように笑いながら言った。


「………………」


 ビストロンは何も言わなかった。

 呆れたのかな……。

 益々、恥ずかしさがこみ上げてきて、瑞樹は思わず俯く。

 その時だ。

 ズドン! と大きな音がした。

 見ると、ビストロンの姿が視界から消えていた。

 一瞬驚いた後、床に崩れ落ちているビストロンを見つけ、瑞樹は驚いて声を上げた。


「どうしたの! しっかりして!」


「み……ずき…………」


 それだけ言って、ビストロンは黙ってしまった。目に光りが無い。

 そして、身体は全く動かなくなった。


「ビストロン! ビストロンっ!」


 瑞樹は必死で声を上げた。

 その声に気がついて、悠也が二階から駆け下りてくる。


「どうした、姉ちゃん!」


 悠也は床に寝そべるように倒れているビストロンを見て動きを止める。


「どうしよう! ビストロン、突然倒れて……そうだ、とりあえず病院に電話……」


 瑞樹は慌てて立ち上がり、店に備え付けの電話に駆け寄る。


「ロボット、病院に連れてってどうすんだよ!」


「じゃあ、電気屋さん!」


「そんなんで治るわけねーだろ!」


「もぅ……私、機械のことなんか解らないよ」


 瑞樹は泣きたくなった。


「そうだ光司くんに……!」


 瑞樹は無我夢中で光司の携帯番号を押した。

 プルルルル……プルルルル……。

 接続待ちがもどかしい。


「もしもし……」


 光司の声が聞こえた。その瞬間、瑞樹は堰を切ったように喋り出す。


「大変なの! 急に倒れて……動かなくなっちゃって……」


「は? おい、春賀?」


 光司が困ったような声を出す。

 その後ろで、「ちょっと、人が歌ってる途中なんだから、携帯くらい切っときなさいよ」

と聞こえるが、まったくもってどうでも良いことだ。


「もぅ、私どうしたらいいか……」


 瑞樹は遂に泣き出した。

 とにかく、何か大変らしい事は察したらしく「すぐ行くから待ってろ」と残して、電話が切れた。

 瑞樹は暫く受話器を握ったまま泣いていた。

 それから十分……。


「おい春賀!」


 突然、店の扉が勢いよく開き、光司と、何故か咲子が飛び込んでくる。


「倒れたってのは、弟か!」


 泣いている瑞樹に近寄って辺りを見回す。


「俺ここ、ここ」


と悠也は自分を指さして言った。そして、そのまま指を下に向ける。


「倒れてるのはこっち……」


 光司と咲子は、悠也の指示に従って下を見た。


「………………」

「………………」


 沈黙のまま、互いに顔を見合わせる。

 そして光司は一言。


「なんだ、これ?」


      *


 瑞樹が咲子に宥められて、大分落ち着いた頃。


「おい、これスゲーよ……」


 光司は驚きと興奮の入り交じった表情で、顔を上げた。


「で、なんなのこれ?」


 咲子が言った。


「これ、多分アメリカ製のヒューマシンだ」


「ヒューマシン?」


「ああ。対テロ、ゲリラ戦用に開発された完全自立の人型兵器だよ。まさか冗談だと思ったけど、本当にあったんだな」


 光司は動かないビストロンの身体をベタベタ触りながら言う。


「最新の……それこそトップシークレットだぜ?」


「それが何で瑞樹んちにいるのよ?」


「そんなの俺が知るかよ……おい、春賀!」


 光司に呼ばれて、瑞樹は涙を拭いて顔を上げた。


「一体、どういう事なんだよ?」


 瑞樹は昨日の出来事から、一つ一つを説明した。

 話の間、最初は興味津々だった光司達だったが、途中から段々と呆れ顔になってくる。


「なんだってロボットが料理なんかやるんだよ?」


「そんな事……解らないけど……」


 大分落ち着きを取り戻したとはいえ、瑞樹はまだビストロンの事が心配でたまらなかった。

 相変わらず、横たわったボディは動き出す気配がない。


「取扱説明書とか無いの?」


「あったら苦労しないよ……」


 咲子の言葉に、悠也が冷静に突っ込んだ。


「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ」


 ついでに光司も思ったことを口にする。二人がかりで攻められて咲子は面白くない様子だ。


「何よ、二人して……冗談に決まってるでしょ」


 そう言いながら、咲子の頬は微かに赤く染まっていた。


「せめてどこが悪いのか解れば……」


 瑞樹は呟いた。すると悠也が、何かを思いついたように立ち上がった。


「なぁ……もしかして、電池切れじゃないのかな?」


 そう言いながらビストロンの身体をあちこち調べ始める。


「電池切れって……あんたねぇ」


 先程自分の意見を真っ向から否定された咲子は、ここぞとばかりに反論する。


「そんな携帯電話じゃないんだから……」


 ところが、今度は光司も一緒になってビストロンの身体を調べ始める。


「おい、お前いい事に気がついたな」


「ちょっとぉ! あたしの時とはえらい違いじゃないのよ!」


咲子が言うが、男二人の耳には届いていないようだった。


「あ、あった、あった!」


 悠也がビストロンの脇にある小さな穴を見つけだした。


「おうし。おい春賀! 何でもいいから電源コード持ってこい」


「え、あ、うん……」


 いままでどうすることも出来ず、ただ成り行きを見守っていた瑞樹は、我に返ったように忙しなく、店の奥に向かっていった。

 すぐに二階から、電化製品のコードを持ってやって来る。

 それを受け取った光司は、コードをビストロンの脇の穴に差し込んだ。


「おい、悠也」


「オッケイ!」


 悠也はコンセントをもって部屋の隅にかけていく。


「ちょっとぉ……そんなもんで動くわけ……」


 咲子が呆れながら言った。

 ところが……。

 電気の通った途端、いままで全く動こうとしなかったビストロンの指先が、微かに動いたのだ。


「……うそぉ!」


 咲子が素っ頓狂な声を上げた。


「へへっ! やったぁ!」


 悠也は嬉しそうな笑みを浮かべ、光司と手を打ちあった。


「……わ、私は……」


 ビストロンはゆっくりと起きあがった。まだ立つ事は出来ない様で、座ったまま辺りを見回す。


「……っ! ビストロン!」


 瑞樹はビストロンの首に手を回し、抱きしめ、そして泣いた。


「もぅっ! 本当に心配したんだから!」


 ビストロンは、まだ全てを理解できていない様で、少し困ったように悠也に視線を向ける。


     *


「つまりな、ヒューマシンは本来、中東みたいな日差しが強いところでの活動を前提に作られてるんだ。それが雪が降ったりする冬の日本で、満足なエネルギーが得られなかったってわけだ」


 光司の説明に、ビストロンは黙って頷いた。


「心配をかけてしまって、本当にすまなかった……」


「本当よ。何事かと思ったんだから」


 咲子は、腕を組み、妙に偉そうな態度で言う。


「だけど、春賀が泣きながら電話してきた時は、本当に驚いたからな」


「ごめんなさい。私も慌ててたから……」


 瑞樹はぺこりと頭を下げた。


「いいのよ、別に。困ったときはお互い様でしょ」


咲子はそう言って微笑んだ。


「お前、何の役にも立ってないくせに」


 光司が呟くと、咲子は即座に反応して睨み返す。

 瑞樹はそれを見て、思わず笑みを零した。


「そういえば……なんで咲ちゃんがいるの?」


 もう一つ、よく考えてみれば光司の家はもっと離れている筈で、電話をかけてから十分程度で来られる訳がない。


「こいつに無理矢理、カラオケに誘われてさぁ……。駅前のボックスにいたんだよ」


「え……ご、ごめんなさい……。折角……」

「デートじゃねぇぞ」


 瑞樹が言おうとしたことを先読みして、光司が早口で言った。あまりの早さに、瑞樹は言葉を失う。


「そういや、慌てて出てきて、お前の分の金貰ってねぇ」


 光司はすかさず咲子に向き直る。咲子は乾いた笑いを浮かべて、


「アハハ……覚えてた?」


「てめぇ……散々自分だけ歌って、料金奢らせる気だったのかよ……」


「そ、そんな事無いわよ……」


 そう言って咲子は制服の胸ポケットをまさぐった。

 そして、キチンと畳まれた紙を三枚取り出し、光司に手渡す。


「おい……これって……」


 光司は思わず顔を引きつらせる。


「お前、これ割引券じゃねぇかよ」


「だから、それを使おうと思ってたのよ」


 瑞樹は光司の持つ割引券を覗き込む。二割引のサービス券が三枚。複数利用可で結果、六割引だ。


「で、でも半分払うより得したんじゃない?」


 瑞樹は下手なりにフォローなどしてみる。


「つまり、こいつは俺から一割現金をふんだくろうとしてたんだよ」


 確かに、咲子が会計して割引券を見せなければいい事である。そして、咲子は否定する前に不自然に目を逸らしている。

 言葉を失う瑞樹だったが、よく考えるなぁ、と少し感心してしまう。


「この姉ちゃん、うちのよりしっかりしてんな……」


 今まで話だけ聞いていた悠也が、ぼそりと呟いた。


「こういうのは悪賢いっていうんだよ」


「兄ちゃんも苦労してんだな……」


 何故か光司と悠也は馬が合うらしく、互いに納得し合う。


「もぉ、解ったわよ。今度行くときは6、4にしてあげるから」


 根負けした様に、咲子は言った。


「よぉし。ゼッタイだぞ」


 光司は少しだけ勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「今度は瑞樹も行こうね」


 咲子は瑞樹を見てニッコリと微笑んだ。


「わ、私、歌とか上手くないから、カラオケって……」


「いいの、いいの。ほら、料金は三割で良いからさ」


それを聞いた悠也は、呆れたように顔を引きつらせる。


「つまりそれって、四割出す兄ちゃんが一番、損してるんじゃないか?」

「あ、バカ! 余計なことを……」


 咲子は罰が悪そうに、そして光司は再び怒り顔に、それぞれ表情を変えた。


「ほ、ほら……喧嘩しないで……」


 このままだと、収拾がつかなくなりそうなので、瑞樹が二人の間に割って入った。

 その時チラリと、二人に気がつかれないくらいの短い間隔で悠也を睨んでおく。


「そうだ、お腹空いてない? 色々と迷惑かけちゃったから、ご馳走してあげる」


「ならば、私がやろう」


 ビストロンが立ち上がって言った。


「もう動けるの?」


「ああ。もう大丈夫だ」


 立ち上がった二メートルの長身に、光司と咲子は改めて見入っていた。


「今日のメニューはスパゲティなんだけど。ソースは何がいい?」

「あたしカルボナーラ」


 咲子が間髪入れずに言った。


「お前、本当に遠慮がねぇな……」


 光司が呆れて言う。しかし……。


「そう言うけど、折角、このロボットの料理が食べられるんだったら、味わってみたくない?」


 咲子の言葉に、光司は思わず返す言葉を失ってしまった。


「遠慮しないでいいよ。光司くんは何がいい?」


 すかさず瑞樹は言った。


「じゃあミートソース……」


「俺、シーフード!」


 何故か悠也も手を挙げた。


「悠也はさっき食べたじゃない」


「騒いでたら腹減ったんだもん。それに、さっきはミートソースだったし」


「もぅ……」


 瑞樹は仕方ない、とばかりに溜息を零した。

 そして、エプロンの紐を尚してから、厨房に向かう。

 既に、大きなズンドーの鍋には熱湯が沸いていた。その前にはビストロンが立っている。


「オーナーも座っていてくれ」


「そんな訳にはいかないよ」


 瑞樹は微笑みと共に言った。


「しかし……空腹なのだろう?」


 そう。今までの騒ぎで忘れていたが、相当にお腹は空いていた。


「でも……」


「空腹の人を満たすのが我々の仕事だ。そして……私はそれを成し遂げたい」


そう言うとビストロンは口元に笑みを浮かべた。

 瑞樹は少しだけドキリとし、そしてビストロンが頼もしく見えた。


「……それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」


 瑞樹は微笑んで、エプロンの紐を解いた。

 そのまま、厨房にある椅子に腰をかけ、ビストロンを見守る。

 ビストロンは、沸騰した湯の中に塩を入れた。左腕についた胡椒挽きは、拳銃のリボルバーのように、カートリッジを回転させる事で、他の調味料も出せるのだ。

 続いて分量のパスタを、ぐらぐらと煮立つ湯の中に入れる。この時、鍋の縁に沿って放射状にくべられたパスタは、まるで花のようにも見えた。

 機械である彼には、タイマーが内蔵されている。今から麺が湯で揚がる時間を計算し、その間にソースを作るのだ。

 ここからがビストロンの本領発揮だ。

 注文された四つのソース、それぞれの材料を素早く切り出し、四つのフライパンで、それぞれ仕上げていくのだ。

 一つ目のフライパンでは、カリカリに焼かれたベーコン。

 二つ目のフライパンには玉葱が。

 三つ目ではスライスしたニンニクをオリーブオイルで炒め、四つ目には瑞樹が下ごしらえをしたシーフードが入れられる。


「凄い……よく混乱しないわねぇ……」


 気になって厨房を覗きに来た咲子が、感心して言った。

 焦げやすいニンニク入りのフライパンを重点的に気にしながら、カルボナーラのフライパンに卵黄とパルメザンチーズを混ぜ合わせる。

 白ワインでフランベしたシーフードに調味料を振り、飴色に変わった玉葱と挽肉に真っ赤なトマトペーストを。

 オリーブオイルにニンニクの香りが移った頃を見計らって、こちらには賽の目状にしたトマトを加える。

 その間、吹きこぼれそうな鍋の火加減もチェックする。

 ビストロンの動きには、一部の隙も見られなかった。

 湯であがったパスタを笊に上げる、そのタイミングも、仕上げにかかる時間の余熱を考えれば絶妙だ。

 湯切りをやりながら、分量をきちんと四等分にして、その内半分を皿に、もう半分をそれぞれフライパンに移し替える。

 素早く手際よく。

 フライパンの中で、まるで生きているかのようにパスタが踊った。

 皿に盛られたパスタにもソースをかけ、仕上げに乾燥ハーブを振りかける。

 シーフードとカルボナーラには香りの良いパセリを。残りの二つにはトマトと相性がよいバジルをそれぞれ振りかけた。


「お待ちどう。出来上がりだ」


 両手に皿を携えて、ビストロンが振り返った。


「ご苦労様」


 すかさず残りの分を瑞樹がテーブルに運ぶ。


「うぉ……美味そう」


 光司が声を上げた。そして思わず唾を飲み込む。


「へへ、いただきまーす!」


 早速、悠也はフォークを手に取った。


「あ、粉チーズかける?」


 瑞樹が差し出した粉チーズの容器を、咲子が受け取った。


「ん!」

「あ……」


 最初の一口を食べた光司と咲子は、揃って言葉を飲んだ。

 思わず様子をうかがう瑞樹。どんな感想が出るのか、自分が作った訳でもないのに、なぜか心臓が高鳴る。

 一泊の間があった後、二人は同時に声を上げた。


「美味い!」「美味しい!」


 その声があまりにもピッタリだったので、瑞樹は思わず吹き出しそうになった。

 そして、ビストロンを見て微笑む。

 ビストロンも口元に笑みを浮かべて頷いた。

 瑞樹も自分の前に置かれたトマトソースのスパゲティをフォークに絡ませた。

 お腹が空いていたせいだろうか。

 今まで食べたどんなスパゲティよりも美味しい気がした。


     *


 二人が帰った後、瑞樹とビストロンは厨房の片づけをしていた。

 カチャカチャと食器のぶつかる音が、静まり返る店内に響きわたる。

 疲れたのか悠也も早々と寝床に向かっていってしまった。

やっと二人きりになれて、胸で暖めていた言葉をだせる。

 瑞樹は黙々とフライパンを洗うビストロンを見つめて言った。


「ありがとう、ビストロン。さっきのスパゲティ、凄く美味しかったよ」


 それを聞いたビストロンは、一瞬だけ動きを止めた後、何も言わずに作業を再開する。

 それが、照れているのだと瑞樹は気付いていた。


「でもビストロン。もう無理しちゃダメよ」


 瑞樹は優しく言った。

 ビストロンは、やはり何も答えなかった。

 瑞樹はそれを見て、今度は思い切り笑った。


「クスクスクス……本当に照れ屋なんだから」


 さっきビストロンが倒れた理由……。

 エネルギーが切れたという事は、つまりお腹が空いていたのだ。


「明日は土曜日で学校がお休みだから、朝から買い物に行こうね」


 そして、たっぷりお日様の光を浴びて貰おうと、瑞樹は考えていた。


「……ありがとう」


 ビストロンは顔を逸らしながら言った。その表情は、とても嬉しそうだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ