井沢優馬は言い訳がしたい(3)
頭の整理ができなかった。
今、優馬の身に起きたことは夢か現実か。
裸の男たちの視線が優馬に集まっていることから判断するに、どうやら優馬が声を荒らげていたことだけはたしからしい。
では、果たして優馬は本当に神様から特別な力を授かったのだろうか。
そのことを確かめる方法は一つしかない。
優馬は女湯と男湯を隔てている高い壁に向き合った。
そして、念じた。
女湯を覗きたい…
…しかし、何も起きなかった。
先ほどの神様とのやりとりは幻覚だったのだろうか。
その割にはリアリティーがあったし、記憶もハッキリと残っている。
もしかしたら、力を発動する方法が違うのかもしれない。念じるのではダメなのだ。
では、どうすればいいのか。
そもそも、特別な力によって何が起きるのか。
女湯と男湯を隔てる壁が溶けて消え去るのか。
それとも優馬が女湯に一瞬でワープするのか。
もしくは優馬の身体が宙に浮いて、壁を乗り越えて向こう側へ…
そのときだった。本当に優馬の身体が浮いた。
そして、壁に向かって反り上がるように上昇した。
「うわあ」
ありえない。
ピーターパンの世界ならまだしも、こんなこと、現実世界では絶対にありえない。
「お…降ろしてくれ!」
優馬は高所恐怖症である。
ジェットコースターどころか、観覧車ですらできれば乗りたくはない。空を飛ぶだなんて論外だ。
怖い。怖い。
もはや女性の裸どころではない。
高所恐怖症の人間が高い場所に連れて来られたときに絶対にしてはならないこと。それは下を見ることである。
突然の浮遊現象にテンパった優馬は、あろうことかこの鉄則を破ってしまった。
「…おい、何だよ? これ?」
優馬はついに気が付いた。
自分は浮遊しているのではない。
自分の首が伸びているのだ、と。
壁を越えようとしている優馬に、優馬の身体はついてきていなかったのである。
優馬の身体は未だ床に立っていて、優馬の頭だけが壁を越えようとしている。
首はホースのようにくねくねと伸びており、まさに妖怪ろくろ首のようだ。
そこまで認識したとき、優馬の意識がふと途絶えた。
ショックで気絶してしまったのである。
統計の集めようがないが、おそらくいきなり自分の首が伸びた中学生の9割以上がショックで気絶すると思う。
頑張ってもう少しだけ意識を保っていたら女湯を覗ける、というインセンティブあったとしてもだ。
能力の押し売り、という漆黒の女の表現は的を射ていると思う。
首が伸びるという能力は優馬にとって不要なものである。
現に銭湯で始めて能力を使って以降、優馬はこの能力を一度たりとも使っていない。
使い道がない上に、気持ち悪いからだ。
首がくねくねと伸びている姿を決して友達に見られるわけにはいかない。間違いなく友達を無くす。
まさしく百害あって一利なしの能力である。
そして、神様は要らない能力を与えてきただけでなく、その代償として優馬の命の期限を10年に区切った。
首をくねくねさせて人の命を救うことなどできるはずがないので、優馬は10年の経過を座して待つしかないのだ。10年後に執行される死刑判決を受けたようなものである。
もう一度神様が目の前に現れたら、能力を返還するつもりだった。
その代わりに人命救出のタスクを免除してもらいたいと思っていた。
しかし、神様は優馬の前に二度と現れることはなかった。
近所の神社で何度も祈れど、バイト代の全てをお賽銭に費やしても、なしのつぶてなのである。
9年11ヶ月ぶりに便りを寄越したと思ったら、例の脅迫状まがいの案内状なのだから、神様への憎しみが募ることも致し方ない。神様にワンパンを見舞いたいと考えるのは、もはや当然の心の動きである。
「殺人遺伝子」で上がり過ぎたハードルを下からくぐる作品。それが本作「ポンコツヒーローズ」です。