薬師通洋は鳥の知らせを聞いた(1)
真っ白な霧で包まれた樹海の入り口に立った優馬は目を瞑った。
背後には例の3人が立っているはずだが、鳥の鳴き声を除き、声は何も聞こえない。固唾を飲んで見守っている、ということだろう。サーカスの観客さながらである。いや、せめてサーカスの観客と同様に心配と興奮が入り混じった感情を持っていて欲しいが、おそらく3人には前者の心配が欠けている。これから世にも珍しい首の伸びる人間を見られる、という奇人館の観客さながらの好奇心が3人に口を開くことを忘れさせているに違いない。
14歳の頃の銭湯での件以来、優馬は一度たりとも能力を使っていない。
高校1年生の頃、友達と校庭でバドミントンをしていた際、誤ってシャトルを物置の上に乗せてしまったときだって、優馬は首を伸ばさなかった。諦めて別の遊びに切り替えた。
にょろにょろと首が伸びている姿は自分自身が鏡で見ることすら気色悪くて御免だ。ましてや他人に見られるだなんて耐えられない。
銭湯のときには当然周りの人に首が伸びている場面を見られてしまったと思うが、おそらくそれは湯けむりと逆上せた頭が見せた幻覚として処理された。
その証拠に、ショックによる気絶から目覚めた優馬に対し、番頭さんは体調を色々と心配してくれたが、一番問題を抱えているはずの首については心配されなかった。長椅子に仰向けで寝かされていた優馬には、下半身にタオルをかけられていただけで、塩がかけらていることもお札が貼られていることはなかった。
とうとう本格的に生き恥を晒す日が来た。
誰にも見られたくなかった世にも醜い姿がご開帳される。
しかも、知り合い3人が刮目している場で。
しかもしかも、その内の一人は優馬が密かに恋心を抱く美衣愛なのである。伸びた首が千切れてそのまま事切れてしまえればどれだけ幸せだろうか。
とはいえ、喫茶店での会議において、優馬は能力は「いざというときまで使わない」と断言してしまった。今までの「何があっても絶対に使わない」という基準を緩めてしまった。早速その翌日に「いざというとき」が来るとも思わずに。
ここで前言を翻して逃げ出したら、むしろ美衣愛に幻滅されてしまう。苦渋の決断とはまさにこのことだろう。
まぶたに遮断された視界の中で優馬は、銭湯で首を伸ばしたときの感覚を思い出していた。
たしかあのときは女湯と男湯とを隔てる壁のことを考えていたところ、突如として首が伸び出したはずだ。おそらく壁の向こうにある女湯を想像し、「壁を超えたい」と念じたからだろう。
だとすれば、今回はこう念じればいいはずだ。
-樹海を見下ろしたい。
その瞬間、約10年前にも感じた例の浮遊感が優馬を襲い、同時に背後から一斉に悲鳴とも歓声ともいえる声が上がった。
本話は会話文がないので退屈かと思いますが、作者的には会話文がない方が筆がよく進みます。