荒れ果てた大地に流離う
荒れ果てた広大な大地。草木も腐り、それを食すはずの動物もまた、影も形も見えぬ。
ひび割れた大地から立ち昇るは、『魔』の瘴気。吸えば一瞬にして虜になるが、代わりに人として大事なものを失う。それはまさしく、悪魔の如し。
ここはウェストサイド。欲に溺れた者どもが滅ぼし、そして同じように欲深き者を招く、死の大地。
「あっさおっきてェ~、ミルクを一杯飲み干してェ~」
酷く呑気で音痴な歌声が、太陽の光に照らされ、黄土色の土を輝かす荒野の空気に溶けて消える。熱の籠った大地から陽炎が立ち昇り、その向こうから、大小二人の人影が見える。片や十代前半の少年少女よりも少しばかり小さいぐらいの背丈で、もう片方はその二倍程はある。
どちらも大きなフード付きマントですっぽりと頭まで覆っていて、男か女かもわからない。だが、背の高い方からは歩く度に、ガシャリ、ガシャリという音が聞こえている為、金属の鎧か何かを着ているという事がわかる。
「……昼下がりにゃあ、にっくをたらふく食っちまえェ~」
が、妙な歌を歌っている少年の声から察するに、少なくとも背丈の小さい方は男であるらしかった。
「……ダルタニアン」
不意に、凛々しさを滲ませる女の声が、少年の歌を遮る。こちらは背の高い方だろうか。
「ん、なんでぇ、ネェちゃん。せっかく気分よくなってきたってぇのに」
「……いい加減、その妙な歌をやめてくれないかなぁ」
げんなりとした女の声と共に、背の高い方が項垂れる。
「妙な歌ってなんでぇ。こいつぁな、オイラがまだ修行中の頃にお師さんが俺に教えてくれた、お腹が減ってくる歌だぜ」
「だから駄目なんじゃないの! 食料もない、水もない! こんな何もない尽くしの荒野のド真ン中で、なんだってそんなの歌うかなぁ!?」
その切実なる叫びは、しかし空しくも、先程の変な歌と同じく、空気に溶けて消えていく。その叫びに反応するのは、隣で歩くダルタニアンと呼ばれた少年しかいない。が、少年は年齢差などまるで気にしないように、気安く女に返事をする。
「チッチッチ、わかっちゃいねェなぁ、ネェちゃんよぅ。こんな時こそ想像力を膨らませて、そして喰らうんだよ!」
「……ちなみに何を?」
「空気を」
「確かにお腹は膨らむかもしれないけどぉ! そういうんじゃなーい!」
ここまで女が取り乱すのには、当然理由がある。それは、先日の出来事だった……。
******
それは、まだ太陽が昇りかけだった頃。
少年――ダルタニアンと、女――マリニアはとある町に立ち寄り、そこで足りない分の食料や飲み物を補給し、移動用に調達した魔動式自動車両で、旅を再開していた。それなりに規模のある町で、なおかつウェストサイドの領域の外から頻繁に物品を仕入れており、更に言えばその前に立ち寄った町での出来事が切っ掛けで懐はそれなりに潤っていた事から、補給には左程困らなかった。
二人ともその旅の目的は異するものの、大元は大体同じ、という事で旅を共にしていた。その時の出来事は、ここでは割愛させていただく。
しかしながら、彼らの旅は順風満帆というわけにもいかず、それでいて共に旅をするからといって、二人の気が合うという事もない。ちょっとした事故で馬が死に、馬車が使い物にならなくなった為に魔動車両を選ぶ事になった時もそうだった。
「魔動式の乗り物は信用できねェ」の一点張りを貫くダルタニアンと、「便利な事には変わりないし、何より貴方だって魔動機械の恩恵に預かってるじゃないの」と少年の痛い所を突くマリニア。
結局、一応は筋の通った論でこちらを論破してきた女の言に、ダルタニアンは仕方なく、不本意ながら魔動車両で移動する事になったのだ。
傍から見れば、年上の姉に無理矢理連れていかれる弟のようではあるが、一応同じように肩を並べる、いわば仕事仲間なのである。一応。
この時、ダルタニアンが意見を曲げてさえいなければ、その後の結果も大きく変わっていたであろう。
そして、街からしばらく離れた時、事件は起きた。突如として起きた嵐によって、彼らはあろうことか立ち往生を強いられる事となったのだ。
しかもただの嵐ではない。荒涼たるウェストサイド名物、『魔の嵐』。大地に充満した魔素が、この地域では頻発する砂嵐の影響で大気中に吸い上げられ、そのまま魔素が砂嵐と同化してしまう事で発生する、厄介極まりない自然現象である。
「やーやー、参ったねこりゃあ。補給した矢先に魔の嵐なんて、ツイてねぇとしか言いようがねぇや」
「あんまり困ってるようには見えないんだけど……」
「なァに。まだまだ食い物も、飲み物もあるんだ。それに、嵐つったって、そんな長ぇ事留まるわけが……」
それから数時間後……。
「……ねぇ」
「言うな。何も、言うな」
「一向嵐止まないんだけど……」
「だーッ! もう! 言うんじゃねェっての! このおバカ!」
「年上に向かってバカとか言わない!」
魔の嵐が、普通の嵐以上に恐れられる所以の一つ。それは、通常の嵐以上に持続するという事。
それというのも、魔素という特異な元素、あるいはエネルギーが持つある特性に起因している。
一つ、『魔素とは一種の意志を持った元素であり、時としてその動きは生命体のようでもある』。
「って、わーッ!?魔動車の動力がーッ!?」
「ンだってェ!?」
見れば、魔動車内部に備えられた計器の内の一つ、その針が急に『0』の方へと動いていく。魔動車を動かす為の魔素が、どんどん減っていってるのだ。
自然に発生した魔素の厄介なところとは、制御されず自由奔放であるという点にある。おまけに草や家畜を食い荒らす野生動物のように、魔素のある場所を目指して移動し、勝手にその場にある魔素を食い荒らすのだ。より正確に言えば、魔素を取り込み、更に勢力を増すのだ。こうなっては、砂嵐の方が自然消滅するのを待つしかない。
「チックショー!だから魔動式の乗り物はやだったんだーッ!」
今でこそ魔素と名付けられてはいるが、実際のところ、それが元素なのかエネルギーなのか、今だにはっきりしない。というのも、魔素が初めて確認されたのは、今からおよそ百年前。突如として出現した謎の存在、『魔王』と、同じように突如として現れた『勇者』なる存在が保有していたのが、最初の魔素と言われている。
この頃はまだ、魔素は『魔力』と呼ばれ、人間に超人的なパワーを与えたり、火や水といったものを発生させたりするこの力は、魔王の前には無力な人々にとっては、まさしく夢のようなエネルギーであった。『あまりにも人智を超えた力である』という、その一点を除いては。
それから程なくして、魔動車の燃料たる魔素は底を尽きた。だというのに、外は今だに、魔の嵐の真っ只中であった。
生身で魔の嵐に突っ込むなど、自殺行為に等しい。最近の研究によれば、本来人の身に余る魔の力は、人体を著しく強化する代わりに、生命力がより消耗され、寿命が削られるという事が明らかになっている。それ以外にも精神に何らかの悪影響を及ぼすと考えられており、余程の事が無い限り、魔素の充満した空間に自ら突っ込んでいくなどあり得ない。
「……なぁ、ネェちゃん」
「……何」
「食料、あとどんだけ残ってる?」
「……さぁ」
食料だけがどんどん減っていき、自分達は鋼鉄の箱の中に閉じ込められたまま、時だけが過ぎていく。
それから彼らが脱出できたのは、もう日が暮れた頃であった。
物言わぬ魔動車は、ただの鋼鉄の箱となり果て、車輪は砂塵で地中に埋まってしまっていた。
******
「……腹ヘッタ」
「一々そういう事言わない。私だってお腹ペコペコなんだから…」
ダルタニアンが年相応にげんなりとすれば、マリニアがそれに年上らしく突っ込みを入れる。元はと言えばマリニアの選択がこの惨事の切っ掛けだというのは内緒だ。
と、そんな時。
「……あ」
「何? どうしたの?」
唐突に、ダルタニアンが何もない宙を見つめ、固まった。…否、何もないわけではない。
ダルタニアンの視線の先には、一本のやせ細った枯れ木が立っている。今にも折れてしまいそうなその木の先端に、その鳥は止まっていた。
「……ブクブク鳥? こんな所に?」
それは、ウェストサイド以外の場所でも知られる鳥でありながら、このウェストサイドでは周辺地域以上に成長を遂げた鳥類。
正式名称『ダマドリ』。人呼んで、『野生の三大ご馳走』。枯れ木とは正反対に丸々太った見た目は伊達ではなく、その身は肉厚で、なおかつ脂肪も多い。焼いて食えば代わりに自分の腹が膨れると、専ら長旅を行う商人達には大人気の鳥だ。
もっとも、このウェストサイドで野生の生き物を食べて、生きて帰れる保証はないが。外部から仕入れた食料を餌に、魔素のある環境から切り離されて育てられた家畜ならともかく、魔素を取り込んでいる可能性のある野生の動物など、食べたらどうなるか分かったものではない。
……の、だが。
「……ウマソー」
「えっ? ちょ、ちょっとまさか……」
バン、という破裂音。唐突に鳴らされたその音に、マリニアは「キャッ」と驚きの声を上げる。
気付けば、ダルタニアンのやや小振りで、それでいてマメやら何やらでゴツゴツとした右手には、先端が熱を帯びた細長い鉄の塊が握られていた。
――銃だ。円柱の弾倉が銃身に備えられた、所謂回転式拳銃と称される拳銃。しかし、ただの銃ではない。実体弾の代わりに魔素を弾丸にして放つ、魔動式拳銃。
龍騎兵の名を冠するその魔動銃のグリップには、鳥のような翼を持った龍の意匠が刻まれており、銀に煌めく銃身には翼が舞っている。
「てめーッ! そこを動くなよォ!」
「ちょ、ちょっと! ソレで撃ったら余計食べられなくなるじゃないの!」
しかし、そんな優雅な外観を持つ銃は、今の持ち主にあまり優雅ではない使われ方をされようとしていた。
ここはウェストサイド。大陸の三分の一を占める広大な荒野。今だに魔素の侵食が広がり、緑の大地を荒地に塗り替え、そして人の心を荒ませていく。
これは、『魔』に心を侵されながらも、それでも足掻こうとする者達の物語。