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花園クロニクル  作者: syo
8/8

8章

8章


 1.


 かえるちゃんは三音ツバサを抱きかかえていた。ぼくはその背後に誰かがいることに気づいた。たった今この瞬間から、いたかのようにその足音は鳴った。舞台の袖から繋がっていたみたいに彼女はどこかで控えていた。考えるまでもなくそれが誰か知っていた。白永谷さゆだ。

 「モニタリングしていた、というわけか。気分はどうかな」

 「素晴らしい演技だった。本当に素晴らしかったよ」彼女は手を何度も叩いた。これが健闘に値する行為であるかのようで、プレイングやフェアネスへ払われた敬意であるかのよう。

 「でもまぁ時間としてはいい頃合ね。滑り込みってところ」

 「一体何のためのものかな。いや、この質問は愚かすぎる。何かはわかっている。しかし君がここにいるということはもう一つ、ごく単純ではあるが、手続きを済ませなくてはいけない」

 「それは当然ね。今ならまだ間に合うけど」

 ぼくはため息をついた。ようやくその時間が来るのだ。

 「聞きたい。あの人のいるところへ行って」

 「六旗尊の居場所か」

 「もちろん。面会してもいいということになった。最初で最後の面会だけどね」

 「こんなことは一度ですら、経験したくはなかったよ」

 「意外と弱気なんだ。しかしそれも彼は想定済み。でも。こんなところで話をするわけにはいかない。場所を手短に言いましょう」

 「そうしてもらえればね」

 「彼がいるのは病院」

 「病院」

 「そう。病院。知っての通り、病院と言えば、あなたたちが最初に事件へ立ち会ったところ。これでもう説明不要でしょう」

 「つまり最初から、彼はそこにいた、と」

「それは聞いていた。でもすぐ目の前にいたというわけじゃない。彼に監視する趣味はないの。それは私の仕事だからね。誰かに見届けさせるのが彼の役目よ」

「そうか。なら、もう行くことにするよ。しかし彼女を運ぶことを考えなくちゃいけないな」

「その必要はないさ」ぼくと白永谷さゆは同時に、その声の方へと振り返った。六旗朱莉刑事が来ていた。周囲への目配せしながら。

 「物販搬入用エレベーターがある。そこだけは回線が生きていた。いや、違うな。このときのために電気が通されていた。時間はないんだろう。あれは五人全員乗れる。あの二人はとっくにそちらから回収させてもらった」

 その言葉に従い、ぼくらは一つ裏を回り、人口蛍光のあるエレベーターに乗った。全部で二十一階降りている間、誰一人として口を聞こうとはしなかった。埃があったせいか、皆それぞれ一度ずつくしゃみをした。

 三音ツバサは救急医療車によって運ばれた。白永谷さゆは自分で移動手段があると言い、そこへ先に向かうと告げた。六旗朱莉刑事はぼくらを乗せるつもりだった。車を前につけて、乗るように促した。

 そこでちょうど、ぼくらの歩幅に合わせるように、滑らかな音と共に一台の車が停まった。かえるちゃんと初めて病院へ向かうときに乗った車だ。桐山さんはいつもと同じように丁寧にドアを開きながら、ささやかに微笑んだ。言葉もなく、仕草も一つだけで、何を言おうとしているかぼくらには理解出来た。

 車が向かう先はそれとなく知っていた。正確に言えば、そこ以外に車で向かうべきところは考えつかなかった。病院だ。かえるちゃんが入院していたという海岸付近の町へ車は進んでいた。トンネル前の道なりの途中で、その時だけは窓を開けて町の空気を吸った。それから病院に着くまで、かえるちゃんと寄り添いながら眠った。

 屋内駐車場にはグレーの車が一台停まっていた。桐山さんは車をなだめるように隣に位置づけて、エンジンを切った。いななくような音がして、ぼくらは眼を覚ました。再び、ドアを開け、ぼくらを降ろした後、桐山さんはハンドルをそっと撫でていた。誰かを待つ静かな時間を楽しむように、背筋を正しながら。

 グレーの車には誰もいなかった。きっともう六旗朱莉刑事がそこで待っているのだろうと思い、病棟内へと進んだ。

「ここはもう患者は一人しかいないんだ」かえるちゃんは言った。

 「もうこの病院は閉館する…か」

 「直にそうなると思うんだ」

 「でもまだそうじゃない」

 「うん。彼はどれくらいその時間を望むかによるはずだから」

 事前に三音ツバサから聞いた通り、六旗尊の病室は食堂と同フロアにあった。ぼくらが最初に来た道とちょうど平行の位置にある一室に彼はいた。病室前にある名札には彼の名前が書かれていた。つまり最初から六旗尊は近くにいたということだ。

 ぼくらはドアをノックしてから病室に入った。最初に眼が合ったのは、白永谷さゆだった。しかし彼女は何も言わずにその人に視線を目配せした。それから薄いカーテンを元に戻し、こちらへと振り返り、歩み寄る。

 「入れば」そう言うと彼女は病室を出た。廊下の手すりに腰を寄せ、腕を組んだ。

 ぼくは眼で、わかったと合図した。当然ぼくはいるものだろうと思っていたが、六旗朱莉刑事はそこにはいなかった。いたのは、六旗尊だけだった。彼は眠っていた。バイタルサインが一定の信号を出しているだけで、それ以外の彼の言葉も、音もなかった。

 六旗尊はその聞いていた年齢や見かけから察することは難しいほど、年老いていた。名札がかけられていたから、ぼくらは彼が六旗尊だということを知っていたに過ぎない。そう思う程だった。でも彼は六旗尊なのだろうと思う。確かに年老いてはいる。だが、面影というものは残っていた。加齢しても、消えることのない特徴が顔に残されていた。

 果たして彼が本当に今までの事件を企画立案してきたのだろうか。その疑念はあった。しかしもしそうであるとすれば、六旗尊は花園クロニクルと同じく、限りなくその代償を払ったように、時を過ごし、眠りに就こうとしていた。その最後のシグナルだけが、彼の声だということにしておこう。

 ぼくは話しかけた。

 「ぼくらはあなたが作り上げたお話に最後まで付き合いました。時折この推理に、明晰に、偽りや虚しさを感じることもありました。しかしそれだってあなたにとってみれば、思考した通りに事が運んでいる、かもしれません。ただここから先、ぼくらはどのようにお話を紡げばいいのでしょう。その答えはぼくらにはあります。あなた、いや、あなたたちにだってあるはずです。今回の実験がどのような成果として記録されるかは、ぼくらの知る由ではありません。本当は色々とあなたに聞きたいことがあって、考えてもきました。でもここに来て、そのような思いは落ち着きました。なぜならそれは、ぼくらが出した結論に比べれば、取るに足らない出来事です。誰かに言い聞かせる論理でもありません。あなたはかつてその答えも知っていた。けれども、六旗朱莉さんから手を離してしまった。その寂しさだって、必要な記憶だと理解はしていた、そうじゃありませんか。あなたの一つ一つの感情と疑問を元に、花園クロニクルという歴史を参照し、論理の渦を構築したのは、この愛が真実かどうか、じゃないですか。あなたがどう答えるかはわかりません。しかしぼくにはそう思えるのです。もし六旗尊、あなたの設計した通りに事が運んでいるとするなら、ぼくにはその結論が出せるはずじゃないですか。探偵が犯人と同じ思考に辿れるが故に、理解出来るとすれば、あなたはただこの愛が真実かどうか、それを知りたかったんじゃないですか」

 「そうだったんだな」背後の声に振り返る。六旗朱莉刑事がカーテンを引いて、空いている椅子に座り込んだ。六旗尊の手を握り、体温を伝えていた。

 「尊さん、変わらないな」彼の額に手を触れているのを見る。

 「依頼は、これで完了してもいいですね」ぼくはそう言った。そもそも依頼がどのようにして始まったかをぼくは思い出す。彼女たちがぼくらの元に探偵依頼をしてきたことが発端だった。もし二人が現れなければ、ぼくはこの結論を出すことはありえなかったし、最後まで事件に付き合うこともなかった。実入りを求める人間にはリスクの大きい事件だ。通常の探偵事務所ならば、途中で投げ出す案件といっていいだろう。しかしこの人ならば、有り得る。可能性がある、そう見られたのだ。

 かえるちゃんと二人でそっと病室を出る。これからかえるちゃんはどうするのとぼくは訪ねた。事件は終わった。ぼくらの探偵事務所にいるという選択肢もあったけど、彼女自身がどのような選択を取るか、それが聞きたかった。

 「君に話さなきゃいけないことがあるんだ」食堂に向かい、かえるちゃんはぼくから少し距離を置いたところから話そうとする。

 「実は、私の本当の名前は、花園緑じゃあないんだ」ぼくはちょっと、揺らぐ。でも持ちこたえて答える。

 「実は、そうじゃないかと思っていたよ」ぼくは嘘を吐く。

 「あはは、やっぱり。知っていたんだ。こんな名前からして、すぐにばれるよね、かえるちゃんってニックネームも考えてつけて、頑張ってみたけど、こんな名前じゃわかっちゃうよね。でもそれだけじゃない」

 「今度は何かな」

 「私は男なんだ」

 「本当なの」

「うん、ほんとだよ。正真正銘、生物としてはオスなのだ。僕は」

 「そういうこと、本当にあるんだね」 

 「でも君だって、女の子なのに、ぼくはって言っているじゃないか」

 「それはお互い様ということか」

 「そういうことだ」

 「そういうことかもな」

 「でもまだ一つ言っていないことがある。それは…」

「六旗尊から指示を受けて、ここまでぼくを連れてきた、だろう」

 「知っていたんですね。それも」

 「いや、そうかもしれないと思っただけだ。ぼくらがここまで、そうすんなり足を運べたのには何か理由があるとは考えていたんだ。でも、もし君が六旗尊を経由していないとするなら、果たして君はぼくの側にいたのだろうかって思えるんだ」

 「好きだから、という理由以外で」

 「例え好きだったとしても、こうまではしないさ。けど、君が側にいたのは、自分には危害は及ばないとわかっている、そしてある程度こちらの状況を知りつつも、コントロールする立場にいられる。六旗尊がああいった状態だと知っていたから、尚更現場レベルで動ける人間が必要だったんじゃないかな」

 「確かにその通り」

 「なら、白永谷さゆとは本当は同じ立場の人間だったというわけだ」

 「仕事で一緒になっても支障がない程度には、だけど」

 「そう。でもこれで事件に関する概要は把握出来た。あとは報告書を手がけるだけだ」

 「でも、学園祭がまだあるじゃない。学園生活も残っていることだし」

 「楽しもうって」

 かえるちゃんは何も言わずに微笑んだ。ぼくは時の王子の科白を口にした。例え演技で使う言葉でも、今だったらそれはとても自然に口にする愛にすら聞こえるかもしれない。でもこの言葉は世界で、ただ一人、君だけが聞く言葉だ。

 それから。

 ぼくらは見つめ合う。その言葉を、君の耳に聴かせる。優しくもあり、どこかに迷い込み、見失ったその瞬間を、掴もうとする祈りのような声。

 手を伸ばし、繋ぎ合う。消えてしまいそうな温もり。けれどもその温度は体を伝って、ぼくの心臓にまで繋がっている。これはそうした種類のもの。ぼくらはそうしていうことで、かろうじて生き延びているのだ。

 ぼくらがその科白を言い終えると、目蓋を閉じる。幕が降りるように、光が遮断される。その瞬間、ぼくらは初めて口づけを交わす。

 病院のステンドグラス越しの虹色の光量。光の熱のベクトルがぼくらの体を透過して、生まれ変わるように、物語はまた一つ更新される。

 誰も知らない物語。

 ぼくと君だけが知る物語。

 その誰も知ることのない、その一歩を歩んだ時、ずっと探していたこの物語は終幕する。

 そう、これで、ぼくらの歴史の一幕は終わる。その次の、新しくも、懐かしい響きと景色が現れる一幕まで、みなさん、ごきげんよう。

 そして。

 さようなら。また会う日まで。

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