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「もう帰るよ」
腕の力を緩めながら、朝斗さんが言った。
(あ、まただ…――――)
抱き締めてられていたらドキドキして心臓が潰れそうになって…“もう無理、もう無理”って思うくせに、離された瞬間に…何か、物足りなさを感じてる。
(――――自分の気持ちが矛盾してる…。)
「優妃、どうした?」
「いえ…」
朝斗さんに悟られないように、私は笑顔を向ける。
(これは、私がわがままなの?―――この気持ちは何?)
「玄関まで送りますね」
階段を降りながら、私はふと気になったことを聞く。
「そういえば、朝斗さんのクラスは何をやるんですか?」
「え…」
すんなり答えてくれると思っていたが、朝斗さんが少し戸惑った反応をした。
そして、一息ついた後に低めの声調で言った。
「演劇…。でも、来なくていいから」
「え、行きますよ!朝斗さんは何の役を?」
「…―――言いたくない。」
お邪魔しました、とにこやかに母に挨拶して朝斗さんが家を出る。
「えー、知りたいです!」
どうしても知りたくて、何とか聞き出そうと、私も朝斗さんの後を追って玄関を出る。
「朝斗さんなら何だって素敵に決まって…っ」
次の瞬間、朝斗さんが唇を塞いで…それ以上は聞けなくなった。
「優妃、また明日」
玄関のドアにもたれかかり呆然と立ち尽くす私に、朝斗さんはなぜか満足気にニッコリと微笑んで帰っていった。
(朝斗さん…っ、不意打ちだと心臓止まっちゃいますからっ!)
真っ赤になりながら口元を押さえて、わなわなと身体を震わせる。
――――まんまとキスで誤魔化されたことに気が付いたのは、寝る直前のことだった。




