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朝斗さんと向き合う前に、まずは母と。
そう思っていたし、そう口にしたばかりだったから。
だから、今。
あまりに思いがけない展開に・・・驚きのあまり硬直したまま動けずにいる私は―――すごく当然だと思うんです。
「次やったら殺す」
怒りを露にしたその人の腕が、私の肩を引き寄せる。
(――――・・・なんで?)
かくんと身体がぐらつきながら、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
「ふーん。なんだかすっかり元気になってるじゃん!もしかして、全部聴いてたの?」
紫さんが、愉しそうに笑う。
私は…それをどこか他人事のように傍観していた。
(なん、えっ?―――…えっっ?)
まだ、事態が把握できていない。というか、パニックで頭が働かない。
「陰からこっそりなんて、悪趣味よねぇ」
「行こう、優妃。」
(えっと、えっと・・・・・えっと…?)
いくら考えても状況が把握できないまま、私はその人に手を引かれて歩いていた。
「あ、の…」
(聴いてた?聞かれた?私…まだ心の…準備が。だって、私…)
ドキドキ鳴りやまない心音が、激しくて…激しすぎて口から出てきそうだ。
「あ…―――朝斗さん?」
半信半疑のまま、私は震える声でその人の名前を呼ぶ。
朝斗さんはこちらを振り返ると、申し訳なさそうにそっと私の手を離した。
「昨日はごめん・・・・」
「え?」
(―――やっ、ぱり…フラれる…?)
朝斗さんがまた謝罪の言葉を口にするから、私は身構えた。
「昨日はちょっと混乱してて…。――――というか、話、噛み合ってなかったことに気づかなくて」
「え?話、噛み合ってなかっ………た?」
馬鹿みたいに、同じ言葉を繰り返してしまう。
でも仕方ないんです。だって、意味が分からなかったから。
昨日、私との会話が、噛み合ってなかった?
えっと、どこから噛み合ってなかったんだろう・・・?
「俺、優妃が一昨日の夜、公園で一護と居るのを見たんだ」
「え?」
ドキンと心臓が跳ねた。
「風邪薬を買ってきてくれて助かったから・・・お礼を言いたくて。―――だけど二人が仲良さそうにしてるのを見たら…」
何を思い出したのか、朝斗さんが表情を曇らせて途中で言葉を切った。
「朝斗さん…?」
まさか、あの時、あの場に朝斗さんが居たなんて。
だってあの公園、うちの近所なんですよ?
電車に乗ってきてくれたの?私に…会いに?
それだけで胸がいっぱいになる。
「優妃は、その事を話そうとしているのかと思って。だから俺は“知ってる”と答えた。」
「へ?」
「正直聞きたくなかったんだ…、一護と何を楽しそうに話していたのかなんて」
「え、ちょっと待ってください!私が言いたかったのは“三浦さん”の話で・・・」
「そう。“それ”…。俺、優妃が…“彼女”―――三浦たまきさんのことを、言ってたことに気付いてなかったんだ」
“三浦さんのことを言っていたことに気付いてなかった?”
(今、朝斗さん・・・そう言ったの?)
「え?じゃあ…朝斗さんは・・・」
昨日、私と朝斗さんは何を話してたのか。
私は、“三浦さん”のことを話していた。
でも、朝斗さんは・・・・?
『良いんですか?許せるんですか?――…他の男の人といたんですよ?』
『何、嫉妬して欲しいの?』
(朝斗さんは・・・?)
『俺だけが特別じゃないのは…分かってる…―――でも…好きなんだ…』
「あ、れ…は一体誰のことを・・・」
酷く喉が渇いて、私の声は小さく掠れた。
ドクン、ドクンと心臓がうるさく音をたてている。
『ごめん。今までずっと隠して、自分の本当の気持ちに気付かないようにしてた。ずっと君には…―――君だけには…知られたくなくて。でも、俺は』
(まさか…――――。え…本当・・・に?)
頭の中では、自惚れた“答え”が用意されている。
信じられないけれど、でもどうしても期待してしまう私は…愚か者かもしれない。
『―――好きなんだ…』




