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翌朝、目が覚めると翠ちゃんの姿はなかった。
私は翠ちゃんの部屋を出て、翠ちゃんに借りたスウェット姿のままリビングへと向かう。
「おはよう優妃ちゃん、朝はパンでも良いかしら?」
「あ!はい。ありがとうございます」
キッチンに立って料理をしてくれていた翠ちゃんママが笑顔で迎えてくれた。
「昨日、いつの間にか私寝ちゃってたわね。ごめんねぇ」
「ふふ。大丈夫です」
(本当に可愛らしい人だなぁ、翠ちゃんママ)
微笑ましく思いながら、リビングとキッチンを見回す。
「あれ…翠ちゃんは―――?」
「さぁ、顔でも洗ってるんじゃない?優妃ちゃんも行ってきたら?」
パンももうすぐ焼き上がるし、と翠ちゃんママが微笑む。
「あ、はい。」
「優妃ちゃん、」
洗面所へ向かおうとした私に、翠ちゃんママが名前を呼んだので振り返る。
「はい?」
「カズくん…じゃなくて高梨先生のこと、突然でごめんね」
「あ、いえ。でも、驚きました…私知らなくて」
「だよねぇ、私もつい最近なのよ、知ったの。久しぶりにカズくんに会って、そしたら翠の担任だって言うじゃない?それで嬉しくってつい、昨日呼びつけちゃって」
(あ、最近…だったんだ?)
翠ちゃんママの意外な事実に、私は驚いた。幼馴染みって言ってたからてっきり幼い頃からずっと一緒だったのかと思っていた。
「小さい頃を知ってると、それだけで親近感っていうか、嬉しいものなのよね。だからね、優妃ちゃんのお母さんの気持ちも、分かるのよ…私。」
「……え?」
「ごめんね、実は昨日、優妃ちゃんのお母さんから聞いてたのよ。親子喧嘩の理由。」
苦笑しながら、翠ちゃんママが言った。
「そう、だったんですね…」
私は決まりが悪くてうつ向く。
「幼馴染みの男の子と、自分の全く知らない男の子だったら、やっぱり幼馴染みの男の子を応援しちゃうものよ。小さい頃から知ってる安心感もあるし、やっぱりかわいいもの。」
「・・・」
“幼馴染み”の一琉を気に入っている“お母さん”の気持ちは、分かってるつもりだった。
(でも、だからって…―――酷い。許せない。)
お母さんが朝斗さんに「別れて」なんて言わなかったら、ずっと幸せが続いていたのに。
(私の幸せを壊したのは、お母さんだから。)
だけどそれを翠ちゃんのママに言うのは、八つ当たりになってしまうと思って、私は無言でうつ向いていた。
そんな私の気持ちを察してくれたのか、翠ちゃんママが苦笑いを浮かべたまま、続けた。
「女の子を持つ親としては、やっぱり“彼氏”の存在は気になるものよ。だってほら、もし妊娠したなんて言われたら大変なのは女側だからねぇ」
「にっ、」
(妊娠!?話がぶっ飛び過ぎです、翠ちゃんママ!)
突然の話に、動揺してしまう。ここで赤面してしまう自分が、本当に恥ずかしい。
「まぁ今回の件は、優妃ちゃんのお母さんも“私の早とちりだった”って言ってたし、帰ったらちゃんと仲直りしてね」
クスッと笑って、翠ちゃんママが優しく言った。
「はい…。なんか恥ずかしいです…、おばさんまで巻き込んでしまって」
「あら。私の大好物よ、恋話!いつでも聞くからまた色々教えてね!」
「ははは…」
乾いた笑いで誤魔化していたところに、翠ちゃんがリビングに入ってきた。
「ちょっと、お母さん?優妃に何話してたの!?」
私と翠ちゃんママを交互に見ながら、翠ちゃんが焦った声で言った。
「さぁ、何だったかしらね」
悪戯に微笑んで翠ちゃんのママがそう言った。
「って、あ!パン焦げるっ!!」
翠ちゃんママがバタバタとキッチンへ戻っていくのを、私は苦笑しながら見ていた。




