【翠視点】5~文化祭二日目~
文化祭二日目の朝、偶然廊下を歩いていた高梨先生に出会した。
(なんでだろう、変に意識してしまうのは。)
私は軽く会釈して通り過ぎようとした。
「逢沢。今日の帰り、後夜祭出る?」
ちょうどすれ違うのが真横になったとき、先生が立ち止まって言った。
「いえ、その予定はないです。…けど?」
無駄にドキッとしながら、私は目を合わさず無表情のまま答える。
「誘えばいいのに、素直じゃないなー。」
(それは、琳護くんをってこと?)
―――先生はそう言って笑ってるけどさ。
・・・誘えるわけないじゃん。
だって私は、今・・・カズくんのことが気になってるんだよ?
そんなことを言えるはずもなく、
態度に出せるはずもなく、
私はただ、「…ほっといてください」とだけ言っておいた。
「はは、そうか。じゃあ帰る前に数学準備室に寄ってくれ」
それだけ言って、先生は行ってしまった。
「………分かり、ました」
多分、私のこの声は小さすぎて聞こえてなかったと思う。
放課後、後夜祭が始まり生徒の大半はそっちに集まっていた。
後夜祭は強制行事ではないが、毎年そこで告白するとカップルになれるとか幸せになれるとかいう、ジンクスがあって、それにあやかろうとする人達で賑わうようだ。
―――だから、私は参加するつもりなんてはじめからなかった。
職員室のある東校舎の二階に、数学準備室という部屋がある。
私は今日もどうせまた雑用をやらされるのだろうと思いながらそこへ向かった。
だけど不思議と苛立ちはなく、むしろ私だけが“特別”なんじゃないか、みたいな優越感があった。
数学準備室のドアをノックしようと手の甲をドアに叩きつける寸前に、中から声が聞こえてきた。
「先生、私…。先生が好きです」
他人の告白シーンに居合わせたのは、これが初めてだった。
私はドクンと心臓が音をたてるのを感じながらじっとドアの前で立っていた。
(…これ、盗み聴きじゃん。)
そう思ったけど、―――気になって動けなかった。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけど先生には今付き合ってる女性がいるから。それに、先生は生徒をそういう対象として見ることはないよ」
淡々と、高梨先生が答える。
「…そう、ですよね」
相手の女の子の声が小さくなる。
「そう。だから、次はもっと身近な男に目を向けてみたら?」
「…分かりました。失礼します」
私はすぐにドアから離れ、身を隠した。
ガチャとドアが開き、女の子が泣きそうになりながら走り去るのが見えた。
「・・・・」
高梨先生の返事は、正しい。
“先生”が“生徒”相手に、本気になるわけがないじゃない………。
っていうか、彼女…いたんじゃん。
『本当にこのまま付き合おうか?』
やっぱりあれは…からかわれてただけだったわけだ。
いや、分かってた。
私はコドモで、先生は大人。
先生からしたら、私はただの…――――生徒の一人。
(そんな現実、今さらなのに…なんでこんな、苦しいのよ…)
「高梨先生って、彼女いたんですね」
頼まれたプリントの資料をまとめながら私は皮肉を込めてそう言った。
「急にどうした?」
先生が、書きものをしながら軽く笑う。
「いるけど?―――ここに」
「ふざけないで!」
私は、自分でも驚くほど言葉に感情がこもっていた。
先生も驚いたのか、手を止めてこちらを向く。
「何をそんなに怒ってんの、みーちゃんは」
「それ、やめて!」
甘く耳に残るその呼び方に、私は顔を背けたまま言った。
まるでご機嫌とるみたいに…―――こんなときにだけ“みーちゃん”って呼ばないでよ。
私をいつまでも、子供みたいに。
「あぁ。もしかして、彼に告白する気になった?」
「なりませんよ!」
「素直じゃないなぁ、相変わらず」
「言ったでしょ、「“放っといて”、だろ?」
自分の台詞を先に奪われて、口をつぐむ私に先生は優しく微笑んだ。
「だけどさ、逢沢…」
何よ。なんか、文句ある?
どうせ私は、素直じゃないわよ。
ひねくれてますよ。
「彼が心変わりする前に、素直になるべきだよ?恋は、タイミングも大事だからな」
「・・・・」
優しい声で、そう言う彼は今、先生なのか“カズくん”なのか。
分からなくて、私はじっと彼を見つめていた。
「何?あ、もしかして良いこと言ってるなとか思った?」
「は?別に?」
私が不機嫌な声でそう答えると、彼はまた愉しそうに笑う。
『心変わりする前に…』って、先生は言ったけど。
心変わりしてしまったのは、――――…私なんだよ、カズくん。




