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『ごめん。今までずっと隠して、自分の本当の気持ちに気付かないようにしてた。ずっと君には…―――君だけには…知られたくなくて。』
朝斗さんが、何を言うつもりだったのか…。
私は怖くて聞けなかったこの先を、考えたくもないのに勝手にそればかりを考えてしまっていた。
――――お昼過ぎに私は自分の家の前にたどり着き、ふと家の前に人の気配がして、顔を上げる。
「どこ行ってたの?」
一琉が険しい顔をして、私の家の前に立っていた。一瞬目が合って、私はすぐに泣き顔を伏せる。
「―――…どこでも、良いでしょ…?」
うつ向いたまま、私は力なくそう言って、一琉の横をすり抜けようとした。
「また、早馬朝斗?」
パシッと手首を掴んで、一琉がそう問い掛ける。
「…一琉、離して」
「優妃…また泣いてるじゃないか。なんでまだあいつに関わろうとするんだよ…。もう、やめればいいだろ?」
「――――…そう、かもしれない…」
「優妃?」
そうかもしれない。
朝斗さんは三浦さんのことを本気で好きだと言うのなら。
私はもう、本当に…諦めるべきだから。
「ただいま…」
一琉が手を緩めた隙に腕を払い、私は家に入った。
「――――優妃、あんたどこ行ってたの?心配してたのよ、電話もつながらないし。一琉くんもずっと気にして…。って、ちょっと優妃…聞いてるの?」
母親が玄関先までやってきて、そう捲し立てる。
だけど私には、今…そんなことはどうでもよくて。
そのまま二階に駆け上がり、自室にこもった。
諦めるべき?
でも…諦めるってことは…――――。
『・・・作れるの?』
そう言って意地悪な顔で笑う朝斗さんも。
『うん、美味しい…』
私の作ったお粥を食べてくれた朝斗さんも。
『ありがとう』
そう言って、嬉しそうに笑う朝斗さんも。
あの、求め合うような…キスも。
――――全部記憶から、消去しなければならないの…?
いつのまにかベッドで眠っていたらしく、目が覚めたら部屋は真っ暗だった。
なにやら一階が騒がしい。
おそらく毎年恒例の一琉ママとのクリスマスパーティーが始まっていたようだ。
カチャカチャと食器を並べる音と、なにやら楽しそうな会話が聴こえてくる。
「一琉くん、遠慮しないでね」
「ありがとうございます!!おばさんの料理どれも美味しくてつい食べ過ぎちゃう」
「もう、嬉しいこと言ってくれるわねっ!優妃と大違いだわ」
リビングから聞こえてくるそんな会話を、階段を降りながら私は何気なく聴いていた。
「そういえば、優妃ちゃん大丈夫だったの?ほらっ同じ高校の格好いい先輩に遊ばれてたとか!」
一琉ママの言葉に、私はどきりとした。降りかけていた足を止め、階段の最後の一段のところで聞き耳をたてる。
「あぁ、そうなのよ!文化祭のときは本当に驚いたわ…。でも、もう別れてるんじゃないかしら?私もあの時きっぱり言ってやったしね」
母親の、調子の良い口調に私は耳を疑った。
(な、に…言っ――――…?)
“文化祭の時”?
“あの時きっぱり”、って何?
足が、震えた。
心が、凍り付いた。
「おばさん、優妃に聴こえますよ…」
「大丈夫よ、どうせまた寝てるでしょ。あの子暇さえあれば寝てるのよ。」
笑いながら一琉にそう答えている母親のところに、私はリビングのドアを開けて言った。
「お母さん…今の話――――…何?」
怒りで、声が震えていた。いや、ショックが大きかったからかもしれない。
「あら?優妃、起きてたの?」
「あ。優妃ちゃん、チキンでも食べる?」
お母さんと一琉ママの言葉を無視して、私はもう一度問い掛ける。
「……ねぇ…今の話、なに?」
シーンと静まり返ったリビングには、母親を睨み付ける私と、そんな私と母親をハラハラしながら見守る一琉ママと一琉がいた。
「朝斗さんに、何か変なこと言ったの?」
「変なことなんて言ってないわ?真面目な話よ」
悪びれもなく、母親が言う。
「なにそれ…」
「おかしいとは思ったのよ。あーんなカッコイイ人連れてきて、優妃と付き合ってるなんて言われてさ。…あんた、騙されてたのよ?」
「騙されてないよっ!」
確かに朝斗さんは…私には釣り合わないぐらい、格好いい人だけど。
でも、騙されてたなんてことは、絶対ない。
だって付き合ってるときの朝斗さんの表情に、嘘なんてなかったから。あんな穏やかな表情で笑う朝斗さんを、私は知らなかったんだから。
「朝斗さんに…別れてって…言ったの?」
私は母親に、低い声で問い質す。
「優妃…」
母親が私の剣幕に驚いて目を見開いている。
「答えてお母さんっ!」
「…言ったわよ。だって優妃が遊ばれて棄てられるのなんて黙って見ていられないもの…」
母親が目をそらして口を尖らせる。
(…まさか――――お母さんのせいだったなんて…)
「遊びじゃないよ…!私も、朝斗さんも…本気で…」
(――――本気で…好きだったのに…。)
「お母さんのせいじゃん!」
私は母親にそう怒鳴り付けて、家を飛び出した。
走って、走って。
この気持ちを振り切るように私はとにかく走った。
『以前から、言わなきゃと思ってたんだ』
――――文化祭が終わった後、朝斗さんが突然言った。
『別れよう』
あの時…。
どんな気持ちで?
朝斗さんはあの言葉を口にしていたの?
私は…いつも…気づくのが遅くて。
いつも貴方ばかりにツラい想いをさせている…。
肩で息しながら、胸が苦しくなって立ち止まる。
「お母さんなんて、大嫌い…」
私のそんな憎しみの言葉は、強い風に吹かれて…消えた。




