【朝斗視点】17~想定外の展開~
彼女が纏う、あの空気が好きだ。
彼女と一緒にいるだけで、自分の心が洗われる気がした。
『朝斗さん』
彼女が俺の名前を呼ぶと、それだけで特別に聴こえた。
彼女といると退屈しないし、楽しい。
そして何より――…幸せだと思えた。
そんな気持ちと比例して、日に日に増していったのは…優妃に対する独占欲。
もっと君と一緒にいたい。
…俺だけの優妃であって欲しい。
それはまるで、居場所を求める子供のように。
「………」
病院を出てから俺は、当てもなく歩いていた。
ずっと遡って考えていた―――優妃のことを。
(最初は――――…)
俺が付き合おうと言ったら、彼女は頷いた。
(でもそれは――――…)
…俺のことを好きだったから?
(違う。―――今なら、分かる…)
…俺が強引にそう仕向けたからだ。
(何も言わない彼女の口を塞いで…彼女の言葉も聴く前に俺はー――。)
あの頃は全てが偽りで…言葉巧みに騙すことに何の抵抗もなかったし、自信があった。
そして優しい彼女は、まんまと騙されて。
刷り込みのように俺を好きだと言うようになった。
(もし俺より先に一護や、一琉が告白していたら?)
その時彼女はきっと、同じようにそいつの傍にいて。そして、同じようにそいつに好きだと言うようになっただろう。
優妃の心は真っ白で、…何色にも染められるから。
(そんなこと、分かってる…)
自分の欲望のためにどこまで彼女を引き込むつもりだ?
優妃の優しさに、どこまでつけこむ気だ?
そう囁くもう一人の自分。
どこまでも真っ黒な俺の心。
ずっと蓋をして抑え込んでいた気持ちが、優妃を好きになってから…制御できていない。
無くならない独占欲、不安、そして止まらない孤独感となって俺の心を支配している。
優妃はこのまま俺と居たら…―――ダメになる。
だが俺の独占欲に耐えられなくなっても…それでもあの子は俺と一緒にいようとするだろう。なぜなら彼女はお人好しで…優しいから。
(そうしたら…―――)
俺の好きな優妃が壊れる。
…―――俺のせいで。
(駄目だ…それだけは…)
君には笑っていて欲しいから。
涙なんて、流させたくないから。
(だけど俺は…―――それでも君を手放したくない)
どうやってたどり着いたのか、気付けば俺は自分のアパートに戻っていた。そして部屋に放置されたままの携帯電話を何気なく手に取ると、優妃からlineが届いていた。
『こんばんわ!朝斗さん、風邪の具合はどうですか?明日はゆっくり休んで月曜日には治りますように』
(何故“風邪”?――――あぁ…、忘れてた)
そう言えば今日約束していたのに、優妃になにも連絡していなかったことに今更気がついた。
(風邪だと思ったのか…。まぁ、それでいい、か…)
余計なことは詮索されたくないし、話したくない。
これは俺の問題で、優妃には関係のないモノだから。何より、同情なんてされたくない。
(今日はもう遅いし、明日…―――連絡するか…)
―――昨晩ほとんど眠れなかったからか、目が覚めると昼過ぎになっていた。
(そうだ…優妃…)
目が覚めてすぐに、俺は優妃に電話をかけていた。自分でも驚くほど自然に指が動いていた。
(繋がらない…なんでだ?)
何回かコールしたが電話に出る気配はなかったため、呼び出し音を切る。すると、すぐに優妃から着信があった。
『朝斗さん?すみませんすぐ出られなくて…』
そう言う彼女の口調は…なんだか不自然なほど早口な気がした。
(随分騒がしいところだな?…家の用事か?)
嫌な予感で心が支配されそうになるのを、必死に打ち消すように俺はそう思おうとした。
「優妃?今どこ?外なのか?」
『あ、はい。…今、実は』
拙い言葉で説明し出す優妃に、嫌な予感は募るばかりだった。
『優妃は僕とディスティニーランドですよ、朝斗センパイ?』『ちょっと、一琉っ!返してっ』
(嫌な予感ってのは、どうして当たるんだろうな…)
優妃の電話に、突如彼女に替わって出たのは一琉だった。
『もしもし、朝斗さ…「ならいい、切るから」
『朝斗さん、待っ…』
優妃の呼び止める声を遮るように、俺は通話を終了した。
(くそっ。)
一琉の挑発になんか乗るつもりはなかったのに。
(俺は優妃しかいないのに。俺でなくても、優妃は…―――)
嫉妬に狂う、黒い気持ちが溢れ出てきてしまう。
『ピンポーン…ピンポーン…』
暫くすると、呼び鈴が鳴った。出なくてもそれが誰なのか分かっている。
――――…だが俺は、出られなかった。
(いま会ってしまったら―――…)
まだ誤魔化せる。傍にいて。優妃に逢いたい。
(ダメだ…言わなくては…)
今は―――会うな。
鳴り止まない呼鈴を聞きながら、自分の中で葛藤していた。
すると今度はドンドンと玄関の扉を叩く音がした。
「朝斗さん!開けてください!!居ませんか?」
(優妃…―――やめてくれ…)
俺はまだ会いたくない。
終わりにしたくない。
別れたくないんだ。
(でも…逢いたい。一目だけでも――――…)
そんな誘惑に負けて、俺はドアに手をかけた。
「…何?もうデートはいいの?」
玄関の扉を開け、俺は素っ気なく言葉をぶつけた。
(バカか…俺は…。)
こんな時にまで、嫉妬している。
目の前にいる…―――優妃への想いが溢れてしまう。
目が合った瞬間、それを悟られないように優妃から顔を背けた。
(…好きだ、――――好きなんだ…)
逢ってしまったら次は抱き締めたくなる。
目の前の…可愛い俺の“彼女”。
「―――…ごめんなさい。でも、違うんです!一琉とは別にデートなんかじゃなくて…「いいって。もう。」
優妃が必死に説明をしようとした声を、俺は堪えらず顔を背けたまま吐き捨てるように言った。
(いいんだ、もう…)
分かってる。
一琉とは何でもないってことぐらい。
君のことは、よく分かってるよ。
誤解を解こうとここまで走ってきたことも。
(だけどね、優妃…)
「以前から言わなきゃとは思ってたんだ」
「…?」
そう。
俺は分かっている、本当は。
『別れてちょうだい』
あの言葉を向けられた時から。
あの時からカウントダウンは始まっていて。
どんなに抵抗しても結局俺は…君を手放すべきだということ。
頭の片隅にはいつも、それはあったんだ。
『別れてちょうだい』と供に。
ずっと。
ただ俺が…それに触れなかっただけで。
常にあったんだ、すぐそこに。
言いたくなくて、避けていた。
言うもんかと思っていた。
だけど、気付いてしまったんだ。
それは俺の利己的で身勝手な気持ちで。
―――――それより優先すべきは君の心。
俺の好きな、その真っ白でまっすぐな心。
俺から言わなくてはいけない。
でないと君は、どこにも行けないから。
優しい君は、こうしていつも俺の前に戻ってきてしまうから。
いつまでも、向き合おうとしてしまうから。
「やっぱり君とは付き合えない。別れよう」
「…え?」
信じられないというように、優妃が小さな声を漏らす。
「ってことだから、もうここにも来ないでくれるかな?迷惑だから」
戸惑う優妃の目をまっすぐ見つめて、すかさずそう告げた。
今まで他人に向けていた、あの他人行儀の作り笑顔で。
そして表情が崩れる前に素早く背を向け、俺は玄関のドアを閉めた。
いつもより、扉が重く感じた…。
言ってしまった。
言うしかなかった。
君が好きだから。
好き過ぎるから。
「………っ」
玄関のドアにもたれ掛かるようにして、俺は顔を覆う。
(こうなるのが嫌だったんだよ…俺は…っ)
君のせいだ。
君が俺の前に現れたから。
そこから全部、狂い始めたんだ。
他人に期待することなんてすべきでないと分かっていたのに。
人に心を許すなんて、自分が傷付くだけだと知っていたはずなのに。
(それなのに―――…)
君が俺の深い根の部分にまで真っ直ぐ手を差し伸べてくるから。
何度だってその綺麗な心で、俺の心を掘り起こすから。
(君に出逢ってから…俺は変われたと思っていた。でも、違った。)
変われたと思っていた自分は恐ろしく幼稚で。
嘘以外何もない、小さな自分。
(君と出逢って知ったこの気持ちが…―――この気持ちだけが“本当の俺”だった)
「―――…っぐ…」
(だから、君に出逢わなければ――――…)
俺はこんな、みっともなく涙を流したりなんて…することもなかったんだ。




