【朝斗視点】16~小さな秘め事から~(2)
『朝斗さん。私―――朝斗さんのことが好きです』
『私…別れたくないです…』
―――優妃はいつも、そうやって俺に向かってきてくれた。
『朝斗さん、私…朝斗さんだけが“好き”ですから!』
『だって朝斗さんの瞳には私だけ映してて欲しいですから!!』
―――いつも真っ直ぐに、ありのままで。
そんな君が眩しくて。
そんな気持ちが嬉しくて。
だからどんどん…―――どんどんハマっていった。
優妃は優しい。
バカがつくほどの、底抜けのお人好しだ。
それを忘れて、俺は自惚れていた。
君は、俺が好きだから…俺に対してだけ、そうだと。
でも、違った…。
優妃は誰に対しても真っ直ぐに向き合おうとする。
後夜祭では一護に頼まれ一緒に過ごし、来週の試合を観に行くと一琉に約束させられている。
断らずに、彼女はそれを受け入れてしまう。それが腹立たしい。
そしてさらに腹立たしいのはー――優妃は俺に、その話をしない。
後夜祭で何があったのかも、明日試合を観に行くことも、未だに俺に隠している。
(やましいことがないなら、言えるはずだろ…。なんで隠してるんだよ…)
そんな苛立ちは募るばかりだった。
金曜の帰りになっても優妃は明日の話をしてくれなかった。文化祭のあとからずっと黙って堪えていたが、いよいよ堪えきれなくなった俺は駅の改札を通ったところで口を開く。
「優妃…」「はい?」
優妃が俺の声色にビクリと反応する。
「明日、一琉の試合を見に行くのか?」
優妃の前に向き直って、俺は真っ直ぐに優妃を見下ろす。
もしかしたら「行かない」と言うんじゃないかと、心のどこかで期待していた。
―――だが、優妃は何も言わずにうつ向いた。
その態度は図星だとすぐに察した俺は優妃の肩に手を置く。
(俺が聞かなかったら黙って一人で行くつもりだったのか…っ?)
「どうしてだ?―――優妃、俺の彼女なんだよな?」
「あ、朝斗さん…?」
余裕のない俺を、優妃は戸惑いながら見上げている。
「明日、俺も行くから。」
苛立ちをぶつけるようにそれだけ言うと、俺は優妃に背を向けてひとりホームへと向かった。
なんで俺だけを見てくれない?
俺にも一護にも一琉にも、なんで同じように接するんだよ…。
抑えきれない焦り、不安、苛立ち。
―――そんな自分が情けなくて、ウザい。
(だけどそれでも…優妃を奪われたくない…)
形振りなんて、構っていられない。
一琉に奪われるなんて、絶対に嫌だ。
そう思っていた。
―――――――――
翌朝、イライラしながらも出掛ける支度をしていたところに、紫が帰ってきた。
「なんだ紫、朝帰りか…「朝斗、落ち着いて聞けよ」
靴の紐を結びながら俺がそう声をかける前で、足を止めたままの紫が落ち着いた声で言った。
俺はゆっくりと、目の前に立っていた紫を見上げる。
「なんだよ真面目な顔して」
半笑いでそう言っても、紫の険しい表情は変わらなかった。
「親父さんが…倒れた」
紫の言葉に、俺は一瞬ドキリとした。
「―――…倒、れた?」
足元から闇が拡がる…――――。
「…行けよ、朝斗。俺送ってくから」
「―――は…、なんで?」
笑ってしまった。可笑しいだろ、だって。
なんで俺が?
俺にはそんな連絡すら来ていないのに?
俺なんて父さんにはその程度の存在なんだぞ。
(倒…れた?)
それをなんで俺が?
(倒れた…?なんで?)
「朝斗!」
紫が急かすように俺の肩を揺らす。俺はすぐに反応できずにいた。
「………」
いまさら会ってどうする?
話すことなんて何もない。
父親なんて、いないも同然だったんだ。
向こうだってきっと、そう思っているはずだ。
「後悔するぞ、行かないと」
(死ぬ?居なくなる?――――また?)
手が冷たくなっている。
足が…すくんで…震えている。
―――過去に切り捨てたはずの孤独感が俺を襲う。
(イヤだ…)
「ほら、行くぞ」
――――紫に強引に腕を引かれ、紫の車に乗った俺は父親の入院している総合病院へと向かった。
完全に気が動転していた俺は、病室へ慌ただしく駆け込んだ。
(父さん…っ)
ガラッと戸を開けて病室へ入ると、知らない女性が振り返った。40代前半くらいの落ち着いた雰囲気の人だった。
「あら?息子さん?」
(―――だれ…だ?)
立ち尽くす俺に、その女性は穏やかに微笑みかけた。
「…仁方です。初めまして。」
「初め…まして」
よく分からずにそう応えると、ベッドの方から声がした。
視線をそちらへ向けると、父親が上体を起こしてこちらを見ていた。
「おお、朝斗。元気そうだな!来てくれるとは思わなかった」
そう言って、父親が嬉しそうに目を細める。
(――――な…んだよ、これ…)
―――なんの茶番だ…?
騙したのか…?
倒れたとか大袈裟にしやがって。
元気そうなのは、そっちだろ…。
俺がどんな思いでここまで来たとー――――。
ぶつけたかった言葉を全て呑み込んで、俺はすぐに踵を返し部屋を出ていこうとした。
「待て待て、ちょうど良かった」
「………?」
不機嫌極まりない表情で、振り返った俺に、ベッドの上で微笑む父親が、照れながら言った。
「父さん、この人と再婚しようと思ってる」
(―――――…は?)
「よろしくね、朝斗くん」
仁方さんが、こちらに優しく微笑みかけてきたその瞬間、俺はその場から無言で逃げ出した。
「あ、こら朝斗…っ」
父親の声が背中越しに聞こえてきた。
(―――…限界だ…)
なんだそれ。
なんだよそれ。
(こんなの―――バカバカしくて笑えねぇ…)
「………なんで…俺が…」
ショックを受けている自分に、俺は心底呆れていた。
バカじゃねーの?
俺の居場所なんて、家族には初めからなかったはずなのに。
切り捨てたはずだったのに。
まだ俺は何処かで、期待してしまっていた?
(否、―――違う……)
優妃と付き合ってから俺は――――あれほど固く閉ざしていた心を開け放ってしまっていた。
(そうだ、優妃なら―――…)
優妃に会えば、この孤独から救われると思った。
優妃なら俺をここから助け出してくれると思った。
(――――っ。スマホ、家に忘れてきたか…)
こんな時に忘れてきた自分に嫌気がさす。
そこでふと、自分の思考がだいぶやられていることに気がついた。
(俺は…―――っ)
顔を覆うようにして、その場に座り込む。
優妃に依存しすぎている。
…まるで中毒のように。
優妃の気持ちも、優妃の都合も考えずにいつも彼女を欲してる。
日に日に増していくこの想い。
それでも、優妃は優しいから。
いつだって応えてくれるから。
(―――俺には…優妃しかいない。)
だけど優妃には彼女を大切に想う家族も、幼馴染みも、…いる。
(―――俺には自分を守るための…嘘で塗り固めただけの偽りの自分しかない。)
だけど優妃は、いつだって真っ直ぐに素の自分で向き合ってくれる。
(―――違いすぎる…)
優妃が欲しいと、そればかり考えていた。
優妃を自分だけのものにしたいと、そればかり考えていた。
(真っ白な心を持つ彼女と、真っ黒な心しかない自分。)
気付いてしまった。気付かないままでいればよかったのに。
(――――優妃と俺は…違いすぎる。)




