【朝斗視点】12~不安定なこの心~(1)
『…朝斗さんの隣を、自信持って並んで歩けるようになってからがいいなって…』
優妃にそう言われてから、彼女の思いを尊重したくて、朝と帰りに一緒に登下校するのはやめることにしていた。
俺の隣を歩くのに、自信なんて必要ないと思うが、それは、彼女の中で大事なことらしいから。
だから気長に待つつもりでいたのに、文化祭の準備にも追われ、まったくと言うほど優妃と会う時間はなくなっていた。
「おはよーさん―――…うわ、」
そんな妙な声がして読んでいた本から視線を上げると、琳護がちょうどやってきたところだった。
「いやにご機嫌だな、なんかあった?」
「は?別に?―――あ、今日昼飯、他行くから」
素っ気なくそう言って視線を本へと戻す。…だが読んでいても、全く内容が入ってこない。
「ふーん。了解」
琳護を見なくてもニヤニヤしながらそう言っているのが分かって、若干イラっとした俺はそのままスルーしておいた。
朝と帰りが無理なら、昼だ―――そう考えて昨夜、電話で彼女を誘った。
『明日、時間ある?昼、一緒に食おう?』
『あ、はい!分かりました!!』
優妃の意外に明るい返事を聞けたことに、胸が温かくなった。
「うわ、浮かれまくってる…」
琳護のからかう声なんか耳に入らないほど、俺は朝から昼休みが待ち遠しかった。
昼休みになると、俺はすぐに文化祭実行委員の準備室へと向かった。
優妃はまだ来ていなかった。
(―――今から会える…)
そう考えただけで鼓動が高鳴った。
「遅くなってすみません!うちのクラス四時限目がっ…体育だったの、忘れてました…っ」
暫くして、優妃がやってきた。
「走ってきたんだ?」
息を切らせていた優妃が可愛くて、ついクスリと笑ってしまう。
優妃は恐る恐る教室に入ってくると、訊ねた。
「ここ…部外者が入ってもいいんですか?」
「優妃は特別。」
そう即答した俺の言葉に優妃が顔を赤くする。
そして俺が座っていた席から、なぜか少し離れて座った。
(照れてる?)
「優妃、遠すぎるから。…こっちおいで」
隣のイスを引きながら俺が言うと、優妃がためらいながらも隣に座り直した。
(優妃、――――本物だ…)
やっと会えた気がした。実際一日最低一回は校内の何処かしらで会っていた気がするけど。
「本当はもっと一緒にいる時間があればと思うんだけどな」
俺の呟きに、優妃がピクリと反応した。
「―――すみません…」
「なんで優妃が謝るんだよ」
軽く笑って俺は言った。
でも本当は優妃が“何に”謝ったのか解っていた。
(まだ自信がないから登下校するのは無理ってことだよな)
―――だけど優妃が言う『自信』というのは…。
(第三者から何か言われたから…それに打ち勝つためのものなんだろ…?)
優妃はなにも言わない。
以前に三年に呼び出されたことを。
―――あくまで隠そうとしているのか?
俺に心配かけないために?
だけど。
もしそうなら…――――伝えておきたい。
「優妃、」
お弁当を開いて食べ始めたところで、俺は切り出した。
「―――三年生に、呼び出されたんだって?」
「…どこでそれ…」
優妃は驚いて箸を止め、こちらを見る。
「気付かなくてごめん。先輩方には優妃のこと、きちんと説明したし、もう人目気にしなくても大丈夫だから」
ちょうどこの間、電話が通じないのはどうしてかと聞きにきた彼女達に、ハッキリと伝えた。
『もう用がないからだ』と。そして『俺の香枝優妃を傷付けたら許さない』とも。
(だから、もう…気に病まなくていいんだよ)
「…―――っても、優妃が気にするんだったか」
そう。
それだけが問題じゃないんだよな。
分かってる。
あくまで自分の中の問題だと思ってるんだよな、君は。
だがそれでも、俺がそう言いたかったのは…―――
「すみませ…」
そんな風に謝らせるためじゃなくてー――
(安心させたかったのに、…上手くいかないもんだな)
「早く一緒に登下校したいんだけどな…」
ついまたそう呟いてしまって、自嘲気味に微笑む。
「そう…ですよね。私も頑張ってみます」
優妃が俯いたまま答えたそれは、本当に想定外のことばで―――。
「え…?本当に?」
驚きのあまり素の反応をして、優妃の方を向く。
いいのか?
それなら…嬉しい。
「はい。」
俺が微笑むと、優妃も嬉しそうに微笑んだ。
早速今日の放課後から一緒に帰ることになり、二年生の昇降口で待っていた優妃は、帰っていく女子達の視線を痛いほど浴びていた。
ギュッと唇を噛みしめて、それに堪えている優妃の横顔を見たら少し胸が痛んだ。
「ごめんな、待たせて」
俺の声で顔を上げる優妃。
「いえ。お疲れ様でした」
文化祭の準備で忙しかったが、ずっと待っていてくれた優妃の存在が嬉しくて、胸を痛めていたことすら忘れてしまう。
「優妃、ありがとう」
「え?」
優妃は驚いたように俺を見上げる。
「…少し無理させてるの、分かってんだけど」
ゆるゆるな口元を手で隠して、優しく彼女を見つめる。
「やっぱいいな、こうして一緒に帰る時間」
「私も…嬉しいです」
優妃は自分の足元を見ながらだったが、そう言ってくれた。
「そか…。なら良かった」
自分がこんな優しい声を出せるなんて知らなかった。照れてる優妃が、堪らなく可愛い。
「あ…」
ふと隣を歩く優妃の頭が俺の肩に軽く触れた。
「―――すみま…」
慌てて少し距離を空けようとした優妃を、思わず引き寄せた。
「………っ」
この時の俺は有頂天だった。
優妃が俺と向き合ってくれているのが嬉しかった。
触れたくて堪らなかった。
――――だから、抑えられなかった。
不意打ちのキスを口に落とすと、優妃は立ち止まったまま動けなくなった。
それは本当に一瞬の、ただ軽く触れるだけのキス。
「…優妃?」
唇を手で覆ったまま固まっていた優妃が可愛くて、そっと顔を離してクスリと笑みをこぼす。
「いつまでそうしてるつもり?」
そう言いながら手を繋ごうと優妃へ手を伸ばした。
「…あ…っ」
その瞬間、パシっとその手を払われた。
(――――!??)
――――意味がわからなかった。
何が起こった?
今、どうしてー―――?
「優妃…?」
心に穴が開く感覚。
揺らぐ―――目の前が…。
「あ…。すみませ…」
青ざめて、優妃がうつ向く。
そんな反応されるなんて、まったく想定外だ。
(なぜだ…?―――まさか…)
「嫌だった…のか?」
そう問い掛ける声がかすれる。
「………まさか、そんな…」
自分でも信じられないというように言葉に詰まる優妃。
(――――…なんだ、そっか…)
心の穴が拡がっていく…。
「私、朝斗さんが好きです…」
(好き?――――俺を?)
彼女の初めての告白はまるで、そう思おうとしているかのようだった。
「なのに…なんでか分からないんです…――――」
俺を見上げて、涙をポロポロ流す。
「私…おかしいですか…?」
(おかしいだろ。それなら、なぜ泣くんだ…)
想いは同じだと思っていた。
俺が笑うと、君も笑うから。
だけど違う…違ったんだ。
「涙が止まらないんです…」
君は無理してた。
俺に合わせようとしてた。
―――そういうことだろ?
俺ばかりが君を好きで。
俺ばかりがひとり舞い上がって、喜んで。
「別れようか?」
「…え?」
泣くほど嫌なら、無理しなくていい。
無理して向き合わなくていい。
「…別れよう、優妃」




