【朝斗視点】3~自分の気持ち~
花火大会の時に、偶然…香枝優妃を見かけた。
だけど、彼女がいたのは…一護の隣。
―――自分がフラれたんだという事実を、思い知らされた気がした。
(…他人にこだわるなんて、無駄なだけだ)
今までそうしてきたんだ。
今回も同じだ…。
そう思っているはずなのに、気付けばなぜか花火大会の時の彼女の笑顔ばかり浮かんでくる。
(クソッ…―――なんで、消えない?)
「朝斗、」
名前を呼ばれ、顔を上げると目の前に、見慣れた顔が俺を見ていた。
「あぁ…―――琳護か。…何か用か?」
「今日は一段とご機嫌ナナメだな。どした?」
俺の前の席の椅子に逆向きに座りながら、琳護が顔を覗き込んでくる。
「別に?」
文化祭実行委員の準備室で書類に目を通していた俺は、素っ気なく答えてから…ふと顔を上げた。
「なぁ…―――お前の弟、香枝優妃と付き合ってる?」
「は?なんで?」
琳護が驚いて聞き返してくる。
「いや、知らないならいい」
俺はまた書類に視線を落とす。
(――――なに聴いてんだ、俺は…)
間抜けな自分の言動に、苛立つ。
「あーそういやこないだの花火大会はクラスの奴らと行ったらしいけど。もしかして香枝優妃も来てた、とか?」
琳護が俺の反応を窺うように、高めのテンションで話し始める。
「あ、今度はそのメンツでプール行くとか言ってたな―」「…あっそ」
素っ気なく答えながらも、つい想像してしまった。
(プール?一護と、香枝優妃が?)
書類を持つ手に、つい力が入る。
「つか、マジでどーした?そんな未練がましいなんて」
面白がって笑う琳護を俺は睨み付ける。
「五月蝿い、そんなんじゃねーし」
居心地の悪いこの場から解放されたくて席を立つ。
「おい、朝斗どこ行くんだよ!文化祭実行委員長の仕事しろよ」
「広報部に確認することあんだよ」
琳護にテキトーな言い訳をして、気分転換に準備室を出た。
(香枝優妃…俺をフッた女…)
俺はフラれたから、彼女が気になっているのか?
(じゃあ、手にしたら――――…?)
彼女を手にしたら、俺は失望するんだろうか?
結局、他の女と同じなんだと彼女に失望するんだろうか?
(この気持ちは…どうしたら無くなる?)
フラフラと校内を当てもなく歩いていた俺は、偶然裏庭の花壇にホースで水やりをしていた彼女…―――香枝優妃を見かけた。
彼女の姿を目にした途端、ドクドクと…自分の心臓が動いてるのを実感する。
「優妃ちゃん?」
バシャッ…
夏休みに誰もこんなところには来ないのだろう。
突然名前を呼ばれたことによほど驚いたのか、彼女はビクッと肩を揺らしホースから水を勢いよく出したまま、こちらを振り返った。
そして勢いよく俺の肩に水が掛かったのを見てすぐに青ざめる。
「すみませんっ、今タオルを…」
そう消えそうな声で言いながら彼女は花壇の近くに置いていた自分の鞄からタオルを取り出してきたと思ったら、躊躇いなく背伸びをして俺の肩に手を伸ばし拭いてくる。
(意外だな…)
嫌われているのかと思ったが、この距離感はなんだ?
俺の濡れた肩にあまりに必死にタオルを押し付けてくる彼女が、新鮮で面白かった。
「大丈夫!今日は暑いし、すぐに乾くよ」
安心させるように微笑むと、顔を上げた彼女と至近距離で視線がぶつかった。
「わ…」「おっと…」
我に返ったように慌てて後ずさろうとして、石に躓き後ろに転びそうになった彼女の腰を咄嗟に抱き止める。華奢で折れそうなほど軽い身体。
俺はそのまま彼女を抱き締め、耳元で囁く。
「大丈夫?」
彼女は固まったまま、動かなくなった。
(嫌がらない…んだな…?)
いけると思った。今なら…―――俺のものにできると思った。
「優妃ちゃん、」
甘い声で彼女に呼び掛けると、香枝優妃は顔を上げた。
次の瞬間、俺は彼女の顎に手を添えて流れるような仕草で頬にキスをした。
「俺のものになってよ」
(一護と付き合っていないなら、俺のものに…)
この時の俺は、自分のことしか考えていなかった。
この手から逃さないように、必死だった。
この気持ちを無くせるのか…―ー知るために。
「………っ」
触れるか触れないかくらいのキスをしただけなのに、彼女は過剰なほど勢いで頬を手で押さえる。
そしてそのまま、思考停止となったようだ。
「優妃ちゃん?」
彼女の顔を覗き込むと、頬が…というより顔が、リンゴよりも赤い。
(―――なんだこれ、面白ぇ)
こんな表情豊かな女、見たことない。新鮮だな。
「あの…私…」
彼女の声が震えていた。瞳が揺れている。
(やっぱり、“拒絶”なんだろうか…)
だけど、この表情は…そんな顔じゃない。
「付き合ってくれる?」
あと一押しだと思った俺は、もう一度そう訊ねた。
彼女を怖がらせないように、彼女が警戒しないように、出来る限り優しく微笑んで。
「優妃?」
優妃の腰に回した腕を、自分の身体へと引き寄せて、真っ直ぐに彼女をとらえる。
優妃は、何も言わなかった。ただ、何かに迷っているように瞳は揺れたままだ。
「突き放さないなら、俺は自分の都合の良いように考えるけど?」
俺は自分の気持ちを押しきるように、彼女の唇を強引に塞いだ。
柔らかくて、瑞々しい、小さなその唇に一方的なキス。
「…………っ、……んん」
さらに無理やり舌を入れ…―――ようとするより早く、彼女が体重を俺に預けてくる。まるで、全体重を預けるかのように…―ー―。
(?)
違和感を感じてゆっくり唇を離すと、優妃は意識を失なってぐったりとしていた。
(あぁ、やり過ぎたか。)
彼女を抱き抱えて、日陰のベンチに腰を下ろす。
自分の膝の上に優妃を寝かせ、眠っている顔をじっと見つめる。
肩につかないぐらいの長さの、漆黒の髪が頬に掛かっていて、そっと耳にかければ幼く、愛嬌のある顔が現われる。
(―――至って普通の子、だよな)
別に何も持っていない、至って普通の女。
それなのになぜ、こんなに手に入れようと躍起になっているのか。
自分の腕の中で眠ったままの優妃を、じっと見つめてもそれは分からなかった。
膝の上で眠るのは、俺が探していたあの時の女の子。
一見従順そうなのに俺の予想の斜め上をいく、何を考えているのか分からない女。
手に入れたら…俺は満足するのだろうか?
あの時のように…血が通ったような温かい気持ちをもう一度味わうことが出来るのだろうか?
(分からない…―――)
――――彼女の睫毛が揺れ、瞼の開く予感がした。
「優妃?」
何度か呼び掛けて、ようやく意識を取り戻したのか優妃がゆっくりと目を開ける。
俺がホッと息をつくと、彼女は目を見開いた。
「―――…大丈夫?」
ゆっくりと身体を起こす彼女の背に、腕を回して補助をする。
「あっ、えっ?私…」
時間差で完全に目が覚めたのか、突然びくついてパニックになる優妃に、ついクスリと笑ってしまう。
(なんだろう、小動物みたいだな。)
「ごめん、俺…余裕なくて。まさか倒れちゃうと思わなくて」
なぜ笑われたのか分からないというような表情で俺を見る優妃に、出来るだけ優しく声をかける。
「優妃が可愛いからつい、」
―――…そう言えば、許されるだろうと思っていた。だが、彼女は余計に慌てふためいてしまい、それどころではなさそうだ。
「優妃?」
優妃は俺の膝から降りて、少し距離を空けて隣に座り直した。
ようやく少し、話せるまで落ち着いたらしい。
「あの…本気なんですか?」
彼女はうつ向いたまま、遠慮がちに言った。
「本気って、なんで?」
(バレたのだろうか…―――俺の不純な動機が。)
俺は内心どきりとしながら、微笑んだ。
「だって私のこと…何も知らないですよね?」
恐る恐る、といった感じで優妃が上目遣いに俺を見る。この子は大人しそうにみえて、芯のある子なのかもしれない。
(警戒されてるんだな…―ー―俺は)
試されている。自分への気持ちに偽りがないのか。
それなら大丈夫。俺は、いくらでも誤魔化せる。
都合よく騙すことには自信があった。
「君が優しい子だって知ってる」
優しい声で、優しく微笑む。そうすれば、女はいつだって騙される。
「でも…そうだな…。言うなら“一目惚れ”ってやつかもしれないな」
俺がそう言うと、優妃の背筋がピンと伸びた。
彼女の顔がどんどん赤く染まっていく…―――。
「だからこれから…俺のこと好きになってよ」
ねっ、と微笑みかければ、簡単に彼女は頷いた。
(結局、彼女も…他の女と同じか――――)
そんなふうに落胆しつつも、いまだにガチガチに緊張したままの優妃の姿が可笑しくて、彼女といたらこれから退屈しない日々が過ごせそうな気がした。




