【一琉視点】153
「なんでもない…」
(何を言うつもりだったんだ、僕は。)
―――早足で歩きながら、手で口元を押さえる。
僕の願望どおり、優妃は早馬朝斗と別れた。
優妃は“僕の隣に”帰ってきたんだ。
―――――これで良かったんだ。
もともと優妃は、ずっと僕のものだったんだから。
「一琉、ちょっと早いよ…!」
優妃が小走りで追いかけてきて、少し息を乱している。
優妃が「ありがとう」なんて言うからだろ。
僕に、なんの疑いもなく「感謝してる」なんて言うから…―――。
そう言いそうになるのを抑えて、代わりに僕は八つ当たりするようにボソリと呟く。
「どんくさ…」
「っ、ひどっ!」
優妃が頬を膨らませる。リスの頬袋でもあるのかこいつ。
僕の憎まれ口に、毎回面白いリアクションをしてくれる優妃。―――…好きだよ。好きなんだ。
(だから―――…)
「髪、乱れてるよ?あ、いつもか。」
そう言って髪をぐしゃっと撫でると、顔を赤くして怒る。
(――――悪いけど…あの日のことだけは、言いたくない。)
「もー、静電気で髪直らないよ…」
髪結ぼうかな…とブツブツ言っている優妃に、僕は静かに言った。
「―――ごめん…」
(――――でも、あれは僕のせいじゃない…)
「一琉が謝るなんて、やっぱり明日は雪だ!」
何も知らない優妃は、能天気にそう言って笑った。
優妃が笑うとホッとする。この笑顔を独り占めしたくなる。
(だから、僕が罪悪感なんて感じなくていいはずなんだ…)
僕だって本当はあの時、一度は諦めようとしたんだ。
早馬朝斗への、優妃の想いが本物だと思ったから。
そしてアイツも、優妃のことを本気で好きなのかと思ったから。
なのに、アイツが…あんなことぐらいで、優妃を手放したのだとしたら…―――。
「“許さない”…」
強い想いが、つい口をついて出た。
「え、そんな怒らないでよ!冗談なんだから、ね?」
勘違いしているのか、慌ててそんなふうに僕を見上げる優妃に思わず笑みがこぼれる。
(知らないままで、いてよ)
「どーしよっかなぁ…」
優妃にあわせて、わざと不機嫌そうにしながら優妃の頬っぺたを指でつまむ。
「いひぁい、ごめってば…っ!!」
(ずっと、このままで…――――)
僕の隣にいてくれるだけで、それだけでいいから。




