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「“何でもない”って…何ですか?」
朝斗さんが言ったその言葉は、翠ちゃんも私にたまに使う。
「何でもない」って。
「こっちのハナシ」って。
それは私が知ってはいけない“何か”で、
私はそれに触れてはいけないんだって思ってた。
だけど、朝斗さんが困った表情で微笑んで「何でもない」って言うのは…気持ちを隠されてるみたいで悲しくなる。
「私…なにか狡いことしたんですか?」
朝斗さんはついさっき、“優妃は狡いな”と言った。そしてそのあとに“何でもない”と。
「教えてください、私…朝斗さんのこともっと知りたいです。なんでも、話して欲しいです。だから」
ソファーに座る朝斗さんの足元に、私は正座した。
「――…っ!!」
朝斗さんが面食らったような顔をしてから、視線を逸らし、ため息をついた。
「大事にするからって言っただろ?」
「…はい」
私は真っ直ぐに、朝斗さんの顔を見上げていた。
“何でもない”ことを、真剣に受け止めるために。
「なのに、優妃はいつも可愛いことばかりして煽るから」
「あ、煽…っ?」
思いがけない言葉に、私は絶句した。
(私が?いつ、どの瞬間に…っ!?)
「抱きたいんだよ、本当はずっと」
「―――――ぇ?」
(今、何て?)
いや、聞こえた。間違いなく聞こえてきてた。
朝斗さんが私を“抱きたい”と、そう言ったのだ。
そう自覚した瞬間に、かぁぁぁっと顔に熱が集まって、たちまち茹でダコみたいに顔が赤くなるのが分かった。
「優妃が好きだから。だから早く自分のモノにしたいんだ」
「えと…、私…」
(どうしよう…、こんなとき何と答えたら…?)
グルグルと目の前が回り始めた私に、朝斗さんが苦笑する。
「大丈夫。もう無理強いはさせないって決めたから。…―――な?言ったら優妃、俺のこと警戒して、身構えるだろ?だから“何でもない”って言ったんだ」
「すみません…」
だから言いたくなかったと言われているようで、私はシュンとして俯く。
(確かに私、今“抱かれたい”と言われても心の準備も出来てないし、怖くてきっと拒否してしまう。だけど、)
「いや、分かってたことだし。気にしないで?そのくらい俺は優妃が好きだって分かってくれたらそれでいい―――…」
私は正座をやめて立ち上がると、ソファーに座る朝斗さんの唇にそっと自分の唇をもっていった。
「こ、これが…」
パッと素早く朝斗さんから身体を離して、自分の唇を手で押さえる。
(は、恥ずかしくて死ねるー―ーっ!)
そう発狂しそうなほど、心臓がうるさくて顔が熱い。
俯いて、私は朝斗さんに謝った。
「今は精一杯で…すみません、本当に…」
…私が出来る精一杯の愛情表現をしたつもりだった。なのに、…朝斗さんは何も言ってくれなかった。
「あの…」
(もしかして、嫌だった…?)
おずおずと顔を上げると…手で口許を隠していた朝斗さんの顔が真っ赤になっていた。
(…―ー照れ、て?る?)
照れている朝斗さんが愛おしくて、鼓動が高鳴る。
―――私は何度、この人に恋するんだろう。
朝斗さんと視線が絡み合った瞬間、腕を引かれた私は朝斗さんの膝に抱っこされるように乗ってしまった。
「朝…―――っっん」
頬に手を添えて、朝斗さんが強引に私の唇を塞ぐ。
「ん…っ」
何度も、何度も…お互いの気持ちを確かめ合って、伝え合うようなキスをしていて。
(気持ち…いい。もっとして欲しい…)
唇から…交わる吐息から…好きな気持ちが伝わってくる。
キスで、好きな気持ちを伝えることができるんだと、私はこの日、初めて実感した。




