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「で?」
(あぁ…怒ってる…)
顔を上げて朝斗さんを見なくても、声ですぐに分かる。―――…というか、怖くて顔を上げれないでいる。
「…謝るって?」
ソファーに座っていた私の前に朝斗さんが来ると飲み物を渡してくれた。
私はそれを、手元だけを見ながら「ありがとうございます」と受け取る。
「今日、私…朝斗さんから逃げてしまったこと…なんですけど…」
朝斗さんが私の隣に座った。距離が近くてドキッとする。
「うん」
「実は…朝斗さんにダメだと言われていたのに私…観に行ってしまって…」
お茶の入ったグラスに視線を落としたまま私は話し始めた。
「………うん」
朝斗さんは、思いの外、冷静な声だった。
「その…ちょうど…観てしまって…その…キスしてるところ」
思い出すだけで、嫌な感情が沸き上がってくる。
「―――それで?」
私がここまで言っても、朝斗さんはたいして驚いていなかった。あまりに冷静で…少し心配になった。
(朝斗さんにとっては…どうでもいいこと?私は…こんなに辛いのに…)
「私…ショックで…、朝斗さんもその相手の人にも苛立って…許せなくて…。朝斗さんに会ったらきっと嫉妬丸出しになっちゃうから見られたく、なくて…それで今日中になんとか心の整理をしたくて…」
話し出したら止まらなくなって、黒い気持ちが溢れ出してしまった。
(本当は、こんな気持ち…知られたくなかった)
だけど、それは私のエゴ。
「だけどそれが朝斗さんのこと傷付けてるってことに…今になって気づいて。」
本当にすみません、と私は頭を下げる。
許してもらえるのか分からない。
もうダメかもしれない。
最悪の事態を予想したら、涙腺が緩んでしまった。
「―――それで謝りに?」
朝斗さんの問いに、コクンと頷く。
(泣くな…っ。泣いちゃダメだ…っ)
自分にそう必死に言い聞かせたのに、涙が勝手にポロリと落ちた。
「何それ」
怒ったような朝斗さんがすぐ近くで聴こえた。
(あ…っ)
気づくと朝斗さんの腕の中にいて、私はぎゅっと抱き締められていた。
「何だよそれ」
朝斗さんのぬくもりを感じたら、また涙が溢れてきた。
「そんなこと言われたら、怒ってる俺が馬鹿みたいだ…」
拗ねたような朝斗さんの声が、くすぐったい。
「嫉妬…したの?」
抱き締めたまま、朝斗さんが言った。
「しました」
「あんなふりでも?」
「しますよ、だって朝斗さんの瞳には私だけ映してて欲しいですから!!」
独占欲丸出しに、私は全力で答えた。
「……そう」
優しい甘い声で、朝斗さんが言った。なぜか嬉しそうに。
「私、今きっとすごく意地悪な顔してます。汚ない気持ち駄々漏れで、すっごく不細工です。」
私は敢えて自白した。
こんな気持ちを持ってる私も、間違いなく“私”で。
朝斗さんに幻滅されたくないけど…。
怖いけど…でもそれでも向き合いたい。
『本音でぶつかれなかったら付き合ってる意味無いんだって』
朝斗さんが身体を少し離して、私の顔を覗き込む。
「見せて…優妃、大丈夫だから」
ぐすっと鼻をすすりながら、ゆっくり顔を上げると…優しく私を見下ろしている朝斗さんと目があった。
朝斗さんの指が、私の頬の涙をゆっくりと拭ってくれる。
「優妃の顔は、いつだって可愛いよ?どんな優妃だって俺は嫌いにはならないから」
そんな優しい言葉をかけてくれるとは思わなくて、私はまた泣けてきてしまった。
(大好き…)
「…泣くなって」
朝斗さんが困ったように笑う。
「だって…っ」
「俺が好きだから、泣いちゃうんだよな?」
「!!!」
今そこで、それを引き合いに出すなんてー――酷すぎます!
「違った?」
悪戯な顔で、朝斗さんがニコッと笑う。
『私が泣くのは…、朝斗さんが好きだからだよ』
『朝斗さんが好きじゃなかったら、こんな―――泣かない…』
確かにあの時…一琉にそう言ったのは私だけど…――ー。
(恥ずかしすぎる…っ。)
朝斗さんをキッと見上げて、私は涙目で睨む。
「意地悪…っ」
そう言ったら朝斗さんが、また私を抱き締めた。
そして耳元でそっと囁いた。
「どっちがだよ…」




