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九十個目

 マヘヴィンの指導が終わった次の日。

 俺は疲れから宿で熟睡していたのだが……。


「ボス! 起きてください! 朝ですわ!」

「……後一時間……いや、昼まででいいんで寝かせてください……」

「いつまで寝ぼけてるんですの! 私は今日が楽しみで、ほとんど寝ていませんわ!」

「……今日、仕事休みます。電話とってください。いえ、自分でとります……」


 俺は寝ながら手を伸ばし、携帯を探す。

 えーっと……、あった。

 会社の番号は……。


「ふきゅ! ふにゃ! ふにゅ!」


 携帯のボタン音変えたっけ……? 妙な音を出している。というか、ボタンが柔らかい。

 まぁいいか……。早く連絡して、せめて午後出社にしてもらおう。昨日まで頑張ったんだし、それくらいいいだろう。


「ボ、ボス! くすぐったいよ! オレのお腹を押さないでよ!」


 セトトルが何か言っているが、俺はとりあえず電話を耳元へ当てた。

 ……ダイヤル音がしない。もしかして、電池切れ? いつも充電しながら寝ているはずだが……?

 一体どういうことだろう? 不思議に思った俺が横目でちらりと電話を見ると、そこにいたのは笑っているセトトルだった。


「ボスくすぐったいよ! 寝ぼけてたらだめだよ! おはよう!」


 彼女は俺に掴まれたまま、満面の笑みを返してくれた。

 オーケー、とりあえず落ち着こう。正直混乱している。

 俺が電話だと思って掴んだのは、セトトルだったようだ。そして、なぜかノリノリのハーデトリさんが室内にいる。

 ……なるほど、落ち着いてもさっぱり分からない。

 よく分からないままセトトルを放すと、彼女はふわりと飛んで行った。

 とりあえずは、挨拶をしようかな。


「ごめんセトトル、そしておはよう。みなさんもおはようございます」

「朝早くからハーデトリが来てな。どうやら」

「おはようございます! 今日は私が王都を案内いたしますわ!」

「……と、言うことらしいぞ」


 ハーデトリさんは俺たちを案内するために、準備万端で宿へ来たらしい。

 ヴァーマさんの言葉はすごくテンションの高いハーデトリさんに遮られていたが、そういうことらしい。

 段々と目が覚めてきた。時間は7時……7時? ちょっと早すぎないだろうか?

 俺が起きたのが7時だとすると、ハーデトリさんは何時に起きたのだろう。

 そういえばさっき、ほとんど寝ていないとか言っていたような……。まるで遠足前の小学生のようだ。


 とはいえ、その気持ちはとてもありがたいものだ。

 自分たちを案内することをそんなに楽しみにしてくれる人なんて、早々いないだろう。

 俺も用意をしようとベッドから降りようとし……たが、動けなかった。お腹になにかが張り付いている。

 掛け布団を剥がすと、フーさんが俺のお腹にくっついていた。

 もしやと思い服の中を見ると、緑色の物体もすでに俺の上半身にへばりついている。

 うん、いつも通りで安心したよ。




 フーさんはセレネナルさんに隣の部屋へ連れて行かれ、戻って来たときにはシャキッとしていた。一体隣の部屋でなにが起きているのか、最近は少し不安になる。

 そして俺たちも準備を済ませたので、時間も早い今日は外で食事を済ませる算段となった。

 あれ? でも昨日、朝食を宿に頼んだ気がするんだけど……。


「宿で朝食を頼みましたよね? 外で食べるのは、昼からの方が良いんじゃないですか?」

「問題ありませんわ! 昨日の夜に、ちゃんと断りを入れておきましたの! さぁさぁ! 朝食を食べに参りましょう!」

「昨日の夜にハーデトリが来てね。ボスは寝ていたから知らないだろうけど、朝から出かけようという話になっていて、宿には連絡をしておいたんだよ」


 なるほどなるほど。セレネナルさんの説明を聞いてほっとした。

 朝いきなり、朝食いらねーから! というのは、さすがにあまりよろしくない。でも前日から断ってあったのなら問題もないだろう。

 では、朝食を食べに行きますかね。


 宿を出ると、とてもいい天気だった。

 あぁ……日差しが眩しい、体が重い、正直眠い。

 絶好の観光日和だが、俺は正直辛い。でも頑張らないといけない。家族サービスをするお父さんを見習うつもりで、俺は伸びをしつつ気合いを入れた。


 王都の道は石畳で綺麗に舗装をされていて、とても歩きやすい。

 町並みも木造りの家が多いアキの町とは違い、石造りの建物が結構目に入る。

 何よりも違うのは、遠くに見える城だろう。城のある町というのは、なにもかも全てが違って見える。

 道は全部城へ繋がっているかのように、錯覚するほどだ。


「では散歩がてら、歩いてお店へ向かいますわ! 馬車も良いですが、せっかく天気が良いのですからね!」


 ハーデトリさんは「おーっほっほっほ」と言いながら先頭を歩いて行く。

 うーん、若干不安だけど、彼女お勧めの朝食とは一体どんなものなのだろう。楽しみだ。



 ……なぜ、この展開を想像していなかったのだろう。

 そう……少し考えれば、分かったことだったはずなんだ。

 俺たちは、物凄く高級そうなお店の個室にいた。

 

「皆さん、楽にしてくださって結構ですわ!」

「は、はい……」


 天井には金色に輝くシャンデリア。

 床には赤いカーペット。机も白のテーブルカバーが掛けられており、端には綺麗なレースが入っている。

 この場違いな空間で、気を楽にしろと? そんな無理言わないでください……。

 

「お食事をお持ちいたしました」


 机の上へ綺麗に並べられているスプーンとフォーク。

 運ばれてきた白い陶器にはスープが入っており、目の前に音もなく置かれた。

 だが……誰も動かない。

 テーブルに置かれたパンにも手を伸ばさず、スープを飲むためにスプーンを持つわけでもなく、ぴたりとみんな止まっている。


 そんな中、ハーデトリさんだけが静かにスプーンを持ち、音もなくスープを飲んだ。

 全員でその光景を注視する。なるほど、あぁ飲めばいいのか。

 左手で器を軽く押さえ、右手でスプーンを持ち、器は持ちあげないで音もなく飲む。

 ……全然味が分からない。

 朝食ってこんなに大変なものだったっけ?


「皆さんお味はどうですの? 私、普段は家で食事は済ませますが……ボスがずっと外で王都の食事を楽しみたいと言っていたのを思い出し、店に予約を入れておきましたの!」

「ハーデトリさん、お気遣い頂きありがとうございます」


 俺はにっこりと笑顔で答えたが、心の中では汗をだらだら流していた。

 パンをスープにつけたら駄目だよね? いつの間にかサラダとかスクランブルエッグも出てきているけど、どうやって食べたらいいの?

 後、山盛りのフルーツはなんですか? 朝からこんなに食べるんですか?


 頭をフル回転させながら食事をしているが、もう何が正解で何が間違いかも分からない。

 そんな中、専用の小さい器に入れられたスープを飲もうとしているセトトルが目に入る。

 この雰囲気に呑まれているからか、セトトルだけでなく、みんな震える手でスープを飲んでいた。

 そんなときだった。チャリンと何かが落ちる音がする。

 俺が横を見ると、スプーンを落として固まっているフーさんの姿が目に入った。

 フーさんはすでに半泣きだった。大丈夫だよフーさん、俺も半泣きだ。


「代わりのスプーンを……」

「ズズズズズズズズ……にゅるん……ぷっ」


 ハーデトリさんが代わりのスプーンを頼もうとしたとき、豪快な音がして全員が注目する。

 その先にいたのは、キューンだった。キューンはスープを皿ごと飲んだ後に、皿だけ吐き出していた。

 キューンが吐き出したお皿は、洗い終わった後のようにピカピカだ。

 俺たちは無言で、キューンを見る。そんなキューンに、おずおずとセトトルが話しかけた。


「あ、あのねキューン?」

「キュ? キューン?(ん? どうかしたッスか?)」

「こういうお店は、マナーとかがあるんだよ。オレもだから気をつけて……」

「キューン、キューン(そんな人間のマナーとか、スライムに言われても困るッス)」


 すごい! この堂々とした態度! そして間違っていない言い分!

 でも、その言い分は通るのだろうか?


「ボス? キューンはなんと仰りましたの?」

「は、はい。えぇっと……」

「キュン、キューン?(これでみんな、少しは食べやすくなるんじゃないッスか?)」


 え? わざとやったってこと? そういえば、さっきまで音とかたてていなかったよね。

 なにこのイケメンスライムもどき……かっこいい。

 だが、キューンの言う通りだ。俺もキューンを見習おう。

 キューンだけに押し付けたりはしない! 俺はみんなのボスだ! 恥なら俺がかけばいい!


 俺はスープの入った皿を両手で持ち、ガーッと一気に飲み干した。


「うん、おいしいですね! すみません。俺もキューンもマナーとかよく分からないんです。どうか許してください、ハーデトリさん!」

「え? そんなことを気にしていましたの? そういうことも踏まえて、個室を借りたのですが……」


 俺は心臓をバクバクさせながらマナーを破ったのだが、ハーデトリさんはあっけらかんと答えていた。

 えーっと、つまり……?


「どう食べても構いませんわよ? 晩餐会でもありませんし、見ている人もおりませんもの。……はっ! もしかして、それで皆様少し固くなっておりましたの!? 申し訳ありませんわ、先に私が伝えておけば良かったですわ」


 俺たちは周囲を見渡し、目を合わせ……笑った。

 それを見たハーデトリさんは、なぜ笑っているのかが分からないといった顔だったが、まぁ気にすることはない。

 どうやらこちらが勝手に気負ってしまっていたらしい。

 その後、俺たちは楽しく朝食をとった。普通に話し、普通に食べ、普通に味を楽しんだ。

 とってもおいしかった!



 それでもみんな普段より丁寧に気をつけて、食事を食べていたのは面白かった。

 大丈夫だと分かっていても気をつけてしまったのは、雰囲気のせいかな……。

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