八十九個目
今日はエーオさんが、マヘヴィンの様子を見に来ると聞いている。
俺もこの二週間、精一杯彼を指導した。だが、本当に精一杯やったのだろうか? もっとできることがあったのじゃないだろうか?
指導というものに終わりはない。だが、どこかで見切りをつけ一人立ちをさせねばならない。
今日がその日になるかは、まだ分からない。だが、そうなってほしいとも思う。
そんな悩む時間すら許さぬように、倉庫の前で待っていた俺へ声がかけられた。
「こんにちはナガレさん。マヘヴィンの様子を見に来ました」
「お疲れ様ですエーオさん、ダリナさん。わざわざお越し頂きありがとうございます。マヘヴィンは中で作業中です。ご案内させて頂きます」
エーオさんと一緒にダリナさんも来ている。
二人に笑顔はなく、とても真剣な表情だ。マヘヴィンがどうなったかが心配なのだろう。俺も心配だ。
大丈夫かな? 大丈夫だよね? うん、大丈夫だ。信じよう! マヘヴィンも変わったんだ!
「倉庫がすごく綺麗になっていますね……。前にわたしが来たときは、中もぐしゃぐしゃだったのに……」
「ダリナさんの言う通りです。空気が澄んでいるように感じます」
おぉ、倉庫内の改善はうまくいっているようだ。
ちなみに、倉庫内のことにはあまり口を出していない。マヘヴィンの相談に乗りながら、率先してやってもらった。
彼の努力が実ったことは、我が子の成長のように嬉しい。
「あちらでマヘヴィンは作業をしています。どうぞ声をかけてやってください」
「はい……。その、大丈夫ですかね?」
「自分からはなんとも言えません。精一杯やりましたが、ご期待に添えられたかどうか……」
「いえ、どのような状態でもナガレさんに文句などはありません。では……」
エーオさんは緊張の面持ちで、マヘヴィンへと近づく。
俺とダリナさんは、その背中を黙って見守った。
「マヘ……」
「その荷物! ちゃんと重さを確認したのか! 軽いなら下じゃなくて上に積むんだ!」
「マヘヴィン……?」
「はい! すみません魔王! ……おじさん?」
ど、どうだろうか? 個人的にはマシになったと思うのだが……。
ドキドキする。自分のこと以上に、だ。こっちまで緊張してくる。
「……仕事、頑張っているようだな」
「おじさん……今までの自分は間違っていました」
「おぉ、マヘヴィン……」
「魔王の下で働くことを考えれば、管理人なんて大したことじゃないです! みなさんと協力しながら、精一杯やればいいだけですから! これからは頑張って、早く魔王から一人立ちをしたいと思います!」
「うんうん……」
「はっ! ダリナさん! 会いに来てくれたんですか!? ダリナさーん!」
「ひゃっ!」
俺はダリナさんを庇う様に前へ立つ。それに気づいたマヘヴィンは、俺の前でギリギリ止まる。
そして俺は目の前で止まっているマヘヴィンの顔を、がっちり右手で掴んだ!
俺のこの二週間の努力はなんだったんだ! 頑張っていると信じていたのに、早く俺から卒業するために仕事頑張るってどういうことだ! 後、女好き治しやがれ!
「ま、魔王痛いです……」
「うるさい! 仕事に戻れ!」
「はい!」
俺は一体この二週間、なにをやっていたのだろう……。少し泣きそうだ。
成長したと信じていたのに、マヘヴィンはなにも変わっていないじゃないか……。ただの女好きなままだよ!
そんな項垂れている俺の手を、エーオさんが握った。
だが俺は顔を上げることができない。すみませんエーオさん。力不足でした……。
「ナガレさん! ありがとうございます! まさかこんなにまともになるとは思っていませんでした!」
「え? いえ、あの……。まだまだ足りない部分ばかりです。倉庫の人と協力しつつ頑張ってはいますが……。後、女好きも治っていません。本当にすみません」
「なにを言っているんですか! これ以上の成果はありません! 女好き? 仕事さえしてくれていれば、大した問題ではありません! そのうち適当に怖い嫁でも見つけて、結婚させてしまえばいいだけではないですか!」
こわっ! エーオさんの考えの方が怖い!
確かにマヘヴィンには怖い嫁があっているだろうが、無理矢理結婚させようとしている気がする。
恐ろしい……。
でも……あれでいいのか?
確かに最初よりは動くようになった。分からないことも聞くようになっているし、他の人にも敬意をもって接している。
しかし、足りないところはたくさんある。本当にお礼を言われるような指導ができたのだろうか?
そんな悩んでいる俺の頭の上へ、セトトルが乗った。
セトトルが頭に乗るのは久しぶりな気がする。俺には、彼女がとても温かく感じた。
「ボス! お疲れ様! これで残り二週間はオレたち休暇だね!」
「セトトル……。マヘヴィン、あれで大丈夫かな?」
セトトルは大きな瞳を更に大きく開き、驚いた顔をした。
いつの間にか隣にいたフーさんも同じだ。むしろ、こいつ何を言っているんだ?という雰囲気すら感じる。
「ボス……考えすぎよぉ。それにこれ以上続けたら、ボスがもたないわぁ」
「え? 俺が? どういうこと?」
セレネナルさんが、なにかの空瓶を振っている。妙に見覚えのある瓶だ。
あれってもしかして……。
「胃薬の入っていた瓶だよ。この二週間で飲みきっていたことに、気づいていなかったのかい?」
「二週間毎日胃薬を飲んでいるなんていうのは、異常だ。まぁつまりやれることはやった。後は、ゆっくり休め」
二週間!? 毎日!? ヴァーマさんの言葉で、俺はその事実に初めて気づいた。
む、無意識に飲んでいたのか……。自分で気づいていなかったのに、ヴァーマさんたちは気付いていたようだ。
そうか……胃薬の効果で気づいていなかったが、それほど負担になっていたのか。それなら、しょうがないよね。
意識した瞬間、ガクッと力が抜けた。そうか、俺はもうマヘヴィンに指導をしないでいいんだ。
「確かに少し疲れた感じがします。今日までにして引き上げましょう。帰ったら少しゆっくり」
「ボス? あなた聞いていましたの? ドクターストップですわ。完璧主義もいい加減にしてくださいませ。今! すぐ! 私たちは引き上げるのですわ! ではエーオ本部長、ダリナさん。私たちは先に失礼させて頂きますわ」
「もちろんです。ゆっくり休んでください。本当に、本当に……ありがとうございました!」
「え? いえ、でもまだ指導もありますし、倉庫の皆さんに挨拶も……」
「キューン(挨拶だけッスよ)」
そんな、まさか……。とも思ったのだが、皆がそう言うのなら、そうなのかもしれない。
……うん、引き上げよう。だが、挨拶だけは意地でもする!
「皆さん! 二週間お疲れ様でした! 後はマヘヴィンと頑張ってください!」
「うおおおおおおおおおおおおおお! 魔王元気でなー!」
「また来いよー!」
「セトトルちゃーん!」
「スライムー!」
「フーちゃーん!」
「アニキー!」
「セレネナルさーん!」
「ハーデトリさんお疲れ様です」
俺たちは、大層派手に見送られた。
後はマヘヴィンと頑張ってくれるに違いない。
めでたしめでたし……。っと、思ったところで俺の腕が掴まれる。
振り向くと、そこにいたのはマヘヴィンだった。最後にお礼参りってやつだろうか? それとも仕事のこと……?
「魔王! ありがとうございました! これからも頑張ります! 魔王がまた指導に来られると、辛いですからね! ですが、最後に一つだけ教えてください!」
「うん、頑張ってね。きっと今の調子ならやれるはずだよ。俺も、もう指導には来たくないよ……。それで最後に聞きたいことって?」
「どうすれば魔王のように、女を侍らせられますか!?」
俺は無言のまま、全力でマヘヴィンの頬を引っ張った。
最後に聞きたいことがそれかよ!
後、誰が女を侍らせてるんだ! 俺はもてないし、ネットにしか友達がいないようなやつだぞ! ちくしょう!
その後、この真っ当ではない管理人の多い世界で、マヘヴィンは名管理人として名前が広まっていく。
だが、それはまた別の話である。




