八十八個目
休憩から戻ったマヘヴィンと合流し、少しだけ落ち着いた俺は笑顔で彼を迎えた。
「よし、ペースを落として、一つ一つの作業を丁寧に復習しながらやろう。分からないことは何度聞いてもいいから、自分で決めつけて作業だけはしないようにね?」
「いやー、今日はこのくらいでいいんじゃないですかね? 魔王もお疲れだと思いますし!」
この瞬間、俺の顔が先ほどまでと同じように、阿修羅のような顔になったことは言うまでもないことだった。
「マヘヴィン!」
「はい!」
「マヘヴィン」
「はい……」
「マヘヴィン?」
「……はい」
「……マヘヴィン?」
「ふぁい」
今日、一体何度マヘヴィンと言ったことだろう。それは俺にも分からない。
だが気づいたときには、外が夜になっていた。今日はこの辺にしておくか。
難しいことは頼んでいなかったのだが、今までなにもしていなかった彼には想像よりも辛かったのかもしれない。
少し厳しくしすぎたかな……。
「マヘヴィン」
「ふぁい……」
「今日はこの辺にしよう!」
「ふぁい…………」
ふらふらとしているマヘヴィンと片付けを済ませ、俺たちは宿へと戻った。
しかし俺は一つ用事があり、みんなを宿へ戻らせた後に商人組合の本部へと行く。
護衛であるヴァーマさんにも付き合ってもらい、申し訳ない気持ちだ。
商人組合の本部でエーオさんに頼みごとをし、宿へ俺たちが戻ると、食事を済ませた面々はすでに静かになっていた。
疲れたんだろうな……みんなお疲れさん! 頑張ったね!
静かに様子を伺うと、三人が同じベッドで眠っている。可愛い、癒される。
セトトルとフーさんがキューンを抱きしめて眠っている姿は、たまらないものがあった。
きっと子供を持った親とはこんな気持ちになるのだろう。明日も頑張ろうと思える。
「それではヴァーマさん、セレネナルさん、自分も休むことにします。おやすみなさい」
「おう、こっちもなんか妙に疲れた……。おやすみ」
「明日からはもう少しボスが怒らないで済むといいんだけどね。おやすみ」
むむ、怒り過ぎただろうか。確かに口調が強くなっていたかもしれない。
明日は、もう少し優しくしてやるかな……。
俺はそんなことを考えつつ、その日は眠りについた。
ちなみに三人が同じベッドで眠っているため、一人で広々とベッドを使って眠ることができる。
たまにはいいね!
次の日の朝、誰よりも早く目が覚める。
時計を見ると、時間はまだ5時。よし、これなら間に合うな。
俺はいつの間にか同じベッドで眠っているセトトルたちを起こさないよう、ベッドを抜け出す。
確認するまでもなく、キューンはすでに俺の体に張り付いていた。
こいつは一体いつ眠っているんだ? もしかしたら寝ているように見えて寝ていないのだろうか? 謎ばかりが深まるな、このスライムもどき。
まぁ今日は時間もないし、このまま連れて行こう。
決して、段々と慣れてきているわけではない!
用意を済ませた俺とキューン、そして寝ぼけているヴァーマさんと一緒に、馬車へ乗りこむ。
昨日エーオさんに頼んでおいて良かった。これで移動がスムーズに行く。
「で、ボス。こんな朝早くからどこへ行くんだ? ふわぁ……」
「行けば分かりますよ」
「キューン? キュン!(特別な朝食とかッスか? 楽しみッス!)」
俺はにっこりと笑顔で答える。それに対しヴァーマさんは、やはり欠伸で返していた。
キューンは嬉しそうに、どんな朝食かを考えているようだ。
残念ながら、朝食ではないんだけどね。
「着きました。こちらになります」
「ありがとうございます」
御者の人にお礼を言い、俺たちは馬車から降りる。
目の前には二階建ての一般的な家屋があった。一人で住んでいるのだとしたら、いいところに住んでいるな。
「で? ここがどうしたんだ?」
「自分の予想ではそろそろだと思うんですよね……。少し待ちましょう」
不思議そうな顔をしているヴァーマさんに、俺は先ほどと同じように笑顔で答えた。
時間は6時。いい時間に来たと思うんだが……。もしかしたら、疲れきって起きないかな?
と、思っていたときだった。目の前の家の入口が慌ただしく開かれる。
「……え?」
「おはようマヘヴィン。昨日はゆっくり眠れたかい? こんな朝早くから、そんなにたくさん荷物を持ってどこへ行くんだい?」
「な、なんでここにいるんですか……」
はっはっは。なんて愚問なことを聞くんだ。
昨日は、帰ってすぐに寝たことは簡単に想像できる。
そして目を覚ましたマヘヴィンがなにをするか? そんなことは決まっている。逃げ出すに決まっている。
本当は逃がしてしまっても良かった。逃げてしまえば指導は終わりだ。
だけどさ、俺は指導を頼まれているからね。できるだけ力になってあげなければいけない。
特に最初は辛い。泣きたくて辞めたくてしょうがなくなってしまう。
マヘヴィンは他の人以上に甘えてきたため、余計その感情が強いだろう。だからこそ、俺は今日迎えにきた。
俺はマヘヴィンへ近づき、動けなくなっている彼から荷物を受け取り、家の中へ降ろした。重いなこれ。よく持てたな。
「あ、あの……」
「さぁ、仕事の時間だ! 少し早いけど、たまにはこういうのもいいんじゃないかな? 行こうか!」
俺は絶望した顔をしているマヘヴィンを、馬車へ押し込んだ。
頑張るんだ、マヘヴィン……。日々を乗り越えていければ、すぐに慣れてくるさ!
「なぁキューン、マヘヴィンはなんとかなるのか?」
「キュンキューン(僕は駄目だと思うッス)」
全く話が通じていないはずの二人は、なぜか話が通じるかのような素振りをしていた。
どうにもならない人なんていない。きっとなんとかなる! そのために俺だって頑張っているんだから……。
いや、本当に駄目だと思ったら諦めることも考えているけどね。
その日も指導。次の日も指導。毎日指導!
俺はできるだけマヘヴィンが自分で考えられるよう、指導を続ける。
「マヘヴィン。荷物を投げて積むのは、どう思う?」
「はい! お客様の目線に立てていません! 自分の物が投げられていたら、悲しくなります! 壊れてしまったりしたときも、問題が大きいです! 改善しようと思います!」
「マヘヴィン。常に余裕を持てるよう、仕事を組み立てよう。倉庫業務は、いきなり忙しくなることが多いからね」
「はい! 後でいいことも、出来るだけ早目に終わらせます! 時間が空いたら休憩をとらせるなり、掃除をするなりすればいいですからね!」
「マヘヴィン」
「はい! こちらは終わりました! 書類の確認と、荷物の整理に入ります!」
この数日で、マヘヴィンはすごく成長している気がする。
ある日から妙に聞き分けが良くなったが、人はそんな風にいきなり変わるものなのかもしれない。
……だが、どうしても悩んでしまう。
本当に大丈夫だろうか? 指導方法が間違っているんじゃないだろうか?
指導をしているのが自分な以上、誰も答えは教えてくれない。
「マヘヴィン、次はどうするんだい」
「はい! 掃除も手分けして行っておりますが、外の掃除にまで手が回っていません! お客様が最初に見る場所でもあるので、そこに着手しようかと思います!」
「うん、それがいいと思うよ」
「はい! すぐに取り掛かります!」
俺からすると、マヘヴィンは当然のことをやっているだけだ。
もちろん当然のことができるというのは、一番大事なことだろう。
しかし、当然のことができるというのは、管理人として十分なのだろうか?
今までも指導をしたことはあったが、それはあくまで自分の部下としての形が近かった。
だがマヘヴィンの目標は、管理人だ。
自分の実力もまだまだだと思っているのに、マヘヴィンの実力をどこまで伸ばせばいいのかが、さっぱり分からない。
正直、時間も足りていない。足りない時間で、出来る限りのことを教えていくしかない。
でもマヘヴィンも、周囲の人と相談しながら仕事をするようになっている。
なるべく俺に聞かず、相談をするよう言ったのが良かった。俺がいなくても、この形で成長してくれるはずだ。
一人ではなく、人の意見を聞いて考える。その成長がなによりも嬉しい。
でも……どうしても不安に感じてしまう。大丈夫かな?
……そして、あっという間に二週間が過ぎた。
明日でマヘヴィンの話は終わります。
連休中に終わると区切りがいいな、と思っておりました。
火曜からは、ほのぼのと王族やらオーガス家の話をやりたいと思います。