八十七個目
マヘヴィンとの挨拶回りも終わったし、次の仕事へ移ることにしよう。
ヴァーマさんは護衛として、俺の近くにずっといる。たまに俺と目が合うと、一瞬で目を逸らす。忙しそうだと思って、邪魔をしないようにしてくれていることが分かる。
そんな風に周囲へ気を遣わせているのに、マヘヴィンはおずおずと俺へ休憩を申し出た。
「あ、あの魔王? そろそろ昼食の休憩とかを……」
「次は掃除だ。全部、隈なく掃除するぞ」
俺の言葉に一瞬止まったが、マヘヴィンは食ってかかってきた。
まだまだ元気一杯でなによりだと思う。
「食事はとった方がいいですよね!? 昼食を食べてから掃除を頑張ります! それでいいじゃないですか!」
「はぁ……。いいか、マヘヴィン」
「な、なんですか? 自分は間違っていませんよ?」
「俺は東倉庫で働き始めて! 二日間! 飯を食わないで! 働いたことがある!」
マヘヴィンの愕然とした顔は、とても気分がいいものだった。
でも言っていて悲しくなる。あのときのことは本当に思い出したくない。この世界に来て辛かったことTOP3に入ることだ。
「まずは掃除用具を持って来るんだ!」
「わ、分かりました。ちょっとそこの人たち、掃除用具を」
「自分で取りに行くんだよ!」
「はい!」
こいつは掃除用具も自分で取りに行かないつもりか。率先して動くということを知らないのか……。
だがマヘヴィンは、少し進んでぴたりと止まった。一体どうしたのだろうか?
俺が疑問に思っていると、こちらへ振り向き困った顔をして聞いてきた。
「掃除用具……どこにあるんですかね?」
ぶっ飛ばすぞ。
俺はマヘヴィンと二人で倉庫の掃除を始める。掃除用具はなんとか見つけ出して持ってきた。バケツに水が入っていなかったので、すぐに水を入れに行かせたけどね!
やはり指導する以上、一緒にやることは大事だろう。だが、決して自分ばかりがやってはいけない。あくまで主として動くのはマヘヴィンだ。
マヘヴィンは先ほど命を救われたからか、聞き分け良く掃除をしている。
ぶつぶつと文句は言っているが、一応許容範囲だろう。
こういうタイプを見ていると、元の世界で指導をしたおっさんを思い出す。
入ったばかりなのに、自分は仕事ができると勘違いをしており、周りを見下している困った人だった。
だが大きなミスをしたときに庇ってからは、急に言うことを聞くようになったのだ。
そしてそれからは、言うことを聞いてくれるようになった。マヘヴィンも同じタイプなことがよく分かる。
「魔王、段々汚れが落ちないで黒くなってきました」
「汚れたままで拭いているからだろ。綺麗にして拭き直すんだ」
「ですが、水も真っ黒ですし……」
「水 を 変 え ろ」
「はい!」
テキパキとはいかないが、頑張っていることが分かる。
まさか、掃除の仕方から教えることになるとは思わなかったけどね……。
「あ、あのボス……」
「ん? セトトルとフーさん? どうしたの?」
「はい! 荷物の整理をしようと思うんだけど、どうしたらいいかな!」
「じゃあ、セトトルはまず崩れそうな荷物を気をつけて降ろしてくれるかな? フーさんは預かり書を見て、同じ荷物でまとめてくれるかい? 手が空いている人を探して、協力してやってくれるかい」
「はい! 分かったわぁ!」
妙に二人の返事がいい。やる気が出ているのだろうか?
若干顔が強張っている気もするが……。まぁいいかな? っと、そうだ。マヘヴィンにも言っておかないといけないな。
「マヘヴィン。今、言っていたことを聞いていたね?」
「え? なんですか?」
「荷物の整理の仕方を話していただろ! そこの掃除が終わったら、次はセトトルとフーさんの手伝いに行くんだよ! マヘヴィンがみんなに指示を出せるようにならないといけないんだから、ちゃんと覚えておかないと駄目だろ!」
「はい! すみません!」
「セトトルを見習って、メモも取っておくように!」
「はい!」
マヘヴィンは慌ててポケットからメモ帳を出していた。
おぉ、ちゃんと持ち歩いているのか。やる気はあるんじゃないか。これなら、もうちょっと優しくしてやっても……って、メモ帳に書いてあるのは女の子のことばかりじゃないか!
なんだこの、薬屋のお姉さん可愛いとか、ハーデトリさんの胸元がたまらんとか! そうじゃないだろ!
「ボス? 頼まれていたボスとマヘヴィンの食事を買ってきたんだけど」
「セレネナルさん、ありがとうございます」
「食事!? 休憩ですか!? やったー!」
セレネナルさんから食事の入った紙袋を、浮かれた状態で受け取ろうとするマヘヴィンの腕を俺は掴んだ。
マヘヴィンは掴まれた瞬間、びくっとする。こいつは本当に……。
「マヘヴィン……」
「は、はい……」
「セレネナルさんは忙しいのに、俺たちの食事を買ってきてくれたんだぞ! まずはお礼だろ!」
「すみません! セレネナルさんありがとうございます! えへへ……」
なぜこいつは頭を下げながら笑っているんだ?
……よく見たら、セレネナルさんの足を舐めるように見ている。あぁもう、どうしようもないやつだな!
「マヘヴィン! 見るなとは言わないが、もうちょっと気を遣え! せめてバレないように見る努力をしろ! せめてバレていてもだ!」
「は、はい! すみませんでした!」
「……そんなことまで、ボスが指導しないといけないんだね」
「すみませんセレネナルさん……。よし! マヘヴィン! 一時間休憩していいぞ! 休憩が終わったら、セトトルたちの手伝いだ! 今は二時だから三時までに戻ってこいよ!」
「はい!」
マヘヴィンは逃げるように立ち去ろうとし……たので、捕まえた。
「え? え? あの、休憩ですよね?」
「管理人が勝手に休憩に行ってどうする! なにかあったとき、他の人が困るだろ! 休憩に行くなら、ちゃんとみんなに聞こえるように伝えてから行く! 分かったか!?」
「はい! 休憩させて頂きます!」
そしてマヘヴィンは今度こそ、逃げるように立ち去った。これで俺も一息つけるな。
そう思いつつセレネナルさんをちらりと見ると、やれやれと言った顔で俺を見ている。
「……食事ありがとうございました。自分も少し休憩させてもらいますね」
「ボス、女好きはたぶん治らないと思うよ?」
「まぁ、最低限の礼儀と言いますか。一応言っておきたいと思いましたので」
「気を遣わせて悪いね。お疲れさま」
俺はセレネナルさんにぺこりと頭を下げ、休憩へ行くことを皆に聞こえるように伝えた。
休憩も終わり、俺は少し早く戻ってきていた。
とはいえ倉庫の外に出て、買ってきてもらった食事を食べていただけなんだけどね。
……うんうん。セトトルたちは手が空いている人たちと、崩れそうだった荷物を直している。安全第一だよね。
「セトトルちゃん! これはどこに持っていきますか!」
「それは、こっちのと一緒にしておいて! オレは上の方のを降ろすから、フーさんに聞いてまとめてね!」
「了解しました!」
なんだあの……なんだ? セトトルやフーさんに命じられながら、みんな嬉しそうに仕事をしている。
というか、この倉庫はとても暗い雰囲気で殺伐としていたんだが、今はすごく和やかに仕事をしている。
これが妖精とシルフの効果なのだろうか……。
ちなみにキューンは触らせろコールがひどくて、すぐに俺の体へとまたへばりついていた。
キューンにも苦手なものがあったんだね。
みんな友好的に接してくれていることが分かる。……だがなぜ、みんな俺と目を合わさないようにしているのだろう?
倉庫の人は、初対面だから分かる。
でも、セトトルたちも俺と目を合わさないんだよね。不思議だ。
後、たまに聞こえる「怖い」「鬼だ」「悪魔だ」「魔王だ」という声はなんなのだろう。
もしかして、怖がられているのだろうか? わけが分からないよ……。




