八十一個目
俺たちはエーオさんとマヘヴィンさんを残し、部屋を後にした。
明日から忙しくなる! 俺のやる気は十分だ!
「ボス、私も明日からご一緒してもよろしくて?」
「どうぞお好きになさってください。ですが、エーオ本部長の許可はとってくださいね」
「もちろんですわ。ボスの指導、私も興味がありますわ!」
俺の頭の中は、すでに明日からどうやって鍛え直してやろうかという考えしかなかった。
ハーデトリさんが付いてくることなど、ほとんど興味がない。げっへっへ、面白くなってきたぞ。
と、俺が思っていたところに、本部長室に案内をしてくれたお姉さんが来た。例のトカゲっぽいお姉さんだ。
改めて見ると、この人は綺麗というか可愛らしいというか、ハーデトリさんとは違った意味での美人さんだ。
黒髪ポニーテールで、優しそうな目。尻尾の先についている赤いリボンがとても可愛らしい。
恐らく商人組合の制服なのだと思うのだが、黒を基調としたその制服が、真面目そうな彼女にとても合っている。
「ナガレ様、お帰りですか?」
「はい、お茶ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
俺が笑顔でそう答えると、彼女はなぜかずずいっと俺へ近づいてきた。
なにか俺に用事があるのだろうか? 本部の人だし、必要書類とか?
「先ほどの話、申し訳ありませんが聞こえてしまいました」
「え……。その、少し自分も熱くなっておりました。できれば忘れて頂けますか?」
「むしろ言って下さっているのを聞いて、すっきりしました。いつも女性職員に声をかけておりましたので、わたしたち職員一同も困っておりました」
「それは大変でしたね……。いえ、ですがそれでも少し大人げなかったかと思います」
だが彼女は俺を見て笑っていた。釣られて俺も笑顔になってしまう。
廊下にまで聞こえていたとか、恥ずかしい。
「ナガレ様、私の名前はダリナと申します。ではこれで失礼しますね」
「あ、はい。ダリナさん、お仕事頑張ってください」
「ありがとうございます」
彼女はなぜか「キャー」とか言いながら走り去って行った。わけがわからない。
そんなことよりも、今はハーデトリさんが問題だ。
彼女は両腕を組み、歯ぎしりをしている。しかも何かぶつぶつと言っていた。怖い。
「……これは早く手を打たないといけませんわね。やはり、家でお父様に」
声が小さすぎて聞こえないが、今の彼女に声をかけることもためらわれる。
困ってヴァーマさんを見ると、なぜか気の毒そうな顔をしていた。
「ボス、そろそろやばいことになりそうだな」
「やばいこと、ですか?」
「早く気付かないと、もっとやばいことになるぞ」
さっぱり分からないが、俺はやばいことになっているらしい。
だが、まぁ大丈夫だろう。こっちの世界に来てからやばくなかったことなんてない。
オークの件に比べれば、恐れることなんてない。倉庫だって潰れて建て直している俺に、恐れることなどあるわけがない!
「ボス、一度オーガス家にも顔を出して頂けますか? お父様もぜひ一度お会いしたいと仰っておりました」
「分かりました。前向きに検討をしておきます」
「今晩はいかがでしょうか?」
「……ま、前向きに検討をしておきます」
「それはよろしいということですわね?」
ハーデトリさんの目が、なにかやばい。
はっ! ヴァーマさんの言っていたやばいことというのは、これのことだろうか?
早く気付けと言っていたのは、オーガス家に挨拶をしないと、怒っているかもしれないということだったのだろう。
貴族の立場というものもあるのだろうし、ここはしょうがない……。
気合いを入れて一度謝りに行くか!
「マヘヴィンさんのことが一段落したらということで、お願いできますかね……?」
「分かりましたわ。確かに今日や明日では急ですものね。落ち着いてからということで」
気合は入れたが、俺はばっちりへたれていた。
いやだって、ハーデトリさんの鬼気迫る感じがちょっと怖いんだもん。しょうがないじゃん。
少し時間を置いて、落ち着いてからってことで……ね?
そして俺たちは、三人で宿へと戻って来た。
部屋の中へ入ると……誰もいないよね。うん、知っていたよ。
とりあえず俺はベッドに座り、ヴァーマさんは椅子に腰かけた。いやはや、明日からマヘヴィンさんをどうしてくれよう。考えるだけで楽しい。
「それでボス、他の方はどこに行かれたのですの? 特にセトトルちゃんとキューンちゃんとフーちゃんに会いたいですわ!」
「皆は王都を見学していると思います。いつ戻るのかは分かりません」
なぜ付いてきているのだろう。とは思っていたが、やはり狙いはあの三人だったか。
ハーデトリさんは三人がいないことを知り、明らかにしょんぼりしていた。縦ロールが伸びているので分かる。
……いや、だからなんであの縦ロール伸びたの? おかしいよね? もしかしてあれ、尻尾なの? とてつもなく不思議だ。
俺がハーデトリさんの縦ロールを観察していると、ヴァーマさんが話しかけてくる。
「ところでボス、良かったのか?」
「なにがですか?」
「いや、指導の話を受けるって言ってただろ?」
「言いましたね! 叩き直してやろうと思っています!」
ヴァーマさんは、少しだけ渋い顔をして考え込んでいる。
なにか気になることでもあったのだろうか? 俺と彼の仲なのだ、遠慮せずに言ってもらいたい。
だが、彼も同じ考えだったようですぐにまた話を続けてきた。
「今さら言うのもなんだが、はっきり言うぞ?」
「はい、どうぞ気を遣わずに言ってください」
「あんな面倒そうなのに関わらないで、さっさと戻ってくれば良かったんじゃないのか? わざわざ指導をしてやる必要があるのか?」
「なにを言っているんですか! あのふざけたやつの根性を叩き……直す? 俺が?」
待て。確かにヴァーマさんの言う通りだ。少し冷静になってみれば分かる。
なぜ俺がマヘヴィンさんの根性を叩き直す必要があるのだろう。
確かに彼の態度は失礼極まりなかったが、それは謝罪をしてもらえば良かっただけじゃないのか?
……もしかして、自分から厄介ごとに首をつっこんだ?
よく考えたら指導とか言ったが、時間は足りるのか? 一ヶ月近くはどうしても必要になるのではないだろうか?
一ヶ月といったら、俺の休暇とイコールじゃないか。え、待って待って。つまりこれって……。
「お、俺の……休暇が、消える?」
「だよな。最初はその辺を危惧して断っていただろ? いや、倉庫を立て直すわけじゃないから、本人への指導だけなら大丈夫なのかと思ったんだが……違うのか?」
「人を一人育てるのは、とても時間のかかることでして……」
「ボス? なにか顔色がマヘヴィンさんと同じくらい青くなっていっていますが、大丈夫ですの?」
俺はきょろきょろと、ヴァーマさんとハーデトリさんを順番に見た。
二人もどう答えたらいいか分からないといった顔をしている。
意を決して、俺は二人に言った。
「い、今から断れますかね?」
「無理だろ……」
「無理ですわね……」
なんてことだ。怒りに身を任せて、余計なことをしてしまった。
後悔先に立たずとは、このことだろう。
この鬱憤は全てマヘヴィンさんにぶつけよう。俺は自分の決断であることも無視し、固くそう決めた。