八十個目
ハーデトリさんは食い入るように俺を見ている。
胸元が大きく開いたドレスなので、離れてください! 俺は目を逸らすので精一杯ですよ!
「ボス! なぜこちらを見ないのですか!」
「いえ、そのようなつもりは……」
「あの」
俺とハーデトリさんの会話に割り込んだのは、まさかのマヘヴィンさんだった。
個人的にはエーオさんに止めてほしかったのだがしょうがない。
「お美しいお嬢さん。お名前を教えて頂けますか? 自分は商人組合本部長の甥! マヘヴィンと言います!」
ん? なにかおかしくないか? なぜ立場を強調したのだろう。
……まぁいいか。自己紹介って大事だよね。
だがハーデトリさんは、ちらりとマヘヴィンさんを見た後、鼻で笑った。
「青白い顔だと思ったら、メイクですの? あなたに興味はないので、私に話しかけないでくださいますか」
「え? メイク?」
「はい。実はマヘヴィンには、その……サボり癖と逃げ癖がありまして……。青白いメイクをしているのも、同情を引くためです」
エーオさんの言葉を聞き、俺は呆れるよりもすごいと思ってしまった。
そこまでやってでも仕事をしたくない! その気持ちは分かる。少し憧れる!
でも、それで俺に仕事を押し付けようとしていたってことかな? それは頂けないだろう。
ちなみにそのマヘヴィンさんはというと、鼻の下を伸ばしてハーデトリさんの胸元をガン見している。こいつ駄目だ。
「あれ? ですが、胃薬を買う常連だと聞きました」
「そんなことまで知っていらっしゃるのですか。それもあの店のお嬢さんにちょっかいをかけるためといいますか……。本当はしっかり学んで立派な管理人になってもらいたいのですが、余計な事ばかりに目を向けております」
「大変ですね……」
本当にそう思う。エーオさんも大変だ。
というかだね。マヘヴィンさんの話をしているのに、彼はハーデトリさんに夢中になっている。
ハーデトリさんはまるで相手にしていないが、ずっと胸を見て話す相手は面白くないだろう。
それにはエーオさんも気づいていたらしく、当然のように注意が飛んだ。
「マヘヴィン! お前のためにナガレさんも来てくださっているのだぞ! ご迷惑をおかけして悪いと思わないのか! それにハーデトリ様のどこを見ているのだ!」
「えっへっへ……すみません、おじさん」
「別に構いませんわ。見られるのも貴族の仕事みたいなもの。私が魅力的な証拠ですわ!」
ハーデトリさんの言葉に、俺は衝撃を受けた。
ま じ で ! ?
見ていいんですか? いや、彼の様に堂々と見るのは勇気がいるが、見てもいいと言われたら俺だって見たい。そりゃ男だもの。
許しが出たせいか、俺はちらちらとハーデトリさんの胸元を見てしまう。むっつりだと言われてもしょうがないが、許してほしい。
「それよりもボス! 話はまだ途中ですわ! 当家に……」
ハーデトリさんは話の途中で、バッと横を向いた。
そして左手で胸元を隠しつつ、右手で縦ロールの髪をいじっている。どうしたのだろう。
若干だが、顔も赤い気がする。
「その、ボス……。そんなに見られるのは、恥ずかしいですわ」
なんで!? さっき格好良く、見られるのも貴族の仕事みたいなものだって言っていたじゃないですか!
全然気にしてない風だったのに、なぜ俺だけ……。
「と、とりあえずですわね! 私は王都に早くきて、ボスが到着するのを心待ちにしていましたのよ? ですのに、人づてで連絡をされると言うのは」
「俺は見ちゃいけないんですか!?」
「……え?」
「…………自分は、ハーデトリさんがオーガス家の方だと知りませんでした。一報頂いていればまた違ったのですが、知らなかった以上どうしてもエーオさんを頼らざるえませんでした。申し訳ありません」
「え? いえ、あの……今、なにか……」
「そうですね。ですがハーデトリさんがいらっしゃったのに、失礼だったとは自分も思います。何かお詫びをさせて頂きたいと思います。なにかご希望などはありますか?」
俺はかなりの早口でハーデトリさんに告げた。
決して慌てていたからではない。まずい本音がポロッと出たからでもない。それだけは断じて違う! そこは、はっきりとさせておこう。
「そ、そうですわね。先ほどのは気のせいですわね……。それに、私にも非がありましたわ。確かに、手紙でも送ればよろしかったですわ。驚かせようとして、気が回っておりませんでしたの」
「そう言って頂けると助かります」
ふぅ、なんとかハーデトリさんのご機嫌取りには成功したようだ。
後の問題は、マヘヴィンさんだけか。
「おじさん、ハーデトリさんとナガレさんはどのような関係なんですか?」
「ん? ハーデトリさんはアキの町で西倉庫の管理人をなさってるんだ」
「なら、ハーデトリさんに指導をお願いすればいいじゃないですか! それなら自分も頑張れるよ! あ、ナガレさんわざわざすみませんでした。どうぞお帰りください」
「おい! お前なんだその態度は! ボスはわざわざ」
俺はヴァーマさんの前へ手を出し、彼を静止した。
ふ……ふふっ。ふふふふっ。
いや、なんだこれ。魔王呼びは気に食わなかったし、指導をする気もなかった。だが、美人なお姉さんが見つかったら用無し?
しかも帰れ? はっはっはっは……。
「エーオさん。昨日話していらっしゃった指導の話ですが、ちょっとよろしいですか?」
「本当に申し訳ない! ここまで馬鹿だとは思っておりませんでした。こちらでしっかり叱っておきます。もちろん、ハーデトリ様に指導をお願いするつもりも」
「受けます。指導します」
「……今、なんと?」
「いえ、ナガレさん。自分はハーデトリさんに……えっへっへ」
俺は眼鏡を押し上げ、足を組み、その上で手を組んだ。
はっきり言って怒っている。この非常識なクソガキにだ。
「ただし、指導をするのは倉庫にではありません」
「倉庫にではない? では、なんの指導を?」
にっこりと笑い、俺はエーオさんに告げた。
「マヘヴィンさんの指導です。まず常識から教えたいかと思います」
「そ、それはありがたい話です。ぜひお願いしたいところですが……よろしいのですか?」
「ナガレさん、話を聞いていましたか? 自分はナガレさんに指導をしてもらうつもりは」
「すみませんが、マヘヴィンさんの話は聞いておりません。後、ハーデトリさんから目を離してください。俺は休暇中なのに、マヘヴィンさんのせいでここに来ているんですよ? なのに、話は聞かない。倉庫は押し付けようとする。女にデレデレしている。さすがに許せるものではありません。今、自分がやらなければいけないことも分かっていないのですか?」
「え……あの……」
俺は笑顔のまま話していた。いや、自分では笑顔を作っているつもりだった。
しかし、エーオさんの顔が真顔になり、ハーデトリさんは震え、隣のヴァーマさんが冷や汗を掻いている。
俺は笑顔なのに、みんなどうしたのだろう? はっはっはっは。
「倉庫の立て直しをするのはあなたです。俺は一切手伝いません。ですが、マヘヴィンさんの腐った根性だけは叩き直して差し上げます。分かりましたか?」
「あ、あの」
「返事!」
「はい!」
エーオさんたちはなぜか拍手をし、マヘヴィンさんは震え上がっていた。
こいつはもう絶対に許さん。早急に叩き直して、俺は休暇に戻る。そう決めた!
「エーオさん、それでは明日からマヘヴィンさんの指導をします。よろしいでしょうか?」
「はい! ぜひよろしくお願いいたします! なにかありましたら、すぐにご連絡ください。……マヘヴィン、私はお前を甘やかしすぎていた。今、決めたよ。これで駄目だったら、管理人を辞めさせる」
「辞めていいんですか!?」
「あぁ、構わない。ただし、二度と王都に入れると思うんじゃないぞ?」
「え……」
マヘヴィンさんは、今度こそ本当に青ざめていた。メイクでもなんでもなく、本当に真っ青というか真っ白だ。
王都から追い出されるということが、どれだけ大変なことかは俺には分からない。
だが彼の様子を見るに、大変なことなのだろう。
俺はこのとき、明日からが楽しみだとすら思っていた。
だがそれは怒りのせいでしかなく、冷静な判断ができていなかったことに、まるで気づいていなかった……。
怒りに流されることもあります。
人間ですから。