七十八個目
体の中のスライムもどきが、俺の胃の辺りを優しく撫でつけている。
えぇい、やめろ。別に今は胃が痛いわけじゃない!
セトトルも俺の頭を撫でないでくれ! フーさん! 撫でているそこは、胃じゃなくて背中だから!
「なんでこんな空気になってるのかは分からにゃいけど、とりあえず酔い止めから用意するにゃ!」
「すみません。よろしくお願いします。……そうだ。外に体調が悪そうな人がいらっしゃったのですが」
「にゃ? もしかして……青白い顔をした人にゃ?」
「はい、そうです。ご存知ですか?」
お姉さんは額に手を当てて「またか……」という顔をしている。
心当たりがあるのかな?
「その人は大丈夫にゃ。気にしないでほしいにゃ!」
「え? ですが……」
「後で一応様子を見に行くから、心配しないでいいにゃ」
お姉さんはそれだけ言うと近くの棚に向かい、いくつかの小瓶を持ってカウンターへと戻ってくる。
どうやら、本当に放っておくようだ。いいのだろうか?
おっと、薬を一つ一つ俺に説明してくれるようだ。こっちに集中しよう。
「ということにゃ。これは眠くなるにゃ。だから、こっちの方がお勧めにゃ」
「なるほど。薬はどのくらいの期間持ちますか?」
「にゃにゃ? 数時間から一日といったところにゃ」
「あぁいえ、そうではなくてですね。使わない状態で、どのくらい保管しておけるかと思いまして」
「にゃにゃ……」
お姉さんは薬の小瓶を見て、難しそうな顔をしている。もしかしたら保管期間などはないのかもしれない。
とりあえず少し多目に買っておけばいいかな?
「では、一瓶で何日分くらいでしょうか?」
「二週間くらいにゃ」
「なら、とりあえず二瓶頂けますか?」
「了解にゃ! 次は胃薬にゃ」
だから胃薬と聞いた瞬間に、セトトルたちは俺を可哀想な子を見るような目で見るのはやめてください。
お姉さんは尻尾をフリフリしながら、またいくつかの瓶を手にとりカウンターへと戻ってきた。
お姉さんだけが俺に優しさと薬をくれるよ……。
「そういえば管理人さん、私の名前忘れてるにゃ? さっきから意図的に避けているにゃ」
「ソンナコトハアリマセンヨ?」
「いや、別に一回しか会ってにゃいのだから、気にしないでもいいと思うにゃ……。改めて名乗っておくにゃ。私の名前は」
「キュン(レーネさんッス)」
「レーネさんですよね? 女性の名前を気安く呼ぶのもどうかと思い、少しためらっていただけです」
「レー……ちゃんと覚えていたにゃ! それに気遣いまでしてもらっていたにゃんて、ありがとうにゃ」
レーネさんは嬉しそうに笑っていた。
俺は乗り切ったぞ! セーフ!
小声で、俺はキューンにもお礼を伝える。
「ありがとうキューン」
「キューン!(このくらいお任せッスよ!)」
キューンの触手が他の人に見えないように気をつけつつ撫でた後、レーネさんの話に俺は集中した。
今度は胃薬の説明をしてくれるようだ。
「周りの反応を見るに、食べ過ぎとかじゃないにゃ? ならストレ……こっちの胃薬がいいと思うにゃ!」
「は、はい。食べ過ぎではないですね。ではそちらの別用途の胃薬がいいですね」
「にゃにゃ……にゃら、値段を考えてもこれがいいと思うにゃ。これはアキの町では買えない当店特別製にゃ!」
「ふむふむ。ならこれをもらおうかな……ん? アキの町では買えない……」
「いや、こっちの薬の方がいいですよ。値段は少し高くなりますが、すぐに効果が出ます」
「確かにそれもいいにゃ。即効性を求めるならそっちにゃ」
「む、なるほど。確かに効果がすぐ出るのはいいですね……え?」
今、何か思いつきそうだったのだが、知らない声で思考が止まった。
一体誰の声だ?
俺が振り向くとそこには……青白い顔で、痩せ細った……幽霊!?
「ぎゃ」
「「きゃあああああああああああ!!」」
先にセトトルとフーさんが叫んでいた。
え、なにこれどうしよう。
「動くな! お前が店に入ったときから見ていたが、最初からボスが狙いだったのか!」
「ボスたちは私の後ろに隠れるんだよ!」
俺がなにか行動する前に、ヴァーマさんがすぐに幽霊を取り押さえていた。
セレネナルさんは俺たちの壁になるよう、前へと立っている。え? え?
事態が分からない俺は、辺りをきょろきょろと見る。だが見ていてもなにも変わらない。
そうだ、こういうときは一つずつ順々に解決していこう。まずはえーっと……そうだ。
「ぎゃー」
……違う。タイミングを外したからって、今叫んでどうするんだ。
ぎゃーとか、にゃーとか。今日はなぜこんなことばっかり言っているんだ。テンパりすぎだろ。
そもそも幽霊が取り押さえられるわけがない。つまり、この人は人間だ。
まずはヴァーマさんを止めよう。護衛として仕事をしてくれたのは分かるが、少しやり過ぎだ。
「ヴァーマさん、待ってくだ」
「ちょ、ちょっと待つにゃ!」
また割り込まれたよ。今日俺、こんなことばかりだ。
いや、うん。いいんだけどね……。
「その人はうちの常連さんにゃ! 確かに物凄く怪しいにゃ! 二人のときは身の危険を感じるにゃ! 私の太ももをいっつもにやにや見ているけど、悪い人じゃないと思うにゃ? たぶん大丈夫にゃ? だから離してあげてほしいにゃ?」
なんか、割とギリギリな説得だった。
アウトかセーフかでいったら、かなりギリギリセーフなラインだ。
だが、それを聞きヴァーマさんはその人を離した。
しかし警戒はしたままで、ナイフに手をかけたままなことが俺の位置からは見える。まぁナイフくらいならいいだろう。
「ボス? ヴァーマさんがナイフに手をかけてるわぁ。止めたほうがいいんじゃないかしらぁ……」
「ナイフくらいなら、まぁいいんじゃないかな」
「え? ナイフよぉ?」
ナイフってまずいっけ? あれ? なにか俺の中の根本的なものがずれている気がする。
確かにナイフは危ないものだ。でもそんなに危ないと感じない。別に首元に斧をぶっ刺されたわけじゃないし、いいじゃないか。
……はっ! ナイフはいけないだろ! そうだよ! オークの一件のせいで変な慣れが生じている。
ナイフいけない! 斧もっといけない!
「ヴァーマさん、ナイフから手を離してください。その人、動けないでいます」
「……分かった」
ピリピリとはしたままだが、ヴァーマさんはナイフから手を離し、俺たちの近くへと寄った。
護衛とはいえ、ピリピリしすぎではないだろうか?
俺は腰を抜かしたのか、動けないままの人へ近づいた。
「すみません、大丈夫ですか? なにか誤解があったようでして……」
「妖精……マッチョなシルフ……スライムは、いない……」
なにこの人、怖い。俺、固まっちゃったよ。
やはり衛兵とかを呼ぶべきではないだろうか? 俺が悩みつつ、店員のレーネさんを見る。
レーネさんはおろおろとしている。尻尾がへにゃっとしていて可愛い。
「間違いない」
「間違いない、ですか?」
「『倉庫の魔王』ですね!?」
「いえ、人違いです」
俺は即座に否定した。
なんだその訳の分からない通り名みたいなものは。そんな不名誉な通り名は断じて否定させてもらおう。
「いえ、間違いありません! 助けてください!」
「人違いです。助けがほしいのでしたら、他の人のところへ行ったほうがいいです」
「じ、自分はこの町で倉庫の管理人をしています! あなたが指導に来てくださると聞いて待っていたのです! どうか、あの倉庫の管理人になってください!」
「人違いです。物凄く人違いです。絶対に人違いです。そういうことは商人組合にご相談ください」
どんどん厄介な情報が開示されていく。
しかもこの人、俺の話をまるで聞いていない。後、指導と管理人では違いすぎる。
「にゃ? 管理人さんはアキの町で東倉庫の管理人さんにゃ?」
「やっぱり! お願いします! 話だけでも聞いてください!」
ちょっとレーネさん余計なことを言わないでください! せっかく違うと言っていたのに、バレちゃったじゃないですか!
俺はとてつもなく嫌な気分でその男を見ていたのだが、頭の上のセトトルが俺の頭をポンッと叩いた。
「ボス、困ってるみたいだし話だけでも聞いてあげようよ……」
「……はい」
そして俺は、この今にも死にそうな男の話を聞くことになってしまった……。
聞くだけだけどね! 聞くだけ! セトトルに言われたから、ちょっとだけ聞いてあげるだけだからね!




