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七十七個目

 本当は外で食べても良かったのだが、朝食は宿で済ませることにした。

 どうやら事前に食事がいるかいらないかを、伝えておかなければ用意されてしまうらしい。お金もかからないし、悪くはない。

 でも昼は外で食べようと俺たちは話し合って決めた。


 そして部屋に戻って、町を見学しようと出かける用意をしていたのだが……。

 俺は、キューンと部屋の中で激戦を繰り広げていた。


「さぁキューン! 諦めてこの袋に入るんだ! 人気がないところを見つけたら、出してあげるから! ね?」

「キュン! キューン! キューン!(嫌ッス! もう袋は飽きたッス! 絶対入らないッス!)」


 逃げるキューンが動くたびに、部屋の床が綺麗になっていく。

 恐らく無意識に掃除をしているのだろう。なんてやつだ。誉めてやりたい職業意識だ。

 だが、今は誉めるどころではない。


「見られたらまずいだろ! 気持ちは分かる! でも一緒に出かけたいから、我慢しよう?」

「キュ……。キューン。キュンキューン……(ぐっ……。確かに一緒に出かけたいッス。見られたらまずいのも分かるッス……)」

「うんうん、そうだろ? だから、ね?」


 よし、もう一息だ。

 ちなみにヴァーマさんは椅子に腰かけて、俺たちのやりとりを見て笑っている。この野郎!

 でもキューンも諦めてくれたはずだ。そろそろ諦めて袋に入ってくれるはず……!


「……キュン(……仕方ないッス)」

「ごめんね! 本当にごめん! そしてありがとう!」


 俺はこのとき、勝ったとすら思っていた。

 うまくキューンを丸めこんだ、と。だがそれは間違っていた。


「キューン。キューンキュン(奥の手の一つを使うッス。王都に来ると決めたときから考えていたッス)」

「は? な? え? 奥の手?」


 そう言ったキューンの目が――いや、目はないのだけれども――光った気がした。

 そしてキューンは俺に向かって飛びあがり……風呂敷の様に広がった。


「え……ちょ、待っぎゃああああああああ」




 扉を開き、俺とキューンとヴァーマさんは部屋から出る。

 すでに廊下で待ちくたびれていた三人は、やっとかという顔をしていた。

 そして手慣れた感じで俺の肩に乗ったセトトルが、俺へ聞いてくる。


「あれ? ボス? キューンがいないよ?」

「キューン!(姐さんここッス!)」

「え? キューンの声が近くで……」


 感触で分かる。俺の襟元から触手状の何かが出ていることが。

 恐らくセトトルの真横に出ているであろうそれは、今ごろセトトルとご対面しているに違いない。


「……キューン?」

「キュン! キュンキューン!(そうッス! ちょっとボスの服の中に隠れることにしたッス!)」


 その異様な光景に、事情を知らないフーさんとセレネナルさんは固まり、すでに知っていたヴァーマさんは爆笑する。

 そしてセトトルはというとだ……。


「キューンすごーい! これなら袋じゃないから、外も見れるね!」

「キュン!(やったッス!)」


 あっさり受け入れていた。

 俺としては、その触手の先に目があるのかどうかを聞きたい。なぜそれで周囲が見えているのだろう。

 とりあえず言えることは、だ。俺の体がキューンに汚されてしまったということだ。……上半身だけだけどね!


 俺は服の中、上半身にぴっちりとスライムもどきが張り付いたままで出かけることになった。なんとなくウェットスーツを思い出すぴっちり感が上半身を包んでいるのだが、不快感はない。

 むしろ温度調節でもしてくれているのか、ちょっと気持ちいいのが悔しい……。




「アキの町とは比べものにならないくらい、人がたくさんいるよ! オレ、迷子になったらどうしよう……」

「セトトルは」

「キューンキューン!(姐さんはボスの頭の上にいるから大丈夫ッスよ!)」

「……」

「私もボスに捕まってるから大丈夫ねぇ。そういえばどこに行くのぉ?」

「時間は」

「キュン、キューン!(時間はあるし、ゆっくり見て回りたいッスね!)」

「……」


 お、俺の台詞が悉くキューンに潰されている。

 これは一体どういうことだ? 嫌がらせか? 嫌がらせなのか?

 いや、キューンがそんなことをするわけがない。そう、たまたまタイミングが悪かっただけだ。うん、そうだよ。大切な仲間を疑ったらいけないよね!


「ねぇねぇ! ボスとキューンはどこか行きたいところとかあるの?」

「そうだね。俺は」

「キューン! キューンキュン!(僕はどこでもいいッスよ! 歩いてるだけでも楽しいッス)」


 ……。

 俺は無言で、襟元から触手のようなものを出しているキューンを引っ張った。


「キュン! キュ、キューン。キュンキューン!(ボス痛いッス! あ、本当は痛くないッス。でもなんとなく痛いッス!)」

「俺は薬屋に行きたいな」

「キューンキューン!?(その前に引っ張るのやめないッスか!?)」


 俺はキューンを無視し、会話を続けた。

 ふっ、俺だって休みくらいみんなと和やかな会話を楽しみたいんだ。

 ……でも、もしかしたらキューンも楽しくてテンションが上がってしまっているのかな?

 普段はあまりこういうタイプではない。むむ……。

 少し反省した俺は、キューンの触手を離した。


「ごめんキューン。バレたら大変だなと思って、服の中に仕舞おうとしたんだよ」

「キュンキューン!? キュン、キュンキューン……。キュン! キューンキューン!(めっちゃ引っ張ってたッスよ!? いや、でもボスがそういうならそうなんすかね……。了解ッス! もうちょっと気を付けるッス!)」


 キューンは俺を責めることもなく、すぐに反省していた。

 な、なんだこの謎の罪悪感は……。妙な嫉妬をして本当にごめんよ。


「ボス、ならあそこに薬屋があるみたいだよ。ちょうど良かったね。それにしても薬屋だなんて、どこか悪くしたのかい?」

「本当ですか? 時間はかからないので、少し寄ってもいいですかね? 後、体調は問題ありません。酔い止めとかを買いたいと思いまして」

「あぁ、ボスの馬車酔いはひどいからな……。まぁでも休みなんだから、そんなに気を遣ってんなよ。ほら、行こうぜ」


 うぅ、この優しい空間。すごくいい。ちょっと泣きそう。

 いつもこうだったらいいのにな……。


 そして俺たちが薬屋に入ろうとしたときだった。

 店と店との間。細い路地でなにか声が聞こえる。


「もう絶対無理です。絶対無理です。無理無理無理無理。逃げようかな? そうだ、逃げよう。あぁでも逃げられない。逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい」


 ……俺はなんの反応もせず、薬屋の扉に手をかけた。

 だが、セトトルが俺の髪を少し引っ張ってくる。


「ボ、ボス? なにかその……」

「……」


 俺はセトトルにも答えず、無言で扉を開く。

 あれは関わったら駄目なやつだ。全ての人間を救うことはできないんだよ。悲しいね。


「キュ、キュン。キューン?(ボ、ボス。あの人こっちを見てるッスよ?)」

「見ちゃいけません。さぁ、薬屋に入ろう」

「で、でも……いいのかしらぁ? 具合が悪いのかもしれないわよぉ?」


 俺はフーさんの背中を押し、店の中へと入った。

 横目で少しだけ見たが、あれは明らかに病んでいた。手に負えないのは分かり切っている。お店の中へ入り、店員さんに話しておくのが一番だ。


「いらっしゃいにゃー」

「あの、すみません……にゃー?」

「にゃにゃ?」

「にゃにゃ」

「にゃー!」

「にゃー!」


 なんだこの会話は。釣られてつい、にゃーにゃー言ってしまった。

 というか、このお姉さん見たことある。


「アキの町の管理人さんにゃ! あ、もしかしてわざわざ会いに来てくれたにゃ?」

「いえいえ、王都には休暇で来たんです。薬屋に用事があったので寄ったら……」


 この人、名前なんだっけ? えーっと……。赤い髪の猫みたいな人。エプロンにも猫の刺繍があしらってあり可愛い。

 土砂降りの日に、荷物を預けに来たことは覚えている。

 でも、名前が思い出せない。……だが、慌てることはない。大人にはこういうときにうまくやる処世術がある。

 そう、それは……名前を言わずに誤魔化すのだ!


「王都でお店をやってらしたんですね。あの日は雨の中、お疲れ様でした」

「そうにゃ! あのときは薬を他の町に届けて、日用品を買って帰るところだったにゃ!」

「オレも覚えてるよ! お姉さんお久しぶりにゃ!」

「私も覚えているわぁ。雨の中大変そうだったにゃ」


 二人とも語尾に「にゃ」をつけるのは可愛いが、つけなくても話は通じると思うよ。

 でも可愛いからこのままにしておこう。うん、可愛いは正義だ。


「それで何をお探しにゃ? なんでも言ってほしいにゃ!」

「ボス、なんのお薬が欲しいにゃ? オレも探してあげるにゃ」

「胃薬と酔い止め」


 ……静かになるのはやめてください。後、可哀想な人を見る目で俺を見るのもやめてください!

 胃薬はともかく、酔い止めは別に可哀想じゃないよね!?

しまった。

七章だったら、七章の七十七個目だった……!


いつも読んで頂きありがとうございます!

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