七十個目
時間は夜。
町が視界に入り、俺たちは荷猪車から降りる。
だが動き出すのはもう少し後だ。その理由は単純明快なもの。
「うぼぇ……」
俺が酔っているからだ。サスペンションとか入れてもらえませんかね……?
時間が経ち、車酔い?も大分落ち着いたのだが、色々な意味で気持ちが悪い。
体中も青臭いし泥臭いし最悪だ。全身青緑色だし、服は腰みのだけで寒いし……。
本当はすぐにでも交渉へ赴かなければならないが、俺が死に掛けているため、少し落ち着いてから動き出すことになった。
「ボス大丈夫か?」
「なんか、匂いがひどくて」
「あぁ、確かにボスから植物みたいな匂いと泥臭い匂いがするね」
この青臭い中に混じってる泥の匂いがひどい。
あんなにべたべたと塗るから、こんなひどい匂いがするんだよ! 泥が湿っていて、風が冷たいしさ……。
「ブヒィ?(準備はいいか?)」
「よくないですけど、もういいです……」
「ブヒ、ブヒブヒィ。ブヒィ(よし、準備は万端だ。手筈通り行うぞ)」
もう誰も俺の話を聞いてくれないことにも慣れてきた。
とりあえずこちらの要求をもう一度おさらいしておこう。
薬がほしい。
すごくシンプルだ。そして無茶でもある。
言っていることは、俺たち困っているから薬をよこせ。そうしたら襲わないでやる。こうでしかない。
こんなのは交渉じゃないと断言しよう。
……でもこれをなんとかしないと、戦いが始まったり、俺たちの命がなくなったり、もう阿鼻叫喚の世界になってしまうかもしれない。
つらいです……。
場所は東門から少し離れた場所。気付かれないように、あえて離れた位置からゆっくりとここまで近づいた。
その場にいるのは俺とオークの長、そして縛られているヴァーマさんとセレネナルさん、その二人を見張っているオーク数人。
はぁ……もうここまできたらやるしかない。
俺は意を決し、大声で町に向かって叫んだ。
「わ、私はオークの代表としてきた! 人間と話し合いの場を持ちたい!」
ちなみに俺の声は事前に変な薬を飲まされ、ガラガラにされている。夜だということもあるし、これなら俺だとは誰も気付かないだろう。
……少し待ったのだが、町側からの反応は無かった。もしかして聞こえなかったのだろうか?
「ボス、そんな小さい声じゃ聞こえてねぇだろ。東門の門番たちがこっちを気にして動いているが、声が届いてねぇぞ。……仕方ねぇな」
ヴァーマさんはそう言うと、大きく息を吸う。
そして……周囲に響き渡るほどの大声と共に吐き出した。
「俺は冒険者のヴァーマだ! オークに捕らえられた! オークは人間との交渉を望んでいる! 町長! 冒険者組合の会長! 商人組合の会長! この三名との話し合いを望んでいる!」
み、耳がキーンとなっている。
ヴァーマさんの声、町全体に届いているんじゃないだろうか。
実際、効果は目に見えて明らかだった。門番たちが慌てて動いているのが見える。彼らの後ろでも動いている人影が見える。
恐らく他にも人がいて、オークの姿を見つけて警戒していたのだろう。
町には明かりがどんどん灯り、ざわついている様子がこちらにまで分かるくらいだ。
果たして、うまく交渉の場が設けられるのだろうか……。
設けられるわけがなかった。
冒険者たちが東門の前へ大量に出てきて、俺たちをすぐにでも迎撃できる態勢をとっている。
どうやらここで俺の人生は終わってしまうらしい……。と思ったのだが、冒険者たちの中から四人の人影が進み出てくる。
一人は小太りな男性。もう一人は黒髪でごつい女性。そして小さい女の子と、珍しく真剣な顔をした老紳士。
小太りな男性は四人の中から一歩前に出ると、全員の紹介を始めた。
「私がアキの町の町長です。そしてこちらが冒険者組合のサイエラ。商人組合のアグドラとカーマシルになります」
俺は予定通りにことが進んでいることにほっとした。
だが、ここでオークの長から背中をつつかれた。
俺が振り向くと、彼は小声で俺に話しかけてくる。
「ナゼ、ヨニンイル。サンニンイッタ」
「カーマシルさんは商人組合の副会長です。恐らく補佐として来たのでしょう。会長のアグドラさんといつも二人で行動していますから」
「ニンゲン、ヤクソクヤブッタ」
「話をスムーズに進ませるためにも、彼がいた方がいいです。一応こちらからも言いますので、許してもらえませんか?」
俺がそう言うと、オークの長は渋々とと下がってくれた。
一人増えていれば警戒してもしょうがないか……。
「我々、望んだの三人。なぜ、四人いる」
俺が人間の言葉を喋ったのを見て、相手は驚いた顔をした。
そりゃそうですよね、オークだと思っていますもんね。でも全然驚くことないんですよ……。
「これは失礼をいたしました。私は商人組合で副会長をしております、カーマシルと言います。商人組合では基本、会長と私の二人で交渉に応じます。先に説明をしなかったのはこちらの落ち度でしょう。ですが、何卒ご容赦のほどを」
「……これ以上、増えることはないな」
「はい、お約束します」
副会長はお詫びの意味も兼ねてか、深々とこちらに頭を下げた。これでオークの長も納得してくれるだろうか?
俺が再度彼を見ると、彼も仕方がないと頷いてくれた。
一触即発の状況に、俺はドキドキする。
爆発しそうな胸を押さえ、俺は話を続けた。
「オーク、薬を望む。人間と、争うつもりはない。要求、飲んでほしい」
「薬……ですか」
「ほう? オーク族は危機に瀕しているわけか。なのに、上から目線とは大したものだ」
町長はしばし考えていたが、すぐにサイエラさんが割り込んできた。
割り込まないでください、お願いですから要求飲んでください。後ろからひしひしとオークたちの視線を感じるんです。
「……我々、最初は人間に頼んだ。だが、人間は物資だけ盗り、逃げた。信用するの、難しい」
俺の言葉に、サイエラさんは鼻で笑って返した。
胃が痛い、本当挑発的な態度やめましょう? 平和的解決を俺は望みますよ?
仲間に見えているかもしれませんが、あの斧は俺の首も狙ってるんですよ……。
「今までお前たちオークがどれだけ人間を襲った! 何度となく荷馬車を襲ったはずだ! なのに困ったら、人間に盗られたと文句を言うか! そんな都合良く物事が通ると思うのか!」
「え……」
サイエラさんの言葉を聞き、俺はオークの長を見た。
彼は俺から目を逸らしていた。聞いてないんですけど……? どういうことですかね?
俺が困っていても、サイエラさんは止まらない。捲くし立てるように彼女は言葉を続けた。
「薬が欲しい? 物資を盗られた? 信用できると思うか! ならまずはお前たちが、今まで盗った物資を返せ! できるか? ……できないだろうな! どうなんだ、答えろ!」
サイエラさんには責め立てられ、後ろのオークたちはなんとかしろと俺の背をつつく。
ヴァーマさんとセレネナルさんを見ると、二人もどうすんだこれといった顔。
困った俺は助けを探した。
町長は、じっとこちらの動きを観察している。
アグドラさんも、腕を組みこちらの言葉を待っている。
副会長だけが、首を傾げていた。……首を傾げている?
俺はもう一度副会長をじっと見た。彼も俺をじっと見ている。あれ、これってもしかして……。
副会長は、人差し指でなにか文字を描いている。
ナ……ガ……レ……逆文字で描いてくれたので、すごく読みやすかった。
いや、そうじゃない。バレた!
「オマエ、ナニシテル」
「いえいえ、なんでもないです。大丈夫です、俺に任せてください!」
「……失礼いたしました。どうぞ話を続けてください」
副会長は俺の言葉に呼応するように、深々と頭を下げた。
だが、オークの長はそれを良しとしなかった。
「オマエ、アヤシイ。サガレ」
「待ってください。……待ってください」
やばい、何も思いつかない。
どうしよう。でも副会長が俺に気付いているのなら、ここでいなくなられるのは困る。
俺の頭はフル回転だった。なんとか少しでも優位な点を残したい。
いや、オークたちも斧をヴァーマさんたちの首元に向けるなよ。
なんなの? 俺に任せるんじゃなかったの? 冗談でやってるつもりか? 俺の胃は限界だぞ? 血を吐ける自信があるくらいだ。
もう……なんていうか……。
俺が限界をきたしていたとき、オークの長がオークたちを止めた。
「シンジル。オーク、ヤクソクマモル」
目が語っている。
お前に任せる、と。だが任せるどころじゃなかった。
「オークノメイウン、タクス」
丸投げだった。
フォローはしてくれたが、基本頼りにはならない。
この状況を打開する方法、それが俺には……あるわけがない。
そんな都合のいいものがあれば、なにも困らない。つまり、話しながらできることをやるだけだ。
ならばしょうがない。用意していた切り札を切ろう。
いや、他に切り札なんてないんだけどね。
俺はまず、後ろのオークたちに命じることにした。
「人質、解放する」
その言葉にオークは殺気立った。だがオークの長が頷いたため、逆らうことができずに二人の縄をオークたちは解く。
ヴァーマさんとセレネナルさんが解放され、二人は正面にいる四人の方へと移動し、合流する。。
俺はあえて二人を人質のままにしていた。
目の前で解放することにより、誠意を伝える! 伝えられる! ……といいなぁ。
「人質、解放した。敵意、ない」
俺はたどたどしく、自分的にオークっぽく話す。
仮面の中では精一杯の笑顔を作り、俺は敵意がないことを示そうともした。
人質を利用すると当然思っていたのだろう、相手はどう対応するか悩んでいるようだった。
しかし、アグドラさんは違った。
「……もう一人いたはずだ。彼も解放してもらいたい」
「もう一人、オークの病人、助けてる。意思、尊重した」
「なんと……ナガレさんは、オークまで助けようと……」
明らかに状況は一変した。このままうまくことが進めば……。
だが、オークの長が小声で俺に言う。
冒険者らしきものに、囲まれている、と。
挑発しないために少人数できたのに、やはりこうなってしまった。
なにかのきっかけがあれば、人質がいない以上すぐにでも襲ってくるだろう。
俺にできることは……話し続けることだけだろう。
ただ必死に、胃を押さえながら、相手を納得させるだけだ!