六十一個目
俺の頭の中は真っ白だった。
言い訳すら浮かばない。今三人の仲間からは距離をとられ、なぜかいた三人の女性陣からは蔑まれるような目で見られている。
これがネットでの出来事なら「ぐふふ、ありがとうございます! ご褒美でふ!」とでも言ってやっただろう。
だが現実に言えるわけがない。現実とは非常である。
この静寂に包まれた空間で、俺はただ怯えることしかできない。
そんな怯える俺にかけられた言葉は、予想外に温かな言葉だった。
「ボス……疲れてたのね。うん、その、見なかったことにするから」
「そうでしたのね……。大丈夫ですわ。私もなにも見ていませんわ!」
「い、いや二人とも。よく考えればボスだぞ? なにか事情があるのではないか……?」
「だから、仕事の疲れじゃない?」
「休みが少なすぎたのではなくって?」
「事情を聞く気はなさそうじゃな……」
いつの間にか蔑むような目ではなく、菩薩のような顔に二人は変わっていた。事情を聞こうとするアグドラさんの話など全く聞いていない。そして温かい目を向けながら、俺へとゆっくり近づいてきた。
じわじわと詰まる距離。……なんだこれ。今まで経験したことがない恐怖が、背筋を走っている。
このままじゃなにかまずい!
「待ってください!」
俺の言葉に、二人がピタリと止まる。
このまま捕まったらどうなってしまうのか想像がつかない。言い訳も浮かばないので、一度時間を稼ぎたい。となると、あれしかないだろう。
「すみません、ちょっとトイレに行ってきます」
二人だけでなく、周囲の人も「トイレか……それならしょうがない」といった雰囲気になった。よし、いいぞ。
俺はその雰囲気の中、ゆっくりと、堂々と、店を出た。
そして少し店から離れたら……走った!
走って走って走って……。俺は町の細い路地へと入る。
そして壁に背をつけ、折れるように座り込んだ。ここならそう簡単には見つからないだろう。
はぁ……、どうやって言い訳をしよう。店から逃げたこともすぐ気づかれるだろうし、悩んでいる時間はない。一つ一つ考えて、使えそうな案を探そう。
女性物の下着をプレゼントするんです! →死亡
女性物の下着を着る趣味があります! →死亡
女性物の下着が好きなんです! →死亡
言い間違えました!→ならなんで逃げたの?→死亡
あれ? 結構詰んでいないかこれ?
どう考えても、東倉庫の管理人さんは変態だと言われてしまう。
大体、俺は悪くないだろ? 悪いのはノイジーウッドだ。そう、俺は悪くない。悪いとしたら、平然と女性物下着を買おうとしてしまったことだけだ。
……うん、俺が完全に悪い。迂闊過ぎるし、逃げ出したことも完全に失敗だ。
こういうとき一番効果的なのは……やはり、正直に言うことだ。ミスを隠そうとしたら、後々もっと厄介なことになる。ここは戻って正直に言おう。
そう思い立った俺が、細い路地から出ようとしたときだった。後ろから急に声をかけられたのだ。
「ボス! 見つけた!」
「ひぃ! 違うんです! あれは俺が使うけど俺が使う訳じゃないんです! ……セトトル?」
「なにを訳の分からないことを言っているの! フーさんが大変なんだよ!」
「え? フーさんはどこにいるんだ!」
「中央広場だよ!」
「行こう!」
俺はセトトルを頭に乗せ、慌てて路地を飛び出した。
一体なにがあったのかは分からないが、セトトルの指示通り中央広場へと走る。
そして中央広場へと戻ってくると、人だかりを見つけた。セトトルもそこを指差しているのを確認し、人だかりの中へと俺は割って入った。
「すみません、通してください」
なぜこんなに人が集まっているのか分からないが、ぎゅうぎゅうと潰されながらも、なんとか人だかりを抜ける。
その中では、フーさんが蹲って泣いていた。この短時間で一体なにがあったのだろう?
なにがあったのかは分からない。そもそもこれは離れた俺の責任だろう。
今日はすごくやらかしている気がする。休みで浮かれていたのに、短時間でこんなに色々起きてしまった。迂闊なことさえ言わなければ……。
いや、自分を責めるのは後だ。今はフーさんをここから連れ出さないといけない。
「フーさん、大丈夫かい? なにがあったの? 立てるかい?」
「フーさんオレもいるよ! 大丈夫だよ!」
フーさんは俺とセトトルの声に気付き、顔を隠したまま俺へとしがみついた。よっぽど怖かったのだろうか、少し震えている。
周囲の人がなにかしたのだろうか? そう思い周囲の人を見てみたのだが「良かった良かった」と、迷子の子供の親が来たときのような顔をしながら言っていた。
うぅん、まるで事情が分からない……。
俺が悩んでいると、足元に柔らかいなにかが当たった。なんだ? ってキューン?
「キューン、キュンキューンキューン(フーさんが泣いているのは、ボスを追いかけて行ってここで動けなくなったからッス)」
「……え?」
「キューン、キューンキュン(周囲の方々は、フーさんを心配してくれていたッス)」
「……」
キューンの言葉を聞き、俺はようやく事情を理解した。
完全に俺のせいだったようだ。もう散々である。散々であるが、まずは心配してくれたという周囲の人にお礼を言おう。
俺は生暖かい目で俺たちを見ている周囲の人へ頭を下げた。
「すみません! そしてありがとうございました! うちの子を心配して集まって頂きありがとうございます!」
「いやいや、東倉庫の管理人さんは妖精やスライムを無理矢理働かせる怖い人だって聞いたけど、親馬鹿だったとはねぇ」
「血相を変えて走って来たものねぇ。本当に良かったわ」
「おいセナル、ボスが晒し者になって頭を下げてるぞ」
「面白いからもうちょっと見ていこうじゃないか」
周囲は穏やかで、なんかいいもん見たなぁといった感じに見られている。
親馬鹿とか言われると、少し恥ずかしい。でもこの町の人たちは本当にいい人ばかりだ。それがとても嬉しい。
俺はその後もただひたすら、お礼も込めて頭を下げ続けた。
少し経ち、広場は落ち着きだした。
俺はそれを確認し、周囲の人に頭を下げながら三人と東倉庫へと戻った。フーさんは囲まれているせいで落ち着かず、俺にしがみついたままだったので、そのまま運んだ。
最後まで、なんかこうにやにやとだったり、穏やかな顔をされて見られたりしていたが結果的には良かっただろう。
家に戻り、俺はカウンターの椅子へとフーさんを座らせる。
「フーさん大丈夫?」
『大丈夫です。ボスがきてくれると分かっていました。でも怖かったです』
「う、うん。ごめんね……」
「オレたちもごめんねフーさん……」
「いや! みんなは悪くないよ! 俺が勝手に離れちゃったから……」
俺たちがお互い悪かった悪かったと頭を下げていると、キィ……と扉が開く音がする。
そこに立っていたのは、二人の姫だった。顔は見えないが、さっきよりは冷静な気がする。冷静なはずだ。冷静だよね?
「あ、やっぱり倉庫に戻っていたのね」
「こちらへ来て正解でしたわね」
「お、お二人とも……。その、先程のことはですね……」
「なにか事情があったんでしょ? 大丈夫、分かっているから」
「えぇ、そうですわ。疲れていただけでしたのよね?」
二人は冷静だった。だが先程と同じように温かい目をして俺へと近づく。
なぜか、呼応したようにセトトルとフーさんも俺を囲んでいる。逃げないよ! 逃げないって!
そんな四人に俺が取り囲まれ、身動きがとれなくなったときだった。
「ボス、こないだ話していたノイジーウッド用の肥料と女性用下着買っておいたよ。下着を買うのは大変だと思って気を利かせて……って、なんだいこの雰囲気は」
「おうボス、肥料を……なんだこりゃ」
俺には二人が、天の救いにも見えた。
た、助かった……。
「なるほどね。ボスのことだからそんなことだと思った。あ、私は最初から信じてたからね?」
「も、もちろん私も信じていましたわ! そんな女装をするなんて思ってませんでしたの!」
「ご、ごめんねボス。オレはボスがちょっとおかしくなっちゃたのかなって……」
『ごめんなさい、私もセトトルちゃんと同じです……』
「「うっ」」
信じていたと言った二人は、正直に言ってくれたセトトルたちを見て気まずそうにしていた。
いや、疑わしいことをした俺が悪いからしょうがないよね。これは怒れないよ……。
「そういえば、キューンはどう思っていたの?」
「キュン、キュンキューン!(あぁ、休みがない人はこうなるんだと思ってたッス!)」
「キューンはまるで隠さないね……」
キューンは悪びれた様子もなく、あっさりとそう言った。
まぁ誤解も解けて良かった。菩薩のような顔の人間に囲まれそうだったときは、精神的に限界だった。あれはきつい。
とりあえずノイジーウッドに少し嫌がらせをしたいので、俺は女性用下着の中に新品の男性用下着も混ぜておいた。
俺の未使用新品だ。これくらいの嫌がらせはしてもいいだろう。
はぁ……全く、休みは休みで厄介だな。でも……みんなが笑っているだけいいかな。
俺はそんな風に、自分を納得させて久々の休日を楽しんだことにした。
次の日から、俺が妖精スライムシルフを扱き使ってるという噂は消えた。
もちろん女性用下着を買っていたなんて噂も出なかった。愛人というのも、誤解だと分かってくれたようで噂はでなかった。
ただし、違う噂は流れた……今度は町の至る所に。
「東倉庫の管理人は、親馬鹿だってよ」
「後マッチョシルフが実は、儚げで超可愛いシルフっ娘だったらしいぞ!」
「東倉庫の管理人以外の可愛さはうなぎのぼりだな……」
「セトトルちゃん可愛すぎ」
「おいおい、キューンのぷるぷる具合が最高だろ」
「フーちゃんのあの守ってあげたくなる感じが分からないのか?」
妙に東倉庫を覗き込む人も増えたが、前よりはマシだからいい……よね?